15.巫女様の進路事情<5/5>
『ロヴェロ事件』
女神レマイナとその属神が降臨し、法術の存在が認知されていく過程で、大陸全土においてレマイナ教会の中立性が決定的に確立されるきっかけになった事案だ。ロヴェロとは古い時代に北西地区にあった小国だが、この事件の後に滅亡し今は存在しない。
今も全体的な数自体は減ってはいないが、古い時代はもっと強力な『奇跡』を行う法術師がたくさんいた。強力な癒やしの力を行使するレマイナ神官を、『戦力』として欲する国家、国家でない集団も、当然ながら多くあった。当時は、その力を利用しようと、家族や無関係な民を人質にして、自分たちに協力するよう強要した集団もあったという。
ロヴェロ国は、古くからの土着の神を仰ぐ宗教国家で、同じ神を崇拝する隣国と泥沼の戦争状態だった。彼らは戦禍から逃れた市民を助けるために活動していたレマイナの法術師達を拉致し、自分たちの軍隊に協力するように強要した。傷ついた兵士たちを即座に回復させ、効率よく戦地に送り出す、『戦わせるための癒やし』が目的だった。
従わなければ、難民状態の民を目の前で殺すと脅し、彼らは実際にそうした。最初は抗っていた神官たちも、何人も目の前で傷つけられて殺されて、協力すると言わざるを得なくなった。
しかし、実際の場面で、彼らは法術を行使することが出来なかった。
結局人質も、法術師自身も多数が殺された。ロヴェロは国家ぐるみの非道を近隣諸国に糾弾され、内部からも造反者が多数現れ、崩壊した。ロヴェロと戦争していた隣国も、長い戦争で疲弊していたのもあり、それほどの時を経ず他国に併呑されて消滅した。
それまでもなんとなく認識されてはいたが、これが決定的な事例となった。どんな組織も国家も、法術師を政治や戦争のために『利用』できないのだと世間的に認知された。
この事件がもたらしたものは、大陸全土において、支配者層や軍の上層部の暗黙の常識となっている。
思想や教義のために自制して『使わない』のではなく、物理的に法術は『使え』なくなってしまう。大本の神がよしとしていないことを、強制は出来ないのだ、と。
エルディエルとルアルグ神の関係は多少特殊なため、ルアルグの法術は公族を守るために必要であれば、ある程度強力なものも発動する。かといって、法術師を編入させた部隊を他国の侵攻に利用するなどは出来ず、一定の線引きがあるようだ。
「私はこの現象は、神が自らの意思で法術の源を断ち切ってしまうのでは無く、法術が知識と信仰によって発動するようになる過程が関わってるんじゃないかと考えてた。教義と、神が司る力について学ぶことで強まっていく良心が、教義にそぐわないと判断した場面では、法術の発動を遮断するんじゃないかって。それは無意識だから、どんなに脅されても、自分ではどうすることもできない」
なるほど、とヘイディアも淡々とした表情で頷いている。
法術を扱えるかは先天的な素養の有無で決まるが、その能力を伸ばすのは信仰と知識だ。ならば、信仰と知識によって培われた良心が、特定の場面においては発動を抑制することも、理屈としてはあり得る。
「だけど、法具を用いて行使されるユカちゃんの法術は、もともとその制限がない。これって、危険なことだよね」
ユカが巫女ですら無かった状況で、泉の水量を回復させる儀式の際に法術が使えてしまった時点で、この危険性が判る。
そもそもユカは、アヌダの巫女として仕えること自体、自分の意思では無かった。たまたま巫女の素質があり、その素質は、町の水源という、全体の生活に直結していた。そのため、教義だの信仰心だの以前に、儀式を出来るものがいないと町の生活に関わるからと、あちこちから脅され、親にもかばってもらえないような形で、嫌々山頂の社にこもった。
つまり、脅されて嫌々でも、法術が使えてしまうのだ。
代々の巫女達が、法具を用いて現れる使い魔の存在を隠していたのは、自分たちの身を守るためだったのだろう。水を自由な形で使役できる、これは非常に有用な能力だ。ユカ自身は知識も発想も足りないが、応用の仕方によっては軍事にも土木にも転用が効く。実際、古代レキサンディアでは法具=増幅器を用いて、三角州に都市を造成するための治水制御をしていた。
そんな力、「お役に立ちたいのですの」と考えなしにぽんぽん使うのは、まずい。悪意あるものに知られたら、自分の身を自分で守ることも難しいユカは、山頂で幽閉される以上の危険な目に遭いかねないのだ。
「ルスティナ閣下が、ユカちゃんが町を出るのを後押ししたのも、これが理由だったんでしょう?」
話を振られ、ルスティナは頷いた。
山頂での社で、ルスティナはユカから町を出たい旨の相談を受けていた。それまでの経過、町の住人や家族との軋轢、崩れてしまった信頼関係。同情すべき事柄も多くあったが、ルスティナが一番懸念していたのは、まさにこの点だった。
「エレムから聞いたけど、ルスティナ閣下は『アヌダ神』について調べる手助けを始めたとき、こうおっしゃったそうね。『力を持つ者にこそ、しっかりとした倫理観と指針が必要ではないか』って」
その危険性を顕著に示したのが、ククォタでの一件だ。
アルディラを主賓とした舞踏会で、何らかの騒動が起きることが事前に察知されていたにもかかわらず、ユカは入れ替わりを敢行した。持ち前の好奇心もそうだし、自分を助けてくれているアルディラに何らかの形で役に立ちたかった、というのもあるだろう。結果的に、ククォタ王家のお家騒動も丸く収まった。現状のユカには、咎められるいわれがないと思われるほど上出来な結果だった。
だから、グランに叱られたのは心外だったし、エレムがかばってくれなかったのも不満でしかなかった。
グランはあの時、ユカが自分の実力に見合わない危険な行為を安請け合いしたのを叱っていた。いかに周囲を並外れた実力者で固めていたとしても、考えられる不測の事態に目をつむって、ユカは自分自身の命を他者に委ねてしまったのだ。自分の力で戦うものとしての視点から、見過ごせない危険性を指摘したに過ぎない。言い方が適正かと問われれば疑問は残るが。
エレムはそれを止めなかった。グランが叱っている理屈ももちろん判った上で、更にその先の心配があったからだ。法術が、信仰も知識も無いまま行使されている危険性を懸念していたのだ。
だが、あの時点でそれを説明したところで、ユカには理解できなかったろう。エレムもまた、言葉ではっきり説明できるほど、自分の懸念を具体的な形にできていなかった。
「自分で法術の使い方を律せない、ユカちゃんの今の状態はとても危険です。今は皆さんの庇護があるからまだいい。でも、この庇護がなくなったとき、周りの思惑が彼女を危険に晒すのは容易に想像できます。あの子は早いうちに、自分が『なんの力を使っているか』学んだ方がいいと思う」
ユカについてエレムとルスティナから話を聞いたラムウェジは、ユカが山中の移動に同行するのを止めなかった。法術師としての能力もそうだし、本人のひととなりを観察するのにもよい機会だったからだが、あの騒ぎのおかげで、今後ユカに必要になるであろうことを見定めることが出来た。
「皓月将軍も、ラムウェジ殿も、そこまでお考えだったのですね」
アルディラは素直に感銘を受けたようだった。
根がまっすぐなアルディラは、単純に、ユカの境遇に同情していた。周りの思惑で意に沿わぬ役目を押しつけられた、自分自身の境遇と重ね合わせていたのかも知れない。町を飛び出してでも自分のやりたいことをしたい、という主張に、共感さえしただろう。
そもそもエルディエルの公族としてまっとうな教育を受けていたアルディラは、法術師に『協力』を仰ぐことはあれど、『利用』しようなどという発想はできなかった。
法術は信仰があってこそという大前提があるから、法具が力を増幅しているのだとしても、発現に至る基本的な条件である知識と信仰は満たしていると思っていたのだ。だからルスティナとラムウェジが容易に想定した懸念に、気づけなかった。
オルクェルは改めて、ルスティナの慧眼に感服しきりの様子で、女神を見るような崇拝の視線すら向けている。ヘイディアの表情は、相変わらず淡々としていてよく判らない。
「ラムウェジ殿のご深慮、とても感銘をうけました。ユカさんがラムウェジ殿のご提案を受け入れたとしても、わたしたちも、引き続きの力添えを約束いたしましょう」
背筋を正すアルディラの後ろで、オルクェルも改めて腰を折った。ヘイディアも、表情の薄い顔でラムウェジとルスティナを見比べたあと、オルクェルに倣って頭を下げる。
ラムウェジが、ほっとした様子で目を細めた。




