12.巫女様の進路事情<2/5>
リオンにとって、という以前に、法術師にとって、信仰は法術が使えるための絶対前提という認識なのだ。
エルディエルの住人が、それこそ神官になるならない以前の幼少期から法術が発動するようになるのは、生活のそこかしこにルアルグへの信仰を培う慣習が溶け込んでいるからだ。
親の背におぶられているような赤子の頃から、風が吹けばルアルグが春の風を呼んでいると囁かれ、海の嵐で船が出られなくなれば、海水をかき混ぜ魚や海草を育てる恵みの風なのだと教えられる。風は作物のための雨を呼び、鳥を乗せて大地を渡る。家の中を通る風は、風邪や流行病をもたらす悪い『気』を払う。風に対する感謝が、ルアルグへの信仰として培われていくのだ。
しかし、ユカは『巫女の素養があるから』と、試しに水脈を保つ祈りのさせられたら成功した、などと、一見法術とは違う形で巫女に選ばれたのだ。水は確かに大切だが、そこに信仰心だとかが存在したのかは不詳だ。
「法術の素質があるからこそ法具が使えるのは判ったし、法具のおかげで、いろいろな事が出来るのは確かに楽しいのですの。でも、アヌダがアンディナだったとして、いろんなことを学んだら、必ず神官になってお仕えしなきゃいけないのですの?」
「それは……」
法術は確かに先天的な素養あってこそだが、その神への知識や信仰、扱う力への理解が深まっていく経過で徐々に使えるようになってくると考えられている。大きな素養があっても、それだけでは使えないというのが、一般的な見解だ。
だが、ユカは信仰云々以前に、アヌダの存在そのものについての印象も漠然としたものだった。なにより本人が巫女になどなりたくなかったのに、法具との相性が良かったせいで法術が発現してしまった。
最初の順序が逆なのだ。
法術が発現してしまったことで、アヌダの巫女になることが強制的に確定してしまったユカには、「この状況は嫌だ」以外の具体的な将来の展望が想像できなかったのだろう。アンディナの事について知りたい、アヌダの巫女に仲間がいるなら会ってみたい、というのも本心の一つではあったろうが、第一の目的は、町を離れることだったはずだ。だから、ラレンスのアンディナ教会に世話になることより、「より面白そうなこと」である、グラン達についてくることを選んだ。
「……さっきも言ったけど、神官の学校自体は、学ぶ志のある全ての人を受け入れてくれるよ。卒業したからって、必ずしも教会に仕えるわけじゃない。貴族とか商人の子供が、将来家業を継ぐために必要な、一般教養を身につける目的で入学するってことは、エルディエルでもあることだからね」
ユカがなにかに逡巡しているのは判る。だが、リオンには、その深部にあるものをくみ取るのは難しかった。おのずと、口にするのも一般的な言葉になる。
「すぐ学校に入るのも、アンディナ教会に世話になるのも気が進まないって言うなら、やっぱりラムウェジ様のご提案に乗って、時間稼ぎしてもいいんじゃないの」
「時間稼ぎ、ですの?」
「一緒にあちこち見て、いろんな話を聞いて、勉強も出来るなら、その間に自分のやりたいことを考えることもできるでしょ。レマイナ教会は各地に拠点があるから、寝泊まりに困るようなこともないだろうし、ラムウェジ様と一緒なら旅も安全だろうし。だからルスティナ様も賛成してるんじゃないの」
なんだ、改めて整理したらすごくいい条件じゃないか。破天荒なアルディラにつきあって先の見えない逃亡生活なんかさせられたあげく賊にボコボコにされた過去まで思い出し、リオンは微妙に腹立たしくすらなってきた。
「やりたいこと……」
もちろんユカはそんな事情など知らない。上の空でリオンの言葉の一部を改めて呟いた後、
「わたし、世の中のいろんなものを見たいのですの」
こんな台詞、どこかで聞いたな。リオンがそう思ってふと横を見ると、黙ったまま白龍がうんうん頷いている。空気を読んでか気配を薄くしてはいるが、しっかりこちらの話を聞いているらしい。
「……だったらなおさら、自分が何の力を使ってるかをちゃんと学んで、あちこちに自由にいけるくらいに世の中のことを勉強して、誰にも利用されないように強くなればいいんじゃないの。グランさんみたいに」
ちょっと投げやりかな、と思ったが、ユカは特に反発するでもなく、小難しい顔で焚き火の炎を眺めている。言われたことを頭のなかで反芻しているようだった。
「利用されないように、……ですの」
それっきりユカは黙ってしまった。
それ以上言うことも思いつかず、リオンは本に意識を戻した。黙って鉄鍋の湯気をみつめるユカを、なにやら面白そうなものを見るように、白龍が眺めていた。
昨日の今日でやはり疲れていたのかもしれない。グランは窓から聞こえる外のざわめきでやっと目を覚ました。
庭では兵士たちが朝食を取り始めている頃合いだったが、気を遣って誰も起こしに来なかったのだろう。
やっと葉っぱなしでもまともに動くようになった体で身支度を調え、遅れて朝食の席に顔を出しに行く。エレムや子供たちは食べ終えて、白龍に食後のお茶をたかりに行ったり、片付けや馬の世話の手伝いをしたり、空になった大鍋を洗う手伝いをしているエレムを手伝っているつもりのランジュをはらはら見守ったりと、思い思いに過ごしていた。
コルディクスは、白龍がどこからか手に入れてきた陶器の茶道具を器用に使っているのを、興味深そうに観察している。白龍と茶道具のどちらに、より関心があるのかは判らなかった。どっちみち、周りの兵に迷惑をかけずに大人しくしているならなによりである。
当番の兵士に指示されて、まだ鍋の中身が残っている一団に混ざる。椀が回ってくる間、辺りを見回したが、ラムウェジの姿はない。昨日は確か、ここに泊まったはずだが。
「ああ、ラムウェジ様なら、ルスティナ閣下と出かけていったぞ」と、炊事当番の兵士が指さしたのは、同じ離宮の敷地内でも、エルディエルの一団が使っている、本館の豪華な建物の方だった。
ラムウェジが動いているのなら、例の騒ぎの後始末か。朝っぱらから忙しいなと、他人事のように考えていると、素朴な煮込み料理の盛られた椀が回ってきた。
どうもこの辺りの主力の産物は芋らしく、塩味のスープにひたった具材の半分は皮をむいただけの小ぶりの芋である。ほかは、肉やら葉野菜やらだが、ぶつ切り肉のうまみを吸った芋がなかなかにうまい。
あらかた食べ終えた頃になって、中庭の一角が騒がしくなった。裏手にある馬車用の門が開かれ、ロバにひかれた荷車が三台ほど乗り入れてきた。
周りにルキルア兵がついているが、荷馬車を操っているのは市民だし、前後に控えているのはカカルシャの兵士だ。それに、先頭の馬車を率いているのは騎士服の若者を乗せた馬である。
「なんだ、イグシオじゃねぇか」
「飯時に失礼するっすよー」
グランやエレムに気づいたイグシオが、お気楽に手を振る。荷馬車が止まると、手の空いている兵士達が声を掛け合い、空の麻袋や木箱を乗せた荷車を押して近づいていった。
「イムールからの差し入れっす。といっても、買い集めてたのはウカラの市場にいる叔父貴たちっすけど」
「差し入れ?」
「山中の騒動の最中に、イムールに向かう市民を助けたのであろう?」
馬を降りて近くの兵に預けているイグシオにグランが近づいていくと、遅れて建物から出てきたエスツファが声をかけてきた。




