2.巫女様の課題<1/4>
「か、体が痛ぇ……」
疲れのおかげで目も覚めずに昼まで眠れたのはいいが、起きてみれば首以外の全身が痛い。
いつもならグランより先に起きて、きっちり片付けを済ませているはずのエレムも、今は同じ部屋で同じように寝具に横になり、うつ伏せから起き上がろうと試みては力尽きるのを繰り返していた。
水差しを持って様子を見に来た家の住人が、ついでに窓を開けていったので、山麓の清涼な空気が日差しとともに差し込んで心地よいのだが、全身の痛みがその心地よさを遙かに凌駕している。
「女王に治療を頼んでから戻ればよかっ……」
「仕方ないですよ、こういう痛みは遅れて出て……」
なんとか壁を背にして起き上がったエレムが、息も絶え絶えに水差しからカップに水を移している。
彼らが村に戻ってきたのは、日もとっぷり暮れた深夜だった。
グラン達がラサル達に運ばれて地上に戻った時点で、既に夕刻。
キルシェの先触れがあったので、ルスティナ達は心配せずに緩衝地帯の入り口で待っていてくれた。それでも、山中で一晩明かすのは全員覚悟していた。それが一転、下山に踏み切ったのは、思わぬ援軍があったからだ。
ルスティナ達が「おおきなもの」達と衝突する原因になった民間人二人が、夕刻になってもやってこない一行を心配し、灯りと食料と数人の男手を伴って自分たちの集落から戻ってきてくれたのだ。山肌を覆う影は周辺の町や村からも見えるほど巨大なものだったから、異形に襲われたのを助けられたという二人の主張に大きな説得力を与えたようだ。
今度は、前後を灯りを持った集落の住人達に護られる形で、一行は深夜になって無事に、麓のカイチの村に下りてこられたのだ。
一方カイチの村では、裏道に続く広場に、何本もの松明台が用意され、目印のように照らされていた。それらを用意して待っていたのは、ルキルアの騎兵隊員を連れたフォルツだった。
離宮の塔から山中の異変に気づき、人を遣わすべきかと話していたフォルツとエスツファのところに、いきなりキルシェが現れた。
『グランに言われて知らせに来た、すぐにみんなふもとの村に戻ってくる』とかいつまんだ説明を受け、とりあえずフォルツが飛んできたのである。
フォルツの率いる騎兵隊員が村についてみれば、レマイナ教会の神官達とカカルシャの兵士が、「エトワール殿下の意識が戻った」と慌ただしくしていて、数日は戻らないはずのラムウェジ達の話をするような雰囲気ではなかった。フォルツは自力で、グラン達を出迎える準備をしなければいけなかった。
幸いというか、リオンと一緒にキルシェ(とユカ)に出くわしたレドガルがフォルツに協力し、戻ってくるはずの一行を休ませられるように村の民家数軒と話をつけてくれて、あとは兵士達に目印代わりの松明をたかせて待っていたのだ。
部隊に遅れて合流したフォルツと違って、ずっとグラン達と同行していたルキルアの騎兵隊員達は、逆に非常事態には慣れたものだった。山頂付近の異変に気づいて町中がざわめいていても「またなにかやっているな」くらいの反応だったらしい。それはいいのか悪いのか。
そして、戻ってきた一行の中でも、グランとエレムだけが目に見えて消耗しているのが、更に彼らの不運ぶりもとい活躍ぶりをフォルツに印象づけたようだ。
それはともかく。
「なんか、二人がすごく苦しんでるけど大丈夫かって心配されてるんだけどー?」
エレムがやっとの事で水を口に含んでいると、住人から報告を受けたらしいラムウェジが、窓からひょっこり顔を出した。生きているだけで精一杯な二人の様子に、目をぱちくりさせている。
「体が痛ぇんだよ、ずっと走ってたんだよ俺ら」
「あー、ミンユから聞いたわー。なかなかないよね、山よりも高い空中で持久走とか」
感心したように頷くと、ラムウェジはしみじみと言った。
「ついていかなくてよかった」
「むしろあんたが来てりゃ、あんな苦労は無かったんだ」
地の力を利用して走っていたミンユは、地上に戻っても平気な顔をしていた。ミンユの法具の使い方を感覚で悟ったラムウェジなら、全員を地の力で後押しすることだってできたはずだ。
結果論なので今更文句を言っても仕方ないが。
「あそこで働いてた人は、あの距離を徒歩で移動してたんでしょうか……」
「まぁ、高速で移動出来る乗り物なんかはあったかもしれないよね。あんな異形が作れたんだから。……湿布もってこよか?」
動くのも諦めたようなエレムと、起き上がるのに心折れたグランに、ラムウェジはお気楽な声で首を傾げる。
「そんなのより、今すぐあんたがなんとかしてくれよ」
「あらグランさんがそんなこと言うの意外」
窓枠に頬杖をついたラムウェジは、ぐったりとうつ伏せているグランを面白そうに見下ろした。
「目に見えてけがしてるとか、筋が切れかけてるとかじゃなさそうだから、湿布貼ってお水飲んで一日安静にしてるのがいいと思うよ。二人の体力なら、一日じっとしてればなんとかなりそうだし。あ、動けないならご飯食べさせてあげようか?」
「うるせぇよ」
「こういう反応も新鮮ねぇ、子供が増えたみたい」
どこまでも不機嫌なグランに、ラムウェジはあははーと笑うと、手に持っていた布袋をエレムに放りよこした。
「エレム、それ、ナヴィスの葉と似た効果があるみたい。少しかじって、落ち着いたらこの家のひとに、ご飯をごちそうになっておきなさい。お願いしておいたから」
「ナヴィスの葉? ああ……」
そういえば前に、奇襲に遭って珍しくボコボコにされた時に噛まされた葉っぱが、そんな名前だった気がする。エレムは時々、普通なら手に入らないような変な薬を持っているのだが、母親の影響なのかもしれない。
「エトワール殿下の意識も戻って、教会の方はちょっと騒ぎになってるよ。今ふたりに顔を出されたら更に面倒そうだから、まぁゆっくりしててちょうだい」
「気がつかれたんでしたっけ、よかったですね」
「よかったんだけど、こっちとしては話が終わっちゃってるしさぁ」
なにしろ、問題の長期化を見込んで、イムールの王族関係者の協力を仰ぎに行く前に、大本の問題そのものが解決してしまった。
しかし目が覚めたエトワールとしては、自分たちが危険な目にあった事情もなにもわからない状態だ。重傷の従者の多くは、現在も上空の古代施設で加療中で、じきに戻ってくるのだろうが、それをどう説明すればいいのか。
問題をぼんやり把握していたカカルシャにしても、いきなり「もう危険はなさそうだからこの話は終わりですー」などと言われたところでなんのこっちゃだろうし、そもそも行方不明になっている人間が実際にいて、まだ戻っていないのに、一方的に終息宣言などされても周りが納得しない。
古代施設的には一段落しているし、ラムウェジの目的は遂行され、グラン達にももうできることはないが、現地の人間達の問題はなにひとつ解決してはいなかった。
「まぁ、数日中には適当になんとかするわ。あなたたちがルキルアとエルディエルとに、つながりがあってよかったわー」
ラムウェジは相変わらず脳天気に言い放つと、ひらひら手を振って去って行った。どういう形で『なんとか』するつもりなのか、グランには考える気力もなかった。




