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14.月夜の番人<前>

 最低限の処置は済んだものの、死体をそのまま転がしておくのもなんなので、掘っ立て小屋の中を片付けて、死体はそこに安置されることになった。

 季節は夏だが、もう日もかげる。山間は平地ほど気温も湿度も高くないから、一晩程度ならいきなり腐敗が進む心配もなさそうだ。

 掘っ立て小屋の横の物置小屋は、見張りのために一晩借り受ける手はずになった。ついでに人数分の晩飯になる程度の食料も提供させると、周りはグラン達だけになった。少し離れたところにぽつぽつ建っている民家にも、明かりが灯り始めている。しかしよそ者がいるせいか、様子を見に人が出てくる気配もなくひっそりとしていた。

 太陽の光に気圧されていた半月が、天頂付近でゆっくりと輝きを強めている。もう少しすれば空はすっかり濃紺に染まって、星も浮かび上がってくるのだろうが、今は明るい星が数えられる程度にやっと瞬き始めたばかりだ。

 完全に暗くならないうちに、グランが建物の裏手にあった井戸で手や顔を洗って戻ってくると、建物から少し離れた草の少ない広場で、エレムが火をおこしていた。

 灯り取りと、野生の小動物避けを兼ねて、その辺の枯れ枝を適当に集めただけの簡単なたき火である。虫除けの効果のある香草も一緒に燃やせば、肌を刺す虫に悩まされることもぐんと減る。

 そのたき火から少し離れた木の根元に、物置から引っ張ってきたむしろを広げ、ルスティナが腰を下ろしていた。

「あいつら、どうすんの。飯ぐらい一緒にこっちで食えばいいんじゃねぇの?」

 ここからは建物の陰になっていて姿は見えないが、見張り役の兵士二人は、民家から借り受けた小さなランタンを掘っ立て小屋の軒先にかけて明かりをとり、建物の側から離れる気配がない。膝に頬杖をついて、焚き火の炎を眺めていたルスティナは、グランの問いに小さく首を振った。

「仕事として見張りの役目を与えているからな。食事も休憩も交代も、あの二人の計画した時間でさせる。基本的に口は出さぬよ」

「ふうん……」

「まぁ、グランも座ったらどうだ」

 言いながら、ルスティナが自分の隣を指で示す。グランは剣を外してむしろの上に置き、ルスティナの右隣に座って木の幹に背中を預けた。

 エレムは火の周りを土や石で固めている。補充用に、更に燃えそうなものを集め終え、振り返ったエレムは、自分がどこに座るべきか悩んだようだ。グランが視線で促したので、遠慮がちながらルスティナの左側に腰を下ろした。

「物置小屋は彼らの仮眠に使わせたいから、我らはここで野宿になるがよいか」

「慣れてるから俺達は構わないが」

「すまぬな」

 栗色の髪がたき火の明かりを受けて、暗がりの中で一瞬鮮やかに赤く映えた。

 ルスティナは、小国とはいえ一国の軍の頂点にいる立場なのだ。住民から頼まれた話なのだから、あんな物置ではなく、集落にある民家の一軒くらい使わせろと要求したところで文句は言われないだろう。なのに、まったくそういうことは思ってもいないようだ。集落の住人らが持ってきた食料を等分に分けて、グラン達はともかく二人の兵士にも、自分を必要以上に特別扱いさせようともしない。

「ああ……そうだ」

 食料といっても、パンに野菜や肉を挟んだ簡単なものだ。一緒に水でも飲もうと思ったのか、自分の荷物袋を探っていたルスティナが、なぜか小さく笑って別のものを引っ張り出した。見覚えのある葡萄酒の瓶を差し出され、グランは軽く笑みを漏らした。

「ああ……」

「折を見て返そうと思っていたのだが、そんな暇もなかったな」

 職務中に賭け事云々でエスツファが叱られて、ついでに没収扱いになっていたものだ。事情をルスティナに説明されて、エレムが呆れたように息をついた。

「そんなことやってたんですか……。ほんとエスツファさんとは気が合いますよね」

「いいじゃねぇか、みんな喜んでたし」

「うむ、いくら実力が違うとはいえ、一〇人相手にあれは凄かった」

 グランとエレムは、ルスティナの頭越しに思わず顔を見あわせた。

「なんだよ、賭け事はどうこういいながら、止めないで自分も見てたのか」

「それはそれ、これはこれで」

 ルスティナはいたずらっぽく目を細めた。

「ほどほどに締めてけじめをつけないと、ほかの兵士が悪のりしても困るからな」

「お偉いさんはいろいろ大変だな」

「そうだな、いろいろ大変なのだ」

 冗談めかして頷いたルスティナの瞳が、たき火の炎を映して揺らぐ。グランは手に持った葡萄酒の瓶を軽く持ち上げた。

「眺めててもしょうがねぇし、飲もうぜ。職務中にけしからんとか言うなよ」

「言わぬがカップがないぞ」

「あ、探してきましょうか?」

「いいよこのままで。めんどくせぇ」

 エレムが腰を浮かしかけたが、グランはさっさと栓を抜いてルスティナに瓶を差し出した。

 受け取ったルスティナは、なぜか口をつけるのに躊躇した様子を見せた。そんなに大きな瓶ではないのに、さすがに女相手には乱暴だっただろうか。

 それでもすぐにルスティナは瓶の口に唇をつけ、ちょっとした驚きの色を見せた。

「これは……良い酒だな」

「旨いだろ」

「うむ」

 そもそも城に出入りする酒専門の商人から、エスツファが手に入れた酒である。下っ端の兵士でも、製造元の名前を聞けばある程度値段が判るような高級なものだ。

 どうやらなかなかいけるクチらしい。もう二口ほど飲むと、ルスティナは親指で瓶の口を拭ってからグランに葡萄酒を手渡してきた。

 その指の腹が淡く紅色に染まっているのが暗がりの中でも判って、ルスティナはさっき、瓶の口に紅を移すのを気にしていたのだと、グランはやっと気がついた。

 化粧っけも飾り気もないから、紅なども興味がないのかと思っていた。飾りらしいのは簡素シンプルな銀の耳飾りぐらいだが、そんなのは男だって使う者もいる。

 グランはなんとなくルスティナの横顔を眺め、受け取った葡萄酒を口に含んだ。唇に触れた瓶の口の冷たさだけが気になって、いまひとつ味が判らなかった。旨い酒のはずなのだが。

 グランは少し身を乗り出して、今度はエレムに瓶を差し出した。

「あ、僕は」

「いいから飲んでおけって」

「はぁ……」

 エレムも飲めないわけではないのに、宿の部屋か、宿と同じ建物にある食堂以外ではほとんど酒を飲まない。なにか酒で痛い目を見た経験でもあるのだろうとグランは踏んでいるのだが、なかなか探る隙がない。

 しかしさすがに、ルスティナまで飲んでいるものを、嫌だとは言えなかったのだろう。渋々といった感じをできるだけ押し殺して、瓶に口をつける。

 すぐにエレムも、さっきのルスティナと同じように軽い驚きの表情を見せた。

「これ、本当に美味しいですね。これだけのもの、よく手に入りましたね」

 言いながら、また葡萄酒を口に運んでいる。やっぱり旨い酒なのだ。

 同意するように頷きながら、エレムから瓶を受け取ったルスティナは、なにかに気付いたように宙を仰ぎ、嬉しそうに目を細めた。

 空はいつの間にかすっかり、銀の粉を散らした夜の色に染まっている。その星空の中央で、月が青白い光のカーテンを投げかけ、ルスティナの耳飾りを月と同じ色に輝かせた。

「……こうして夜空を眺めるのも久しぶりだ」

 しばらく黙って月を見上げていたルスティナは、いくらか葡萄酒を口にして、満足そうに息をついた。

「ずっとごたごたしていて、星を見るのも忘れていたな」

「いろいろあったからな」

「アルディラ姫の騒ぎもそうだが」

 月よりも更に遠くを見るように目を細めたルスティナに、グランは軽く頷いた。

 グラン達はつい最近来たばかりだから、例の騒ぎからしか知らないが、そのだいぶ前からルスティナ達はシェルツェルとやりあっていたのだ。まだ後始末は残っているが、厄介ごとのおおもとが取り去られて、ルスティナもだいぶ気分が楽になっているのだろう。

「今にして思うと、なにか頭の中に薄雲がかかっていたような感じで、シェルツェルのすることに的確に対処できていなかったような気がする。王の様子も、やはりおかしかった。あれも、イグ殿の……『ラステイア』というものの働きのせいだったのだろうか」

「かもな」

「グランには本当に、色々と助けられたな。いや、エレム殿にもだが……」

 付け足すように言ったのが自分で気になったのか、伺うようにエレムを見たルスティナが軽い苦笑いを見せた。

 連日の寝不足に加えて、食べて腹が満足したのと葡萄酒がまわったのもあるのだろう。エレムは木の幹にもたれたまま、静かに眠り込んでいた。荷馬車で眠ろうと思っていた所もリオンに邪魔されていたし、無理もない。

「……この前来られたヘイディア殿のことを覚えているか」

 唇の端についた葡萄酒の雫を指でおさえ、ルスティナはグランに瓶を渡しながら聞いてきた。パンを食べたのもあって、紅はだいぶ落ちてしまったらしい。もう瓶の口を拭う仕草はなかった。

「オルクェルと来たあの神官か」

「あの時言われたことを、考えていたのだ」

 相づちをうちながら、グランは受け取った葡萄酒を改めて口にした。

 確かに旨い酒だった。どうしてさっきは、味が判らなかったのだろう。

「……男の中でどうこうって、あれか?」

「私はもともと前妃に仕えていたので、周りの使用人達も近衛の兵士も皆、女だけだったのだよ」

「ああ……」

「そこからフェルザント様にお声をかけていただいて、しばらく直属の部隊で勤めさせて頂いていた。そこでももちろん、いろいろと失敗もしたし苦労もあった。自分が男であればもっと不自由なく動けたであろうにと思ったことも、一度や二度ではない」

 穏やかに揺れるたき火の炎に視線を移し、ルスティナは息をついた。

「それでも考えてみたら、女であるという理由だけで、仕事を任されなかったり、劣っていると言われたことは一度もなかった。もちろんフェルザント様がご自分で人員を揃えられた部隊であったから、考え方や感覚もフェルザント様に近いものを皆持っていたのかも知れぬ」

 酒のせいで、ルスティナは幾分饒舌になっているようだ。グランは黙って頷いて先を促した。

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