71.昼と夜のむこうに<4/4>
「お前、黒禁止」
「いきなり何言ってんの?!」
「いろいろかぶりすぎなんだよ! お前のやらかしたことでこんなとこまで来させられて、俺が何回死にかけたと思ってんだ! そのうち一回は確実にお前に間違われてるんだぞ、黒い服と髪ってだけで!」
「それは確かに不幸な合致点だったかもしれないが、黒を自己認識と捉える人間は少数ではないぞ、私だって髪自体は黒だし扱う魔法も黒い光を」
「嫌ならここで死ね!」
「いやぁっ、この人無茶苦茶っ」
足が浮くくらいの勢いで掴みあげられ、コルディクスは涙目でじたばたしている。エレムが気の毒そうに、
「グランさん、気持ちは判りますが、文字通り手も足も出ない人相手に凄むなんて、好感度に関わりますよ……」
「それは誰の目を意識しての意見なんだ!」
『やはり黒いのは根本的に凶悪であるな。なぜこのような輩が古代の遺産からも重んじられるのか理解に苦しむ。やはり古代文明といえど、神に等しい我らから見たら野蛮な新興文明と変わらず……』
「だから俺が極悪人みたいにまとめるのはやめろ! 悪いのはこいつだろ!」
「投げ飛ばす提案したのあーしだから、ちょっと心配してたけど、わりと元気そうで安心したさ」
「さすがラムウェジ様から一目置かれる方ですね、ちょっとその、振る舞いに迫力がありますけど……」
「さすが兄さんは、どこ行ってもぶれないよねぇ」
「まだ終わらない? あたし町でおいしいもの食べたいなー」
大きく展開していた法円も、広大な黒い円も収束し、空には卵を逆さにしたような遺跡が浮いている。その施設の一角、蛇遣宮の天頂部分に集中していた蜂たちは、新たな動きを取り始めていた。
施設に入場していた人間達を、地上に送り届けるための準備である。
コルディクスから雷撃の精霊を取り返し、ついでにグランの元にやってきた火の精霊を回収したキルシェは、そのままさっさと撤収しようとしたのを、『お前のせいで俺が面倒なことになったんだから、せめて連絡役ぐらいはしろ』とグランに説教され、地上に待機しているラムウェジ達のところに先に向かっている。
ジェームズは、『キルシェ殿が無事に戻ってきたのだから、もう貴様を手助けする義理はない』と、キルシェを乗せて一緒に行ってしまった。
今衛士たちは、グラン達が施設外周の空域を通過しても安全なように、各宮の頭脳である女王達と連絡をとりあっていた。
「……お前、なんとなく気づいてただろ?」
「いえ、そうかもしれないとは、ちょっと思ったんですけど」
太陽は天頂から大きく西に傾き、あと一時も経たずに山並みの稜線に落ちていくだろう。輝きの柔らかくなった太陽に目を向け、グランと並ぶエレムは頭をかいた。
「『天の王は息絶え地は闇に呑み込まれる』でしょう。天の王と言えば、古代文明的には太陽を示していることが多いんです。それが隠れて暗闇になる、即ち皆既日食のことかな、とは思ったんです。でも皆既日食って周期が決まってて、今ではかなり正確に、起きる場所と日時が計算できるんですよ。それこそ『時の裁定』との言葉通り。
このあたりで、皆既日食が起きるのは、数年先のはずだし、そもそも皆既日食は、新月の時にしか起こらない。この前の白龍さんの騒ぎの時が新月だったから、次の新月はほぼ一月先です。
皆既日食に関わる施設機能なら、それが起きるのとは全く関係のない日時には動く必要はないはずでしょう。たとえ動いても大事にはならないんじゃないのかな、とも、ちらっと思ったんですけどね」
しかし、現実に多くの人間が失踪し、異形に襲われて重傷を負う現場も目の当たりにした。施設自体が悪用される懸念もあるとなれば、のんびりしているわけにもいかなかったラムウェジ側の事情もわかる。
ただ、軍事施設か監視施設か、というエスツファ達の推測をラムウェジがあえて否定もしなかったのを考えると、こちらの先入観を利用されていた疑いは濃厚である。あとでそれなりに話をつける必要はあるだろう。
「グランバッシュ殿、七つの宮の頭脳から承認が下りた。以降、貴殿と、今回直接女王と接触した貴殿の仲間らは、緩衝地帯及び、施設外周空域においても、衛士の保護の対象となる」
近くで静止した状態で、宝瓶宮の女王と交信していたラサルが、声をかけてきた。
「今回『黒き人』が蛇遣宮の頭脳に一時不正介入した際、施設の長期運用に足る魔力の大量供給、及び今後継続的に魔力として転用できる可能性のある『暗黒物質理論』の研究情報の提供があった。こちらはまだ走査中だが、過去の情報の中に、それに似た魔法動力産出理論があるとのことだ」
「へぇ?」
「それら研究情報を再計算したうえで、魔法力の生産によって魔力の継続的供給が可能になれば、施設全体の運用が完全に再開され、以降の天体及び天文関連の事象観測が可能になる。また、魔法力の安定供給に伴い、蓄積される女王の蜜が規定量に達すれば、各宮の女王が実体を持つことが可能になる。いずれ全宮で衛士が新規に産出されるようになるだろう」
それはつまり、女王が卵を産み、新しい蜂が育つということだ。減る一方だった衛士が新しく作られ、稼働を再開した施設を護っていくことになるのだろう。
「日没前に間に合うように、貴殿らを地上に送り届けるよう計画がなされている。六〇〇打刻後には開始できる計算である」
「判った」
「その前に、施設の初期開発者よりの伝言を、グランバッシュ殿に伝えるよう、天秤宮と蛇遣宮の女王より指示があった。これより実行する」
「伝言?」
聞き返すと同時に、ラサルの大きな目が銀色にひらめいた。無表情だった口元が、何者かの意思の光がさしたように、笑みの形を作った。
『僕らの何代後の人類かは判らないけど、”新しき人”、よくここまで来てくれたね! 君たちのおかげで、どうやら僕らの観測所は存続の危機を脱することが出来たようだ、ありがとう!』
今まで最低限の抑揚しかなかったラサルの声に、生命が宿ったような、生き生きとした語り口だった。その背後にある何者かの存在を感じ、グランとエレムは揃って目を丸くした。
『この施設は、最終的には、魔法力の依存から脱却し、自然界にある様々な力を用いて運用できるように開発されたものだ。残念ながら、僕の生あるうちには、完全に魔法力が不要になるようにはできなかった。ひょっとしたら、僕らの文明が滅びても、完全なる魔法力からの脱却は叶わなかったのかもしれない。しかし君たちがここにいるということは、この施設の運用における様々な記録と、施設そのものの技術力を受け継ぐ存在が現れることを見込んだ、僕らの超長期的な計算は誤っていなかったことを示している。
今の君たちには、この施設を受けつぐに足る”次なる人”としての資質はまだ備わっていないかもしれない。だけど、君たちの意識がさらなる発達と進化を遂げれば、遠くない将来、再び君たちに会うことが出来るだろう。いずれは、僕たちの施設が記録し続けてきた膨大な情報を紐解き、役立ててくれると信じている。そのときを楽しみにしているよ、”新しき人”よ!』
そして――
再び銀色の光が瞳にひらめくと、ラサルは唐突に口を閉ざし、表情を戻した。何者かの意思が乗り移っていたような名残ももうない、岩で出来た半人半蜂の衛士が、静かに佇んでいる。
二人は今眼前で起きたことを頭で確かめるように、少しの間呆然と立っていたが、
「グランさん、エレムさん、地上に送ってくれるっていってるさー」
「コルディクス氏もこのまま運んでくれるそうです。ラムウェジ様達に早く報告しましょう」
「地上に散らばったままの魔力石、巫女さん達集めてくれてるかなぁ」
ほかの衛士と話していたミンユとクロケがこちらに向かって明るく手を振り、リノは心配そうに地上を見下ろしている。
黒い光でぐるぐる巻きにされたままのコルディクスは、既に衛士の一人に抱えられて、『そういえばお前達はどのように作られたのか』『背中の羽は飛翔方向の操作に使うのだろうが速度を操るのはどのような理屈なのだ』などと早口で話しかけている。地上に降りるまで質問攻めになりそうで気の毒だが、そもそもあれらはただの人形なので、不快にも面倒にも感じていないだろう。
グランは彼らの方向に足をむけかけ、ふと思いついたように、足場から周辺の空を眺め直した。
「グランさん?」
「いや……」
太陽は大きく西に傾いて、東の空の青さは夜に近づくように濃くなり、逆に西の空の色は薄れ、眼下に広がる山並みの緑の色も朝方とは違う穏やかさをまとい始めている。
これが夜になればこの施設は、大海に浮かぶ小島のように、四方に広がる星空に覆われるのだろう。古代文明のいつ頃に作られたのか定かではないが、自分たちを作った者が消え、文明が消え、新しい文明がいくつも興っては消えていく間も、この施設は連綿と、昼と夜を、太陽と月を、変わっていく地上と変わることのない星空を眺め続けてきたのだ。
「……まぁ、人間が高いところでやることって言ったら、今も昔も変わらねぇってことなんだろうな」
「確かに最高の場所にある、観測所ですね」
グランの呟きに、エレムが目を細める。
遙かな山々を巡り、遠くの海を駆けてきたかもしれない乾いた風が、天空の施設にひととき現れた人間達の髪を撫で、また旅立っていった。
<星の王太子と降星の荒野 了>
参考資料
週末養蜂(Web)https://www.japan-natural-beekeeping.org/ja
お読みいただきありがとうございます。
次章の準備のためちょっとお時間いただきます。




