68.昼と夜のむこうに<1/4>
コルディクスは王台から離れ、施設天頂部に向かっていた。その後ろを、一体の衛士がっついていく。
女王のそばにいれば、施設全体の動きを把握できるし、状況に応じて指示を飛ばすことも出来る。だが女王は、像として状況を説明することは出来ても、実際の状況を映し出すことが出来ない。彼女が見せるのは、あくまで集まった情報から「推定される」像なのだ。
『時の裁定』において、施設がどういう動きをするのか、コルディクスは実際に自分の目で見ておきたかった。施設の『記憶』が、過去の運用記録をいまだに明かさないのだから、自分が直接情報を得るしかないのだ。
クロケが冷気の輝きを感じさせる光の尾を残しながら飛ぶように、コルディクスが浮遊する際、後に続くのは黒い霧のような輝きだ。彼は王台上部の出入り口を飛び出すと、人間のために生成される螺旋階段など無視し、まっすぐ天頂部分に向かっていった。
天頂の出入り口が開くためには、階段と、足場の生成が必須らしい。螺旋階段の最上部に現れた足場にコルディクスが降り立つと、天頂部がゆっくりと開き始めた。傾き駆けた太陽の光に、コルディクスは目を細めた。乾いた冷たい風が、やたら布の多い黒い服をはためかせる。
足場の端に置かれた、黒い光の『鳥かご』にちらりを目をやってから、コルディクスはぐるりと周りを見回した。
施設の頂点部分、六角形の足場は、小さな法円の中心になっていた。『時の裁定』機能が発動している間、人間は通路空域にはいられないが、施設の頂点に当たるこの足場にだけは出ることを許されている。足場を囲む法円は、そこにいる人間を保護するためのもののようだ。
そして、その足場を基点に、光の線が宙に向かって延びていた。
それぞれの宮をつなぐ円。線でほぼ対角に当たる宮をつなぐ、鋭い角を描く七芒星。宮を一つ飛ばしで線でつなぐ、鋭さに欠けた七角の星。その二つの巨大な星型を収める大きな円。施設をつなぐ光の橋のようにも見えるが、上部から見下ろせば、あるいは下から見上げれば、これは空に描かれた巨大な法円だ。
この下層にある六の宮は、この法円よりも更に大きな法円を作り上げ、その中を「黒」で満たしていた。巨大な皿のように、地上に円形の黒い影を落としている。
黒で満たされた下層の法円に紛れてしまい、近くの空域を浮遊する蜂たちの姿を視認することは出来ない。さっきまで必死で通路を走っていたはずの人間たちの姿も、コルディクスには確認できなかった。
順当にいけば、侵入者たちは退去時間とともに、先に遣わしていた蛇遣宮の衛士が回収しているはずだ。だが、一緒に自分についてくる衛士からは、まだ報告はない。空を飛べる者と、宝瓶宮の援助を受けた下層の宮の衛士がついていたから、まだ小賢しく抵抗しているのかも知れない。時間の問題だろうが。
それにもう、『時の裁定』に対応した機能は、完全に発動している。
宙に浮かぶ施設は、幻惑の結界に隠されているから、施設自体は地上からは見えないが、影を隠すことは出来ない。あの影の範囲にいる人間には、突然闇が現れたように思えるだろう。
一つの国すら覆うような巨大な法円で発動させる事象だ。それこそ一国を壊滅させるような破壊力のあるなにごとかを起こしてもおかしくはない。
あるいは、広範囲に対してなにがしかの現象を見せるものなのかもしれない。
黒く覆われたその先になにが起きるのか、コルディクスはじっと、その時を待った。
「真っ暗に、なったのですの」
『ちいさなもの』に抱えられ、上空から荒野全体を見下ろすユカが、ぼそりと呟いた。
急激に暗くなったことで、寒暖差が出来ているのだろう。湿気の少ない高地の風が、肌寒く感じるようになった。
空に現れた黒い円は、ちょうど白い荒野全体をすっぽりと影で覆っていた。裏道から荒野へ続く入り口に当たる部分、全員が待機しているあたりは、ちょうど昼と夜との境目のようになっている。遠くを見れば青空も見える、太陽に照らされた緑少ない山地も明るく輝いているのに、白い荒野はそれこそ闇の中だ。
瓦礫がなくなったことでただの平坦な地平になってしまった緩衝地帯の外れで、地上組は事態を見守っていた。
「昼と夜をいっぺんに見るって、さすがに初めてだよ。これに似た風景なら、何回か見たけど。あれはほんとに全体が夜になるからね」
「そうっすねー」
呑気な感想を述べるラムウェジに、現実感が追いつかないらしいイグシオが気の抜けた声で相づちを打つ。ヘイディアは、表情の薄い顔ながら、昼の地帯と夜の地帯をしきりと見比べている。
普通では遭遇し得ない光景を、単純に驚きを持って見回していたルスティナは、イグシオの呟きに、
「そういえば、イグシオ殿はさっきもそのようなことを言っていたな、『似たようなものを見たことがある』と」
「ガキの頃に見たことがあるっすよ。年寄りなんかは世界の終わりだとか騒いでたけど、おれらは教会の教養教室とかで話を聞いてたから仕組みは知ってたし。みんなで、黒く塗った薄紙用意したりして楽しみに待ってたっす。面白いんすよ、小さな穴開けた紙をかざすと、そこから落ちる光の形が変わって……」
「あら楽しそう」
ラムウェジが呑気な声を上げる。ルスティナはピンとこない様子で首を傾げているが、
「お二人の言っているのは、ひょっとして……」
ヘイディアが言いかけたところで、
「なにか、見えるのですの!」
上空で、忙しく空と白い荒野とを見渡していたユカが声を上げた。
空を覆うように広がった黒い巨大な円の、比較的西側、空が普通に晴れ渡っていたら太陽があるのと同じ位置に、浮き上がったものがあった。それは、夜空に浮かぶ満月のような大きさの、白く丸いものだった。
月ではない。月ならあるはずの、片側だけ巨大なはさみを持ったカニのような模様がない。代わりにではないだろうが、所々黒い点がシミのようについている。
一方で、ただの平たんな砂地になってしまった地上の荒野の上にも、同じような白い円が切り絵のように映し出されている。夜のように暗い荒野の中で、そこだけが白く明るく浮き上がり、かといって周りを照らすわけでも無い。
言ってしまえば、黒い紙の上に、白く丸い皿を乗せただけのような、不思議な光景だった。
「な、なんですの、これ……!」
ユカは驚きに言葉を詰まらせる。ルスティナも、イグシオも、何事が起きるのかと、半ば呆然と空を仰いでいる。
だが、
「……なにも、起きないのですの」
空を覆う黒いなにかは、それ以上広がるわけでも無く、そこに現れた白い円も、そこから色を変えたり輝きを強めたりするわけでも無い。そして真っ黒な地上に現れた白いものも、燃え上がったり地上に穴をあけたりするわけでもない。
現れただけ、そこにあるだけ。もちろん、こんな現象が起きること自体が普通では無いのだが、これだけでは起きた理由はともかく目的もさっぱり判らない。
「な、なんなんすか、これ……」
全員の心中をそのまま口からこぼしたイグシオの横で、何故か納得した様子で、ラムウェジが呟いた。
「あー、やっぱり」
「これは、なんなのだ? なにか、不具合が起きているのか?」
蛇遣宮の天頂部分。法円の角の一つである足場部分から、眼下に広がる黒い円盤を見つめていたコルディクスは、思わず声を上げた。
黒い円の上に白い丸を浮かび上がらせた後は、いっこうに新しい動きを見せない。なにか指示が必要なのかと思ったが、王台から自分に従ってきた衛士は、なにも求めて来ないし、質問もない。それどころか、
「『時の裁定』に対応した機能、全て正常に作動しています」
衛士が淡々と答える。
「試運転につき計測される各数値は参考記録となります。次回の『時の裁定』予測は三年と五ヶ月後」
「待て、これは一体なにを……」
「動作確認の目的を達成したため、天秤宮より動作終了の提案が出ています。正当なる動作延長の申請が無ければ、二七〇打刻(秒)後に観測体勢が解除されます」
「観測……体勢?」
理解が追いつかず、耳から入る言葉を繰り返している。天空の一三宮を利用して展開した広大な法円、それを発動させて行ったのが、
「まさかこれって、太陽を……」
「古代の文献にこんな言葉があってね。『月は夜と共に地の傍らにあり、形を変えながら時を刻み、時には天の王たる太陽さえも制する』」
ラムウェジは、中空に広がる黒い円盤に移された白い丸――人間が直視しても安全なほどに光量を落とした状態で映し出される『現在の太陽』の姿を見上げながら、肩をすくめた。
「では、『古き王が滅び新しき王が生まれる』というのは、太陽に月が制され、地に闇が満ちる時、即ち……」
ルスティナの言葉に、ヘイディアは、感心しているのか呆れているのか判断がつかない無表情さで、続けた。
「皆既日食のことでございますか」




