13.街道の落とし物<後>
街道沿いなら、身元不明の行き倒れが落ちていることはどこに行ってもままある。殺されたとか、追いはぎにでもあったとかでもなければ、死体は巡回の衛兵が回収し、近くの町や村に運び込まれる。身元が判るようなものがあれば家族にそれなりの連絡はあるだろうが、なければそれっきり葬られて終わり。普通はその程度の話だ。
「目立った外傷もないから、死に方としてはただの行き倒れらしいんだが……」
説明に困った様子で、エスツファが赤毛に視線を向けた。多少緊張した面持ちで、赤毛が口を開く。
「死体の服が、焼け焦げてるんですよ」
「焦げてる?」
「死体そのものには、特に大きな火傷とかはないんですけど。服のこの……これくらいが火で炙られたように、焦げて、所々焼き切れてるんです。でも周りには、火を焚いたり、携帯用のランプなんかを使った形跡もないんです」
言いながら、赤毛は自分の胸あたりに手で大きな円を描いた。
日中は暖をとる必要もない時期だ。妙といえば妙な話だ。
「ただの行き倒れならどうってことはないんだろうが、その焼け焦げている理由が判らないのが、この辺りの住民には不安らしいのだ。悪いが、ちょっと一緒に見てもらえぬか」
「俺が?」
「元騎士殿もそうだが、エレム殿」
急に名指しされて、グランのおまけ程度のつもりで話を聞いていたらしいエレムが目をしばたたかせた。
「レマイナの神官は医療の知識に長けていると聞くが、それなら死体の外傷を見れば、怪我の原因や、死んだ理由をある程度推測できるのではないか?」
「まぁ……僕は経験が浅いので、簡単な意見程度しか言えませんが」
「それでいい、今回は専門の衛生兵を同行させていないから、意見を聞ける者がほかに居らんのだ。おれ達も、怪我や刀傷なら多少は状況が推測できるが、今回のはどうもなぁ」
赤毛に先導される形で、今度はエスツファとエレムとグランが集落に向かうことになった。さすがにリオンは、ランジュと一緒に幌馬車の近くで待機である。
案内されたのは、街道から一番近いが、小さな集落のなかでは外れに建っている、粗末な小屋だった。
どうやら建物自体は、農作業具の物置としてに使われているらしい。建物の横に、昔は家畜小屋だったと思われる狭い掘っ立て小屋があり、その脇に布をかけられた死体が転がっていた。
先に来ていた兵士と住人達が場所をあけたので、入れ替わりにグラン達が死体の周りに近づいた。ひざまずいたエレムが、死んだ人間相手に「失礼します」と声をかけて布をめくる。
死体は、体の左側を下にして、寝台で眠るように背中を丸めて横たわっている。中途半端な場所で夜になってしまって、とりあえず屋根のあるところで一夜を明かそうとしたか。あるいは歩き疲れて、影のある場所で一休みでもしたかのような印象だった。
死に顔も、割と意外性がない。グランが見た感じ、苦悶の表情などは全くない。やせぎすで顔色の悪い中年の男だが、血色のいい死体というのもおかしいから、これは死体としては普通の部類だと思われた。
というか、グランは色々な意味で派手な死体を見る機会の方が多くて、穏やかに自然死した死体には逆にあまりなじみがないのだ。
死んでからそう時間が経っていないらしく、腐敗した匂いがしたり虫がたかったりというのもまだない。体のどこかを打ったような跡も、切れて血が流れている様子も見受けられない。
服の前面さえ焼け焦げていなければ、ただの行き倒れとしか考えられない死体だった。
なるほど、ちょうど心臓の上辺りを中心に、上着の表面が焼け焦げて、一部は焼き切れて肌も見えていた。エレムは懐から布を出し、その上から焦げた部分の布をつまんでめくりあげた。
「……火ぶくれができてますね」
焼き切れて布のなくなった部分の肌に、確かに所々火ぶくれができている。しかしよく見れば判るという程度で、ひどく焼けただれたり焦げている箇所はなかった。
「てことは、死ぬ直前に服が焼けて火ぶくれができたのか?」
「亡くなった直後でも、血がまだ通っていれば火ぶくれはできると思います。でもどっちみち、この程度の火傷が原因で命を落とすことはないです」
「であろうなあ……」
「薬やお酒の匂いもしませんから、亡くなった直接の原因は外因的なものではなさそうですね」
「……こいつは見つけた時のまま動かしてないのか?」
グランは、ほかの兵士と待っている住人達に声をかけた。
「周りになにか火種になるようなものは落ちてなかったか? でなきゃ、燃えた跡のある木とか紙とか」
住人達は少し考え、横に首を振った。
彼らの話によると、この建物はもとは民家だったものの、今は本当に不要なものを置いておく場所で、普段も滅多に使われていないらしい。たまたま自宅の納屋にない道具を取りに来たら、この男がここで倒れていたという。それもついさっきの話で、いつからこの男がここにいたのかも判らない。
グランは首を傾げ、死体の横に屈み込んだ。
周りの地面を見ても、特に誰かともみあった跡もないし、逆に足を滑らせて頭を打ったような様子もない。この火傷の跡さえなければ、本当にただの行き倒れにしか見えないのだが……
「……この男の所持品はどうしたのだ?」
不意に頭の上から女の声が降ってきた。いつの間にか様子を見にやってきたルスティナが、グランの後ろから死体をのぞき込んでいるのだ。さすがに軍人だけあって、この程度の死体には動じすらしない。
「行き倒れたのだとしても、ある程度の荷物は持っていないとおかしくはないか?」
住人達と兵士達が、慌てた様子で辺りを見回した。
死体の様子に気をとられて誰も気付かなかったが、言われてみればそばには荷物どころか路銀の袋もない。死体が着ている服は上等と言うほどでもないが、それなりに整ったものだ。荷物も持たず貧しい旅をしなければならない層の者には見えなかった。
念のために兵士達に死体を少し持ち上げさせてみたが、やはりなにもない。もちろん住人達も知らないという。
彼らが死者から荷物や路銀をくすねるような真似をするなら、そもそも通りすがりの軍隊に声をかけて死体を見せるようなことはしないだろう。知らん顔をして巡回の兵士に行き倒れを通報して引き取ってもらえばいい。いっそ黙ってその辺に埋めたところで、誰も気付かない。
「……どう解釈するべきであるかなぁ」
「こいつが勝手に行き倒れて、たまたまそこを通りかかった奴が荷物を持ち去ったっていうのが、一番考えやすいけどな」
「ただ、なぜ燃えた跡があるかっていうのが問題ですよね」
死体の頭の上で、グランとエスツファとエレムが揃って首を傾げる。それを見て、ルスティナが呆れた様子で軽く息をついた。くるりと住人達の方に向きを変え、
「で、そちらとしては、この死体のことで我らにどうして欲しいと思っているのかな?」
どうやらルスティナは、これ以上考えてもすぐに答えが出ないとざっくり判断したらしい。
考えてみたらグラン達はこの国の衛兵でもなんでもないのだから、原因の解明など最初から求められてはいなかったはずである。なぜこんな推理ごっこが始まってしまったのか。
集落の人間の意見としては、ただの行き倒れとは違うように思われる死体を、たとえ衛兵が見回りに来るまでとはいえ自分たちで預かるのは不安らしい。要は明日、街道の見回りの兵士が来るまで見はっていて欲しいのだ。
「ここまで関わっておいて知らぬ顔というのもできぬし、何人か残そうか」
言いながら、ルスティナはちらっとエスツファに目を向けた。やりすぎたかと、エスツファは頭をかいている。
「朝まで交代で見張りに付くなら兵は最低二人として、巡回の衛兵が来たら、今の話をまた説明せねばならぬな……ここはエレム殿にも残ってもらって、直接説明してもらったほうがよさそうだな」
「はぁ」
エレムが気の抜けた顔で答えた。あごに手を当てて少し考えた後、ルスティナは小さく頷いてグランに顔を向けた。
「私も残るから、グランもつきあってくれ。兵二人の人選はエスツファ殿に任せる」
グランはともかく、なぜここでルスティナが残るという結論が出るのだ。だがルスティナはしごく当然のような顔で、あっけにとられた男達を見回した。
「兵を数人だけ残すにしても責任者は必要であろう。エレム殿は私が頼んで同行してもらっているのだし、一人放り出して面倒ごとを押しつけるわけにもゆかぬよ」
「だったらおれが残っても……」
言いかけたエスツファが、グランを見たとたん、なぜか腑に落ちた顔つきになった。
「……おれが残っても同じなら、ルスティナでいいのか。どうせ今の調子なら、一日くらい遅れたところで徒歩でもすぐ追いついて来られる」
勝手に納得して、エスツファはグランの肩をぽんと叩いた。
「ということで、ルスティナの護衛はよろしく頼む。代わりといっちゃなんだが、追いつくまで嬢ちゃんの面倒はこっちで見るよ。リオン殿もおるし大丈夫だろう」
別にランジュの心配はしていない。
方針が決まると、後は早かった。見張りには、あれこれ走り回っていた赤毛と、もう一人年かさの兵士が残ることになった。なぜかリオンが必死で自分も残ろうとしていたが、エスツファに首根っこを掴まれてそのまま幌馬車に乗せられていった。
ランジュは全く平気な顔で、リオンの隣で手を振っている。
変な話になったものだ。ルスティナは、乗っていた馬をほかの兵士に預け、装備以外は最低限の手荷物だけを持って、無邪気に手を振るランジュに手を上げて応えている。
そのルスティナの横で、一緒になってエスツファ達を見送りながら、どうしてこんなことになったのか、グランは首を傾げた。
同じように首を傾げていたエレムが、すぐにあきらめた様子で空を振り仰いだ。まだ日没の時間には早かったが、傾いた太陽がそろそろ近くの山並みの影を辺りに落とそうとしていた。