55.天空への道標<10/10>
遙か頭上で、固いものがぶつかり合う音がする。首を巡らすと、「ちいさなもの」の先頭に立つように、ジェームズに乗ったルスティナが槍を振るっていた。
無数に投擲される槍を次々と弾き飛ばせているのは「地の力の枷」を和らげるラムウェジの術のおかげだろう。自分の背丈ほどの長さの石槍を、ルスティナは片手で軽々と振りまわしている。
ルスティナを乗せた神馬の動きもあって、「おおきなもの」たちの統率が乱されている。目の前で壁として立ちはだかるルスティナの排除を優先するか、施設に接近するグランたちを追うべきか、個々の判断が食い違っているのだろう。
肩越しにちらりとルスティナがこちらに視線を向けた。その口の動きに、グランは一瞬、唇を引き結ぶと、
「ラサル、今のうちに施設に突入だ、俺たちが行かないと、あいつら離脱しねぇ」
「最速の経路で実行中である」
土人形であるラサルたちには、人間の逡巡は判らない。命じられたことを、計算通りにそのまま実行している。
浮上する大きな塊が近づいてきた。周囲に集まってくる大きな瓦礫を吸収し、ゆっくりと回転しながら、形を整えているようだ。まだまだいびつだが、球体に近い状態になっていた。
吸い寄せられる大小の岩にぶつからないように、グランたちを抱えた「ちいさなもの」たちは塊の底面部に向かっていく。
予想通り大きな穴が開いている。ルスティナとラムウェジたちの妨害のおかげで、もう「おおきなもの」たちも追いついてくることができない。
グランたちを抱える「ちいさなもの」と、その護衛についてきた十体ほどが、底面の侵入部から、浮上する「施設」の中に入り込んだ。
グランたちを追っていた「おおきなもの」たちが、空中で一斉に動きを止めた。
彼らが『施設」の中に入ってしまったことで、『排除するべき侵入者』ではなくなったのだろう。
「ご一緒に行かれなくて、よかったのですか。ご心配でございましょう」
風を操る祈りの声を休め、ヘイディアが横のラムウェジに言葉をかける。グランたちと「ちいさなもの」たちが中に入ったあとも、変わらず回転しながらさらに大きさを増す「施設」を眺め、ラムウェジは肩をすくめた。
「いやー、目の前であんなの見ちゃったらねぇ。逆に心臓に悪いわ」
ため息のように言うと、
「ヘイディアさんも見たよね? あれ」
「はい」
ヘイディアは言葉少なにきっぱりと答えた。
少しの間、施設の方向を見つめて空中で静止していた「おおきなもの」たちは、揃って同じ動きで、ゆっくりと方向を転換した。白い荒野に残る、「侵入者」たちに向けて。
「あっ、閣下ー、目的達成、撤収でーす!」
グランたちを追っていた「おおきなもの」たちの攻撃が自分たちに集中する、ということなのだが、ラムウェジの呼びかけに緊張感はない。宙で神馬を操るルスティナも鷹揚に頷いた。
ジェームズは、ルスティナを護衛する「ちいさなもの」たちを誘導するように、一旦上空に飛び上がった。すぐに全員が一カ所に合流したら、それこそ「おおきなもの」たちが一カ所に殺到してくる。
「脱出するよ、援護してー」
近くを旋回する「ちいさなもの」たちにラムウェジが声をかける。地上の人間二人と、宙を駆る神馬とルスティナは、「ちいさなもの」たちが盾として「おおきなもの」を相手にしている間に、それぞれ荒野の出口に向けて移動をはじめた。
施設の中は、予想外に滑からな球形だった。
光を通すのか、それ自体が発光しているのかはやはり判断がつかないが、施設の外郭の内側は、なめらかで、形成途中の今でも、相当に広かった。
中には何もなく、なにもいない、かと思ったら、既に入り込んでいたのか、新たに作り出されほたのか、壁面に沿うように「おおきなもの」たちが既に飛び回っていた。
ただ、こちらは、外にいた半人半蜂の衛士たちとは違う。「ちいさなもの」たちは温厚なミツバチがモデルになっていたようだが、一回り以上おおきな「おおきなもの」たちは、牙をむいたような鋭いくちばしをもち、見るからに迫力があった。
上昇していくと、彼らが形作ろうとしているものがなんとなく判ってきた。「六の宮」の施設の内部は、垂れ下がるように六角形の巣房が作られていたが、こちらは壁から中央に向けて、水平に床のようなものが何層も作られている。まだ造作の途中なのだろうが、上層付近に近い平坦な部分に、グランたちは一旦下ろされた。
床は壁と同じ、白い岩のような作りだ。構造からして、何層にもできた床は、支える柱もなく、壁から生えているような状態なのだが、古代人の造形するものに現代の理屈など及ぶはずがない。
「スズメバチ……なんでしょうね。これから、床板の上下に巣房を作っていくんでしょうか」
施設に始めて入るエレムは、おっかなびっくりで足下を確かめ、周りを見回している。
「先に塊で外側の形を作って、内側を広げながら大きくなってるみたいなのさ。面白い理屈なのさ」
床の縁から、上下をふわふわ行き来しながらクロケが感心した様子の声を上げている。
「陶器の器を作るのに、粘土の塊をろくろの上で回しながら形を作ってるような広がり方ですね。ある程度地上で材料の塊を作って、上昇しながら形成してるんだ」
「今作業してるあいつらも、施設と同じ材料から勝手に出来るのかね。空から飛んできたでかい奴らの中には、全身が蜂そのものって奴はいなかったよな」
言っているそばからも、明らかに上下左右の空間が、引き延ばされるように大きくなっていくのが判る。自分たちの体が縮んでいるような、不思議な感覚だ。
のんきに感想を飛ばす三人とは違い、ミンユは想定を超える事態の連続で言葉もないようだ。ぐるりとあたりを見回しては、目の前のものの意味を飲み込むように考え込んでいる。
それでも、慌てふためいたり、混乱に陥らないあたりは、ラムウェジの従者として鍛えられてきたのだろうか。あるいは、未知に対して極端に動揺しない者を、ラムウェジは選んで連れ歩いているのかもしれない。
グランたちがある程度状況を把握したのを見計らったかのように、仲間たちと控えていたラサルが声をかけてきた。
「グランバッシュ殿、再構築された施設は、上昇に伴い『王台』が形成される。そこに女王の核が生成されれば、この宮からも全体の情報を得ることができるだろう」
「そこで、『天秤宮』に侵入する方法を探らなきゃいけないのか」
「女王の核は、作業従事者には必要な情報を必ず提供する。但し、我らが施設に侵入した時点で、『黒きひと』に存在が把握されているのを心せよとのことである」
最終的な目的は、天秤宮にグランが侵入し、『女王の核』の持つ防衛機能を使って、コルディクスに干渉された施設機能を修正することだ。
コルディクス自体をどうしろという話は、そういえば「女王」からは聞かなかったが、ぶん殴るくらいはしてもよいだろう。
「『王台』とか、『女王の核』ってなんですか? 詳しく教えてもらう時間はありますか?」
そういえば、エレムとミンユは地上組なので、ラムウェジからも大雑把な話しか聞いていないはずだ。ラサルは回答の順位を思案するように少し間を置くと、
「……概算としては、王台形成まで、貴殿らの単位では四分の一時(※一時は二時間)。女王の核が交信可能状態まで生成されるのはそこからさらに四分の一時である。施設の上昇完了まで一時の余裕がある」
「説明しながら休憩するくらいはできそうだな」
早朝に出立して以来、グランはずっと動きっぱなしである。これでまだ、やっと昼を過ぎたくらいなのだから、今日はいろいろと働き過ぎな感はある。
やっと休憩、という空気になって、エレムはふと目をしばたたかせた。
「……そういえば、ユカさんはどうしたんですか? 下では戻ってきたところを見てないですけど」
「あー。あいつは……」
※ ※ ※
「ひどいのですの! わたしも参加するのですの!」
荒野の外に出た山道、呆然とへたり込む旅人二人と、イグシオの頭上で、「ちいさなもの」に抱えられたユカがわめいていた。
「巫女殿は安全な場所で待機させるようにとのグランバッシュ殿の指示である。あまりにも不満なようであれば周辺の散策でもするようにと言われている」
「散歩でご機嫌取りとか馬鹿にしてるのですの!」
説明の後ろにあるグランの真意を的確に読み取って、ユカは手足をじたばたさせている。
「厄介者扱いは心外ですの! わたしも連れて行くのですのー!!」
「肝の据わったお嬢さんっすねぇ」
疲れと驚きで言葉もなく座り込む民間人二人の横で、イグシオが感心したように呟いた。




