36.地を駆け、空を駆け<2/5>
……グランに生成途中の槍をはじかれ、その衝撃でふらついて高度を落とした一体の背に、崖下から勢いをつけて跳び上がってきた小柄な影が飛び乗った。
影はまず、飛び乗った勢いで蜂の背を蹴り落とした。更にその勢いを利用して、先行してグランに突っ込もうとしていた二体のうちの片方に、背中から蹴りを入れたのだ。
人間一人に勢いを乗せた跳び蹴りを食らい、蜂は大きく均衡を崩し、狭い岩場に墜落に近い勢いで落ちていった。小柄な影はその背から更に離脱し、軽々と宙で身をひねっている。
おかげで、一体を相手にするだけで済んだグランは、急襲する蜂の槍先を剣の刃で受け止めつつ、横に勢いを滑らせるように受け流した。
思っていた以上に重い手応えと、視界を埋める巨大な蜂の姿。
グランは真横から、その蜂の胴体を大きくまわし蹴った。
生き物というよりは、岩を蹴るような衝撃が、膝当て越しに伝わってくる。一方で、攻撃を受け流された上に、横方向からの思わぬ反撃をくらい、蜂は地面を滑るようにはたき落とされた。
「ご無事ですか、グランバッシュ殿」
落ちてきた高さの割りに軽い足音で着地し、小柄な影がグランの横に駆け寄ってきた。その声と姿に、グランは状況も忘れて目を丸くした。
ラムウェジの従者のミンユだ。リノが恩を売りにでも来たと思ったら、予想外すぎる。
「なんだ今の、お前、どういう……」
「子供の頃から、祖父の方針で鍛錬しておりまして」
「鍛錬って程度じゃねぇだろ!」
リノの動きも大概だが、今のミンユの跳躍力は尋常ではない。確かに道中、やけに身軽だと思っていたが、あの崖下から、どうやってここまで登ってきたのだ。
「それより、あれはなんだと思いますか。今の感触では、あれは血の通った生き物には思えません」
ミンユは身構えながら、目の前で起き上がろうとしている巨大な蜂に目を向けた。
丸みを帯びた大きな下半身を支えるのは、上半身との境目の腰部分から生えた細長い四本の脚だ。あんなものであの体を支えられるのかとも思うのだが、背中の羽の働きもあるのか、動き自体は割りと機敏だ。
こういう生き物を……いや、「生き物」なのかは判らないが、似たような存在に、グランは心当たりがあった。だが、あれらは原則、人間には危害を加えないはずで、そもそも真っ昼間から積極的に人間の前に出てくるような『設定』もなされていないはずなのだ。
しかし現実として、自分は問答無用で襲われて、目の前の『蜂』は今も槍を手に体勢を整えようとしている。地面に落ちて、手の届く今のうちに『壊して』しまった方がいいのか。生け捕り? にしたところで、情報を得るてだてがあるんだろうか。とっさに判断をつけかねていると、
崖の別方向から、新たな羽音が響いてきた。さっきミンユが蜂を蹴り落とした場所とは違う。
ヘイディアの援護のおかげで引き離された後続二体が追いついてきてしまったのだ。
振り返ると、ほぼ同時に崖下から躍り上がった二体の手には、既に新たな武器が現れていた。今までとは違う赤い槍。
それは炎で形作られていた。
「魔法まで使うのか!」
とっさに剣を盾にする姿で構え、ミンユを背にかばうようにグランは踏み出した。
放たれた炎の槍を察知して、グランの前に光の法円が展開する。眼前で法円に受け止められた炎の槍は、法円に呑み込まれると同時に、勢いだけを突風に変えて、顔をかばったグランの髪を地面の砂利ごと巻き上げた。
「な……」
腕をかざして突風から身を守っていたミンユが、顔を上げてあっけにとられている。炎の槍を呑み込んだ法円は、鷹ほどの大きさの炎の鳥に姿を変えて、グランを護るように翼を広げていた。
「判っててもひやひやするな……」
そもそもこの法円は自分の意思で現れるわけではないので、大丈夫だろうとは思っていても
心臓に悪い。しかしこれがあれば、少なくとも魔法の炎による攻撃は心配しなくて済む。この期に一気に反撃しよう、と踏み出そうとしたグランは、
蜂たちの様子が一変しているのに気づいた。
グランに蹴り倒されて態勢を整えようとしていたものも、ミンユに蹴り落とされてふらふら戻ってきたものも。そして、並んで目の前に遅れて現れた二体も、揃って攻撃の動きを止めている。
グランにはそれは「新しい情報を与えられ、それを頭の中で処理しているために、一時的にほかの機能を停止している」ように見受けられた。
グランに炎の槍を放った二体は、右手に新しい石の槍を生成しつつも、中空で静止したまま、楕円形の大きな瞳を輝かせていた。赤みを帯びた大きな目が、穏やかな黄に色を変えていく。
対応を決めかね、剣を構えたまま注視しているグランの前で、二体はグランから距離をとってゆっくりと地面に降り立った。飾りかと思っていた人間の形の唇が動く。
「――――」
投げかけられてきた言葉は、どこかで聞いたことがあるが、グランには理解できないものだった。意味が判らないから、当然答えられない。それがしばらく流れた後、だんだん漏れてくる言葉が、自分たちの言葉に『寄って』きた。
「――炎の鳥を従える貴殿に問う。貴殿は『寄り添いし者と供に在りし者』……グランバッシュか?」
「……それをどこで聞いた?!」
グランの問い返しを肯定と受け取ったのか、二体は揃って姿勢を変えた。槍を左手に持ち替え、穂先を天に向け、あいている右手を胸元に添える。
「同胞の恩人に対する無礼を詫びる。我らは新しき人が『古代施設』と呼ぶ×××の衛士」
途中、聞き取れなかった部分は、もともとの『彼ら』の言語なのだろう。翻訳できる単語がないから、元の言葉で発音したのだ。
同胞とは、例の地下水脈にいた『蟻』たちのことで、何らかの交信手段があるようだが、それを問う隙も見せず、蜂は淡々と続けた。
「グランバッシュ殿、貴殿の特徴が、施設の上層機能を制圧した侵入者と酷似していた。情報は追加更新された。以降、我が部隊は貴殿への攻撃を完全に停止する」
まるで訓練された軍人のような物言いだ。ぱきぱきと言葉を連ね、そこでまた、蜂はなにかを考えるように動きを止めた。
「……貴殿には、我らの現状を改善する能力があると見込まれると、『女王』が判断した。どうか施設機能を奪回するために協力願いたい」
「はぁ?」
こっちは、『自分が間違って攻撃された』のをやっと呑み込んだばかりだというのに、立て続けに何を言い出すのか。まったく状況の呑み込めないミンユが目を白黒させているのが、後ろを見なくても伝わってくる。
問い詰めればいいのか、今までの経緯を詳しく説明させればいいのか、それとも一旦みんなと合流した方がいいのか、もう順序も組み立てられないでいるうちに、
「あ、なんかもう一段落ついてるっぽいのさー」
「グラン、大事ないか」
崖下から、ルスティナの肩を支える形で、クロケがふわりと飛び上がってきた。




