11.図書館騒動<後>
「礼服を作るついでに、ルスティナが頼んでくれてたんだとさ。左肩のだけでもよかったんだが」
長い間使っていた揃いの肩当てと胸当てだが、この間の騒ぎの中、グランは左の肩当てを失った。
イグに壊された……というよりは、踏み込む隙を作るためにわざと壊させたのだが、後ろで見ていたカイルには相当危ない場面に思えたのだろう。グランが使っていたものと、ほとんど重さも形も変わらないものを用意できないか、ルスティナに相談していたらしいのをさっきエスツファに教えられたのだ。
自分のことしか考えていなかったあの王子に、こういう気配りができるようになったとは驚きだった。口調もなんとなくしっかりしてきたし、変われば変わるものだ。
確かに新しい肩当てと胸当ては、多少表面の艶が美しくなっただけで、つけ心地は全く前のものと変わらなかった。内側になにかの加工がどうのこうのとか言っていた気がするが、使い勝手が変わらないのならグランは構わないから、あまり詳しく聞いていなかった。
……そういえば、月花宮でグラン達が最後にいた辺りの瓦礫の下から、まっぷたつに割れたグランの肩当てと、イグが身につけていたクロークは見つかった。しかし、イグが持っていた、グランのものとそっくり同じ形をした剣は未だに出てきていない。もちろんイグ自身も。
「『ラグランジュ』や『ラステイア』のことなら、調べるのはほどほどでいいと思うけどな。どうせあれに関しては、本当に必要なことはどこにも書いてないんだろう」
「……それもできれば詳しく調べたくはあるんですけど」
食べ終わったあとの紙包みを几帳面に四つ折りに畳みながら、エレムは気恥ずかしそうな顔で首をすくめた。
「僕が知りたいのは、……その、僕に法術の素質があるとして、どうして僕だけあんな形であらわれたのか、ということなんです」
エレムは前々から、自分にも法術を扱える素質があるらしいようなことは聞かされていた。しかしエレムの祈りに答えるようにあらわれたのは、一般的にレマイナの法術師が扱う癒しの力とは違うものだった。
それに、あの時はその場にいた全員を瓦礫から護るほどの強力な力を見せたのに、事が落ち着いたら、もう自分の意思で同じようなことを起こすことができない。もちろん、人の怪我や不調を癒すことができるようになったわけでもない。あれはなにかの間違いだったのかと本人が首をひねるくらい、前と全くかわらない。
「古代神話の中に、火や風や水を操る力についての記述がよく出てくるんです。それをおおまかにひっくるめて今の学者は『古代魔法』って呼ぶらしいんですけど、それが、今見られる法術よりも、ずっと強力で種類も多様なんです。ひょっとして、古代には普通にあったもののごく一部が、かろうじて残っているのを、今の僕たちは『法術』と呼んでいるだけなのかも知れません」
言いながら、記憶をたどるように指でこめかみをつついている。
「古代都市の仕組みのひとつとして、都市を丸ごと覆う『見えない壁』の話がありました。嵐や干ばつといった大きな危険から、盾のように都市をまるごと護る力を、古代人は扱えたみたいなんです」
「見えない壁……ねぇ」
そういわれれば、あの時エレムが見せた力は、確かにそんな風にも表現ができる。
「神話として扱われている話なので、あまり鵜呑みにするのもどうかと思います。でも、それをどういう風に使っていたのかなんて判れば、僕もあの力を少しは自由に使えるようになるかもしれないとも思うんですよね」
「ふぅん……」
「グランさんだって、僕がああいう力をもう少し使いこなせるようになれば、なにかと安心だと思いませんか?」
グランは手元で開いたままだった本を閉じ、テーブルの上に放り投げた。
「確かにあれば少しは便利かも知れねぇけどさ、別に俺、法術が使える使えないでお前と組んでるわけじゃねぇし」
「まぁ、今までは、無いものだと思ってましたから」
「思うように使えないって事は、普段は無理に使う必要がないって事なんじゃねぇの。俺も剣持ってるからって、四六時中振り回すわけじゃねぇし。あんまり深く考えなくてもよさそうだがなぁ」
「使えるのに使わないのと、使おうと思っても使えないのは全然違うと思いますけど……」
「そりゃそうかも知れないが」
言いながら長椅子に横になって肘掛けに足を投げ出す。エレムの長口上を聞かされていたら眠くなってきた。
「グランさん、休むなら部屋に戻ったほうが」
「アルディラが顔出しに来てるんだよ。カイルに挨拶に行くって一回いなくなったけど、また捕まったら面倒だ」
「それでここに逃げてきたんですか」
エレムが呆れたように笑みを見せた。畳んだ包み紙をテーブルに置いて、自分はまた読みかけの本の前に戻っていく。
「まぁ、調べて気が済むなら好きなようにすればいいさ」
ヘイディアとかいう神官のことも話すつもりでいたのだが、今はどうでもよくなってしまった。グランは自分の腕を枕にして目を閉じた。
エレムが頷いたのが気配で判った。ついでに口の中でなにか言っているらしいのも判ったが、それももうグランにはどうでもよくなっていた。
出立の日まで、アルディラにまた煩わされるのかとうんざりしたものの、彼女が修繕中の城に遊びに来たのは思ったほど多くはなかった。アルディラが動くとオルクェルもついてこなければいけない、という事情もあるのだろう。それ以上に、エルディエルの姫君が来たとなれば、この状況下でも迎える国側としては色々することがあるのだ。
アルディラに会うために、この国の地方領主や名士達だけではなく、隣接する国からもそれなりの地位の者達が訪問してきていたようだ。離宮の警備を統括しているフォルツは、貧乏くじを引いたとぼやいていた。
離宮がそれなりに華やかになっている一方で、別のことが水面下で行われていた。
宰相シェルツェルの、ひそやかな葬儀がまずひとつ。あとはシェルツェルが存命中に、裏で抱き込もうとしていた貴族や富裕層の市民達と、権力を広げるために手を回していたらしいあれやこれやの洗い出しだった。そのあたりはエスツファを中心にした黒弦の副官達が一手にやっていたようだ。グランと一緒に遊んでいるだけだと思っていたら、エスツファもやることはやっていたらしい。
シェルツェルが積極的に抱き込もうとしていた者たちの処遇が、今後どうなるのか。その点に関してはグランは部外者なので、あまり詳しいことは知らない。
ただ、「ラステイア」の効力が失われたことで王が目に見えて正気を取り戻している点を考えると、同じようになにかの大きな力に操られるように、シェルツェルになびいていた者たちも少なくないのではと思われた。
あまりにも目に余る動きを見せていた者は水面下で速やかに処断されるらしいが、そうでない者は、ルスティナとエスツファが不在の間、様子を見ることになり、その後に改めて処遇を決めるようだ。
シェルツェルの権力が全盛だった間も、ルスティナとエスツファを筆頭にした白黒両弦の騎兵隊員は正気のままだった。彼らの多くが、先代の黒弦総司令フェルザントの教育を受けていたことも大きいようだ。ルスティナとその義理の姉である前妃とのつながりも、ルスティナがシェルツェルに不信感を抱く助けとなった。持ち主に有利に物事を運ばせる働きを持った『ラステイア』にも、容易に力及ばない部分があるのだろう。
フェルザントの不肖の息子で、更迭された上加療中の前黒弦総司令ロウスターのことは、あまり話題には上ってこなかった。
ロウスターはエルディエルからの攻撃のさなか、ルスティナ達を取り押さえようとしてエレムに返り討ちにあっている。打撲だけで命に別状はないが、どうも打ち所が悪かったようで、記憶がある程度なくなっているらしいのだ。加療中の振る舞いから、ひょっとしたら知能も退行してしまったのではないかとも言われている。それが一時的か恒久的なものかは、まだ判断がつかないようだ。
エレムは、ロウスターがそんなことになっているのを気に病んでいる、かと思えばそうでもなく、
「剣を抜いたら迷わない、結果がなんであれ後悔はしない。それを教えてくれたのはグランさんですよ」
さばさばとした様子で笑っていた。確かにロウスターのけがは、奴がそれまですすんでシェルツェルに加担していたことが返ってきただけに過ぎないのだ。
シェルツェルに利用さえされなければ、ただの無能な二代目と笑われる程度で済んでいたのだろう。グランはたった一度顔を合わせたきりだが、あれは絶対に総司令などという器ではなかった。器にそぐわないものを与えられれば、人は不幸になるという見本のような奴だった。
ただ、シェルツェルがイグを――『ラステイア』をどうやって手に入れたか、シェルツェルを成り上がらせるためにイグがどのように行動してきたのかを、ロウスターなら知っているのではないかと考えていただけに、それだけはグランとエレムには少し痛かった。
それでも出立の日まで、彼らは慌ただしくも穏やかに過ごしていた。
ちなみにグランのために新しくしつらえられた礼服の最初の出番は、エスツファの黒弦騎兵隊総司令任命式だった。
そもそもなぜグランとエレムとランジュが立ちあわされたのかさっぱり判らないが、誰も不満には思わなかったようだ。エスツファは、任命式が終わった直後の副官達への第一声で、「絶対副官に返り咲いてやる」と前代未聞の名言を残した。
丸一日続いた雨が綺麗にやんで、空はすっかり夏の色をしていた。この国に来たときは、エルディエルの隊列とルキルアの部隊が連なって王都を出立する、その中に自分達が一緒にいるだなんて思いもしなかった。
最後に広場の水売りの娘から、果実水でも買っておけば良かったかなと思ったが、グランが思い出した時にはもう、王都ルエラの門はだいぶ後方に小さくなっていた。