25.北の山から<2/6>
『ほかの使者達とも挨拶してくる』と、離れていったティドレ達を見送ると、
「カシルスさんって、侍従が仮の姿みたいな感じのひとですね」
「前妃が健在だったら、ティドレの参謀とかやってそうだな」
「国というのは、やはり人のつながりで保たれているものなんですねぇ」
しみじみした様子でエレムが呟いている。
アルディラは、カカルシャ王一家との挨拶を終えると、今度は順番待ちをしている他の国の使者や貴族達の相手に忙しそうだ。付き添うオルクェルと護衛の騎士も、なかなか大変そうだ。
会場内は特に不穏な様子はないが、あちこちでまとまって会話している集団は、不安げな様子の者も多い。やはり街道の封鎖に絡んだ、今後の影響を心配しているのだろう。
ルスティナとエスツファは、カカルシャ王家との挨拶待ちのようだ。周りの様子を見ながら、同じように順番待ちをしている各地の使者や貴族達と挨拶を交わしている。
その一方、アルディラやカカルシャ王一家とは別の場所で、妙に賑わっている集団があった。
ご婦人方が多いので、使者の連れて来た家族の女性らが交流しているのかと思ったら、中心にいるのは知った顔だった。ちょっと古い時代を思わせる貴族風の身なりの美しい青年、人間の姿をとったジェームズだ。
「またあいつはなにやってんだ……」
「縁のある人間がいる場所は潜り込みやすいんでしょうかね……」
ついてこいとなど一言も言っていないのに、なぜこんな場に潜り込んでいるのか。
グランに恫喝もとい論破されて協力を承諾したときはものすごく不本意そうだったのに、人間のご婦人に囲まれている今はとても生き生きしている。そもそも実体がないはずの存在なので、「生き生き」だのと表現していいのかもよく判らないのだが、とにかく笑顔が生気にあふれて、周りの空気まできらきらしているように見える。
会場内にいる人間は、一応警備の確認を受けて正面から入ってきたもののはずなので、給仕や騎士達も見慣れない顔のジェームズに首を傾げつつも、不審者だとは思っていないようだ。
「害がないなら、放っておいていいんじゃないでしょうか」
「役に立ちそうな気もしねぇけどな……」
しかしあれのおかげで、噂好きな貴族達の中でも自分たちがあまり目立たずに済んでいるような感はある。それはそれで妙に腹立たしいが。
会場を見まわしても、今のところ、特に警戒が必要なことはなさそうだ。人が集まれば、それだけ情報も集まるが、封鎖に絡む山岳地帯の情勢はともかくとしても、裏道で起きている事態に関して新たなことが判るかは疑問だ。
「まぁ、なんにしろ今日はこの会が問題なく終わればいいんだよな」
ルキルアからここまでやってきた旅の、今日は一区切りの日なのだ。明日からのことは明日悩めばいい。やっと気持ちに切り替えがついて、グランは目の前のテーブルから空の杯を手に取った。近くにいた給仕がめざとく、飲み物をつぐために近づいてきたが、
「……っなにやってんだ!」
杯の中を覗き込んだグランが声を上げたため、周りの者が何人か驚いてこちらを振り返った。杯からなにかをつまみ出したような仕草に、エレムも目を丸くしている。
「ど、どうかなさいましたか」
「あ、いや、虫が入ってたみたいだ」
「それは失礼いたしました、お下げいたします」
右手を後ろに隠した形で、平静を取り繕ったグランは、促されるままに左手の杯を給仕に渡した。空だったはずの杯の底にはなぜか水滴が溜まっているが、給仕は気がつかなかったようだ。
新しい杯に適当に葡萄酒をついで貰い、恐縮している給仕を追い払う。グランはため息を吐き出した。
「……ったく、危なく飲んじまう所だったぞ」
「まぁ、もとは水ですから、害はないでしょうけど」
「どこを歩いてきたか判んねぇだろ!」
小声で吐き捨てながら、グランは丸めた右手を胸の前に持ってきた。手のひらの中で、尻尾をつままれた透明なトカゲが不服そうにじたばたしている。
どこからどう見ても水でできていて、表皮などもないのに、形も崩れずトカゲの形を保っている。ユカの使い魔のチュイナだ。エレムも正体に気づいて苦笑いしている。
「……ユカさん、見学もいいですけど、事前に一言言ってくれませんか」
「ルスティナあたりにくっついてきたんじゃねぇの」
もともと水でできているから、誰かに見つかったら姿を解けばいいだけだ。しかしこいつを操る有効距離はどのくらいのものなのか。あまり離れて、術者と交信できるものなのか。魔法や法術に理屈を求めても仕方ないのだろうが。
「……あれ? なにか話しかけられてますよ」
「ん?」
どうしてやろうかと手の中でチュイナをぶらぶらさせていたら、エレムが別の方向を見て声を上げた。グランの気がそれた隙に、チュイナは身をよじってグランの手から逃げ出し、エレムの腕に飛び移ってするすると肩によじ登っていく。
他国の使者と会話していたルスティナに、盆を持った給仕が近づいていく。乗っているのは料理や杯ではなく、二つ折りの伝言紙のようだ。それを受け取って目を通したルスティナは、会話相手に簡単に挨拶をして話を切り上げ、身を翻してこちらに向かって歩いてきた。別の場所で調子よく会話していたエスツファも、気づいてこちらに近寄ってくる。
「……会が一段落したら、城内の宮廷騎士団会議室に来て欲しいそうだ。山中で現れる異形の件らしい」
「誰からの言づてだよ」
「ラムウェジ殿だよ。城内にいらしているようだ」
立食形式の昼餐会も順当にお開きになると、近隣国の使者達はそっくり場を移し、街道の封鎖問題に絡んだ話し合いに入ってしまったようだ。
夜はアルディラを主賓とした晩餐会があるようだが、それに参加するのは、カカルシャ王族くらいらしい。他国の使者同士、宿として借りている屋敷や身を寄せている貴族の館を利用した会食や舞踏会など催す者もあるようだ。
皆、それぞれの次の行き先に移動をはじめる中、ルキルアの一団だけは使用人に案内され、敷地内の別棟に招かれた。重厚で立派だが、廊下も扉も若干狭くて天井も低い、石造りの建物である。歴史を感じさせる趣と言えば聞こえはいいが、要は宮殿が新設されて機能を移された後の旧カカルシャ城をそのまま、宮廷騎士団本部として使っているらしい。
「新兵の頃に配属された、国境近くの砦を思い出すな」
入り口からは案内役が衛兵に変わり、先導されるエスツファが妙に懐かしそうに首を巡らせる。旧王城に対してその感想は果たして褒め言葉なのか。
通された先の会議室には先客がいた。先日会った騎士団長とラムウェジは判るとして、ヘイディアまで横に控えている。アルディラの公務中は、護衛についているはずではなかったのか。
それを問う前に、
「あ、いらしたのですの!」
ヘイディアの後ろできょろきょろしていたユカが、自分たちを見て明るく手を振っている。グランとエレムは揃ってルスティナに目を向けた。




