21.魔法使いと精霊と<5/7>
衛兵本部は、官報板の掲げられた役場の裏手にある。門前から、わりと物々しく警備が置かれていて、旅の人間が気軽に覗こうとは思わない雰囲気だ。
用意された馬車に乗せられたうえ、ルスティナはともかく、ユカまでくっついてきた。カイチの村に一緒に行っているから、まったく無関係ではないのだが、ユカがこの話で役に立つとは思えない。
とはいえカカルシャ側から見てみれば、グラン達はラムウェジの関係者で、ルスティナはルキルア国の使者でもある。ぞんざいにはできない。
馬車から降りた後は、馬で先導してきた使いの兵士に先導され、入り口で誰何されることもなかった。そもそも、離宮まで迎えにやってきた使者役の兵が、わりと上の階級の者らしい。なかなかの上級待遇に、ユカの機嫌もそこそこ上向いているようだ。
通されたのは、二階にある会議室の一つだった。部屋の前にも警備の兵が立っていた。
部屋の中央の大きなテーブルに地図を何枚か広げ、ラムウェジとヘイディア、上級軍人らしい身なりの男らが難しい顔でなにやら相談している。会話には加わらず離れた場所で控えている者が別に数人いるが、無関係というわけでもなさそうで、ラムウェジ達の話に耳を傾けている。
先導してきた兵士とともに入ってきたグラン達に目を向け、ラムウェジはお気楽な笑顔を見せた。
「急に呼びだしてごめんなさいね。閣下までお付き合いくださってありがとうございます。明日が本番なのに」
「午前中で必要な打ち合わせは済んでいたので、勝手に押しかけてしまった。なにごとかあったのであるか?」
「いろいろ、新しいことが判ったんだけど、その……」
ラムウェジは少し考え、そばに立っていた兵士の一人に目を向けた。確か、カイチの村で警備に当たっていた兵士の一人だ。兵士は軽く腰を折ると、
「皆さんが町に戻られたあと、あの抜け道から別の一行が降りてきました。イムールの北側にあるハンジャ国所属の軍人です。彼らが言うに、抜け道を使って向かっていたはずのハンジャ国の使者一行から、その後まったく連絡がないとのことで、念のために追いかけてきたのだそうで」
街道は封鎖されているが、裏道を知っているのなら、到着後もその道を使って使者を立てるのは可能だろう。だが、
「カイチの村では、それらしい一行が通過したのを誰も見ていない。別の下山口を使った可能性もあるので、フオーリでの市門の検問記録も照会しましたが、ハンジャ国の使者が通過した記載がないのです。彼らは山中で消息を絶った可能性が高い」
それまではただの好奇心で話を聞いていたユカが、エレムの法衣の袖をぎゅっと掴んだ。
「しかも、訪れた一行が言うに、裏道を使った後連絡が絶えているのはハンジャ国の使者だけではないらしいのです。街道が封鎖された向こう側の町村では、カカルシャ周辺で売るための商品を預かった地元の運び屋が、期日になっても帰ってきていないなど、漠然とした噂と不安が広がっています。それもあって、確認のために追いかけてきたのだと」
「……私たちの頼んだ案内人さんも話してたけど、慣れた者がいれば、そんなに何日もかかるような道ではないそうなの。ましてや、先に入ったものが立ち往生していたら、それに気づかず追い越してくるようなことはないだろうって」
しかし実際、ラムウェジ達はほかの誰を追い抜くこともなかった。山中で、あるはずのない場所に出て、空飛ぶ異形に襲われるエトワール達に遭遇した以外は。
「山中で異形に遭遇したというラムウェジ殿の話、疑っていたわけではありませんが、やはりにわかに信じがたいものではありました。それが……ここにきて、考慮せずにいられない状況になってきたのです」
エトワールの一行が羽のある異形に襲われ、一部は連れ去られた。エトワールともうひとりだけは、ラムウェジが遭遇した際に、なぜか置いて行かれた。
「……ラレンスのときみたいですの。海からなにかがやってきて、人がいなくなったのですの。海の底で魚の卵みたいになってたのですの」
この世界では『起きなかったはず』の光景を思い出したのか、ユカが小声で呟いた。黙って控えていたヘイディアが微妙に眉を動かす。
ラムウェジはそれに気づいたらしく、口元に手を当てて少しの間なにか考えていたが、
「……そうなると、『あるはずのない開けた場所』についても真剣に考慮しないといけなくなってきたのだけど、それについて面白い記録がみつかったそうなの。ほら、この一帯は『探訪者の街道』を通す際に、詳細な地形調査が行われてたって言ったでしょ。そのとき、地元の案内人と協力して山中の測量をしていた、地質学者ケルヴィンの記録があるんですって」
視線を向けられ、控えていた学者風の女が、テーブルの上に置かれた、古びた書物を手に取った。自分は王宮書庫の司書である、と簡単に挨拶しながら、しおりの挟まれた頁を開く。
「この記述によると、測量のために何度か山中に入ったものの、地図として表記すると、『どうしても近づけない』場所があるらしいのにケルヴィンが気がつきます。別に、地形上特殊な条件があるわけではない。傾斜と距離を測定しながら、計画範囲を網羅しようとしているのに、気がつくと、その場所を迂回しているというのです。戻ってきて計測結果を照らし合わせ、地図を埋めようとしても埋まらない。まるで『なにかに化かされているようだ』と、調査員が首をひねる。
何度も同じことが起き、ケルヴィンはその地域の計測のために、別の方法を模索しはじめます。この後の記述は、歴史上『伝説』あるいは『空想』として扱われることが多かったのですが……」
と、司書はなぜかヘイディアにちらりと目を向けると、
「ケルヴィンは地上の計測ではなく、空からの目視を計画しました」
「空から、ですか?!」
耳を傾けていたエレムが、さすがに声を上げる。
「そうです。現地にたどり着けなくても、全体を見下ろせる場所から、地形全体を目視する。ケルヴィンが着目したのは、山岳地帯のある部族が、娯楽、あるいは広範囲の連絡用に利用していた凧でした。……凧って、お判りですか?」
「判りますよ、主に東洋で使われる民芸品ですよね。細い竹ひごや木の棒で枠組みを作って、それに紙や布を張って、紐で操りながら風を受けて飛ばすんです」
とっさに想像できないグランとユカに、簡単に指で形を示して見せる。
「シャザーナの伝承で、巨大な凧に兵士をぶら下げて飛ばし、敵陣を急襲した話があったように思います。実際の話かはわかりませんが……まさか、それを?」
「そうです、ただ、山は天候によって風向きが変わりやすく、危険も伴います。目視するわけですから、当然、視力の善し悪しも関わってくる。凧に括るなら、体も軽い方がいい。つまり、『一定の風向き、長時間の安定した風量が見込める条件下』で『信頼できる強度を持った凧』と、『身の軽い』『目のよい』観測者が必要になります。
凧はともかく、ほかの条件がそうそう上手く揃うようには思えませんが、ここが伝承と言われるゆえんで、ケルヴィンは、たまたま通りかかった旅の軽業師相手に観測者としての依頼をして、偶然近隣を訪問していたルアルグの法術師に協力を仰ぎました。名前も残っています、軽業師は『リオ・トゥラーデ』、ルアルグの神官殿は『ヴェーティエル』」
 




