18.魔法使いと精霊と<2/7>
場にまったくそぐわない二匹の素性を聞くわけでもなく、ラムウェジがジェームズに問いかける。きっと、見ただけで、ジェームズの正体がどういうものかは判っているのだろう。
ジェームズは芝居がかった動きで肩をそびやかした。こいつは人間の姿の時は、見かけも動きもいちいち大仰だ。
「契約が切れていないから死んではいないようだが、こちらからは居場所が感知できぬ。……人間の魔法使いは、状況によっては相手の精霊や魔力そのものを奪うことができるのであろう? キルシェ殿はそれを警戒して、空間の転移が封じられてとっさに、別の次元に逃げ込んで身を隠したのだろう」
「『次元』って奴は、前にもどっかで聞いたな……」
グランが首を傾げ、エレムが記憶をたぐるようにこめかみに指を当てる。リノはなにか言いかけ、ラムウェジを気にするように首をすくめた。それに気づいたエレムが、
「ああ、次元というのは、前にリノさんが言っていた、『重なり合った、別の世界』のことですよね? そんなに簡単に行き来できるものなんですか?」
「その解釈も正確ではないが、……”白いの”、そなたの懐にある書物をちょっと貸してみよ」
ジェームズから、ごく自然に”白いの”と呼ばれ、エレムは目を瞬かせた。だが、隣にいるグランを見てすぐに納得した様子で、懐に入っていた辞書らしき小さな本を取り出した。
ジェームズは受け取ったそれ軽く掲げ、
「……世界とは、このようなものだ。ひとつであり、無数」
「意味わかんねぇよ」
「いいから聞け。これは書物としてはひとつだが、頁は無数にある。この重なった紙、一枚一枚が、似て異なる世界だ。今こうして、そなたらと向き合って話している我らも、実は別の世界の存在だ」
「意味わかんねぇって」
「だから黙って聞けというのに。とにかく我らは、別の世界にありながら、同じ世界に存在している。だから、『重なり合った世界』であり、これを人間の錬金術師や魔法使いらは『次元』と呼ぶようだな」
グランはまったく納得がいっていない顔をしているが、眉をしかめたエレムに黙って首を振られ、仕方なく口を閉ざした。ジェームズは、グランとランジュ以外の者が真剣に耳を傾けているのに満足した様子で、書物を適当に開き中の一枚を示した。
「さて、このなかのこの頁が、今のこの世界だとする。キルシェ殿がいた場所を、ここだすると」
頁の中央の、ちょっと線の詰まった文字が、ほんのりと白く輝いた。リオンとユカが目を丸くする。ああ、そういえばこいつ、ただの馬じゃなかった。
「転移の魔法が封じられ、位置そのものを変えることができない。しかし、その場に留まっていたのでは捕らわれてしまう。キルシェ殿はとっさに次元に穴を開け、隣の、重なった世界の同じ場所に移動した」
ジェームズが次の頁を重ね合わせると、白い光は重なった紙の上に移動してきた。
「どうやら、件の魔法使いは次元を越える魔法までは使えぬようだ。キルシェ殿は世界を越えることで、捕らわれることは免れたが、もとの世界に戻るには、来るときに開けた穴を使う必要がある」
ぱたんと、ジェームズは冊子を閉じ、胡散臭そうな顔のグランに目を向けた。
「”黒いの”よ、キルシェ殿が私の住まいに貴様を送り込んだ時に使ったのと、同種の術だ。貴様は本能で、『出てきた場所から』戻ったのであろう」
「人を野生動物みたいに言うんじゃない」
しかし確かに、ラレンスの博物館で絵の中に送り込まれた際、グランはキルシェからなんの説明も受けなかったが、『出てきた場所に行けば戻れる』と判断した。キルシェは「空間に穴が空いた跡がある」とも言っていたから、誰かが異世界間にこじ開けた『穴』はしばらく同じ場所とつながっているのだろう。エレムは少し考え、
「一度自分の世界を出てしまったら、目印もなく闇雲に世界を越えても、上手く元の世界に戻れるかは判らないってことですか」
「白いのは、黒いのと違って察しがよいな」
「うるせぇよ」
グランは歯をむいてジェームズを威嚇している。ユカが心配そうに、
「ということは、その場所を見張られてたら、キルシェ様は戻ってこられないのではないのですの?」
「まぁそういうことになるな」
「助けてあげなくてよいのですの? 貴方はキルシェ様の使い魔なのですの」
「使い魔ではないと言っている!」
ジェームズは思わず声を荒げたものの、ルスティナ達の視線を気にしてか、取り繕うように姿勢を正した。
「私は、角を返してもらう代わりに自分の力を貸しているだけだ。どちらが主従というわけではない。別に頼まれてもいないことまでしてやる義理はない」
「まぁ、それも道理ではあるな」
黙って話を聞いていたエスツファが、顎を撫でながら頷いた。どこまで本気で聞いているかは判らないが、エスツファもルスティナも、キルシェの魔法は何度か目の当たりにしているから、否定する理由もないのだろう。ルスティナはわずかに首を傾げ、
「ただ、グランの話からすると、黒光の魔法を使う男は、ラムウェジ殿が追ってきた男である可能性が高そうだ」
「そうなんだよねぇ……。消息が途切れたのは、もう、遺跡の場所を見つけて、そこを占拠してしまったからってことなのかしら……」
「問題は、その施設が一体何のためにあるか、ということですよね」
「もとの目的がなんだったにしろ、ろくでもないことに使われそうな予感しかしねぇな」
世界を闇にとか、新しい王だとか、文字で書かれている程度ならまだ許せるが、それを実際に口にするのは、説明のためとはいえ恥ずかしいものがある。封印されし右目が、とか、左手の秘められた力が、とかもれなく言い出しそうで、本人に実際に会ったら痛々しさにむしろ同情してしまうかも知れない。
「なんにしろ、『あの山中のどこかに開けた場所があって、そこになにがしかの古代施設がある。そこは今、”ハイガー”さんにすり替わっていたコルディクスさんに占拠されていて、実際に稼働を始めている』と思われる。……どうも、状況的に疑えなくなってきましたね。キルシェさんは、動けないけれどとりあえず安全ではあるらしいとも」
「……思わぬ所で手がかりが得られたのは助かるわ」
言葉とは裏腹に、浮かない顔でラムウェジは息をついた。
「でも、キルシェちゃん? ってお友達なんでしょう? 放っといていいの?」
「あいつは勝手につきまとってきてるだけだ」
グランは仏頂面で吐き捨てた。黙っていられなくなったのか、ユカが声を張り上げる。
「グランバッシュ様のところに精霊を飛ばしたのは、助けを求めているからではないのですの? 今までもいろいろ手助けしてくれた仲間なのですの」
「あいつは自分の興味あることに首をつっこんで来てるだけだろ。そもそも、その施設を見にいったのだって、面白そうだからとかいう理由だろ、勝手に遊びに行って勝手に窮地になられても、面倒見てられねぇよ」
ユカとリオンが揃って咎めるように目を細めた。ていうかこいつら、実は気が合うんじゃないのか。
さすがにヘイディアもなにか言いたそうだが、グランの言うことに反論する理由もなかったらしく、黙ったままだ。
エレムもなにか言いかけたが、思い直した様子で口をつぐんでいる。
代わりにルスティナが、
「しかし、コルディクスという者がキルシェ殿を捕らえようとしたのは、魔力を奪うためではないのか? 古代施設は魔法力で稼働しているのであろう? 万一キルシェ殿が逃げ切れずに捕らわれたら、持っている魔力を利用されて、施設の修復が加速して本格的な稼働が始まるのではないか?」
「その施設を、どういった目的で利用するのかも今のところ判らぬしなぁ」
ルスティナの指摘に、エスツファも顎を撫でて思案している。




