16.星の王太子と荒野の異形<7/7>
二人は雷に打たれでもしたように呆然と立ちすくむと、まるで申し合わせたように同時に片膝をつき、頭を垂れたのだ。
エレムも、後ろからついてきたユカも、なにかに圧倒された様子のヘイディアとリオンの態度に、ただ目を丸くしている。エスツファが、変に感心した様子で眉を上げたのが目に入った。
一方で、
「もー、やだなー。エレムがお世話になってる人たちに、かしこまられても困っちゃうなー」
お気楽に言いながら、ラムウェジはヘイディアの前まで歩み寄ると、腕をとって立ち上がらせ、親しげにエスツファ達のそばまで引っ張ってきた。後ろのリオンもあわせて立ち上がったが、こちらは恐れ多さのあまりか、正直引いた様子で、それ以上ついていこうとしない。
「どうしたのですの? ラムウェジ様はとっても高名な御方ですけど、気さくで楽しい……」
「そういうことじゃないの! 君、ほんとに判らないの?! 僕でも判るのに!」
こそこそとフォローしようとしたユカの声を遮り、リオンがやはり小声で言い返した。ユカはピンとこないようで、噛みつくような口調のリオンに、丸くした目を瞬かせている。引っ張られていったヘイディアは、表情の薄い顔をいつも以上に硬くしている。動揺している以外の感情は、読み取ることができない。
エスツファは、反応の対照的なリオンとユカを、関心深げに見ていたが、すぐにいつも通りの飄々とした笑みを見せた。
「法術師殿同士の話は後にしていただくとして、ラムウェジ殿はこれからどうなさるおつもりかな。我らは少なくとも、明後日の式典が終わるまではここに滞在する予定だが……」
「どっちみち、その式典が終わらないと、カカルシャ政府も、街道の封鎖問題に本腰入れて対策がとれないようなのよね」
「各国の使者が集結するのであるから、他国のもめごとにまで人手を割く余裕は、今はなさそうではあるな」
現国王の在位三十周年記念式典という祝い事の席である。
一地方の小国の王の在位記録など、正直周辺諸国にはどうでもいい話なのだが、最初はこれを口実にしたアルディラの見合い話だったのだ。表向きは『大公の代理として』送り出されたアルディラが思惑に勘づき、旅の部隊から逃げ出したのが大本の発端である。
アルディラにばれたからと言って、表向きはエルディエル大公家まで絡んだ式典をカカルシャ側は中止するわけにもいかず、エルディエルとしても、失踪騒ぎに絡んだアルディラの不祥事を挽回するためにはどうしても参加させざるを得ず、公女が参加するとあっては周辺諸国も招待を無碍にはできずで、国家間の駆け引きとしてはぐだぐだな感が否めない。
まぁ、アルディラが大人数のお供を引き連れて移動し、周辺諸国の要人が多数移動するだけでも、各地に経済効果があるので、まったく無益でもないのだが。
「お邪魔でなければ、式典まではここを拠点にさせていただいて構わないかしら? 自分の世話は自分でできるから、お気遣いは無用です」
「一人増えるだけだし、こちらは構わぬよ。むしろこちらも離宮に間借りの身で、エレム殿の大事な御母堂をもてなせぬのが心苦しいくらいだ」
「エレム殿と積もる話もあるであろう。差し支えなければ私たちも、旅の話など聞かせていただきたいものだ」
エスツファとルスティナは、ヘイディアとリオンの緊張感とはまったく真逆の率直さだ。ラムウェジは嬉しそうに目を細めると、なぜか視線を、他人顔で壁にもたれているグランに向けた。
「私としては、グランさんが妙に面白いことになってるのが気になるのよね。その左手とか」
全員の視線が、いっせいにグランに集中する。
そういえば、ラムウェジは、クロケの精霊の存在に感づいているらしいのも匂わせていた。カイチの村で顔を合わせたときに、グランに憑いている火の精霊の存在も気がついていたのだろう。この面子には揃ってばれているようなものだが、別に自分で好んで手に入れたものでもない。とっさに言葉も出ないでいるところに、
ふと、気配を感じてグランは視線を北に開かれた窓に向けた。目立つ音があったわけでもないのに、ラムウェジとヘイディアが、ほぼ同時に同じ反応を示した。
彼女たちの視線の動きに気がついたルスティナとエスツファ、そしてエレムが、遅れて視線を窓の外に向ける。それより一拍遅れて、
「――っ?!」
なにかが、急速に近づいてくる。鳥のようにまっしぐらに、だが鳥よりも早い、いや、こんな時間に鳥なんか飛ぶわけがないのだが、放たれた弓のような速度のなにかが――
ほぼ本能的に、窓の近くにいた者達が揃って退いた。北向きの窓から、グランの場所まで、ほぼ一直線に空間が開ける、その中央に、
グランの盾になるように、いきなり光の法円が出現した。グランを炎の魔力による攻撃から守るために現れる、火の精霊フィリスの法円だ。その法円の向こうに、
光のような速さで、こちらに突っ込んでくる炎の塊――フィリスそっくりの、小さな炎の小鳥が、まるで法円の中心を目指すように突っ込み――
法円をすり抜け、グランの胸を貫いた。
「な、なんですの――?!」
衝撃で後ろによろけ、壁に背をついたものの、グランは胸を押さえてなんとか姿勢を保っている。その場の全員があっけにとられて立ちすくむ中、真っ先に声を上げたのはユカだった。
炎の鳥を通したと同時に、空中に展開した法円は消滅している。突っ込んできたなにかの勢いは感じたが、グラン自身、物理的に痛みを感じたり、体に穴が空いたりするようなことはない。
ただ、グランは、自分の胸を押さえたまま、唖然とした様子で、立ちすくんだままだ。視線は自分の胸元を見ているようで、記憶をたどるように焦点が定まっていない。
「グランさん、なんですか、今のって――」
「ラムウェジ!」
数秒で我に返ったグランは、なぜか歯をむく勢いでラムウェジに向かって声を上げた。
「遺跡の解読資料を持って逃げた『ハイガー』ってのは、どんな奴だ!」
「ど、どんなって、どういう意味? 経歴的? 性格的なもの?」
「外見だ! 目は灰色で、胸くらいまでの黒髪に、右手首に黒鉄の腕輪、右の中指に同じ黒鉄の指輪をつけてないか?! 痩せ気味で、身長は……あんたくらいだ!」
「わたし、そこまで話した――?」
さすがに戸惑った様子で、ラムウェジがエレムに目を向ける。エレムはグランの様子に驚きながらも、ラムウェジの問いに首を横に振った。
「ったく、なんだってんだ!」
「え? グランさん?!」
グランは身を翻すと、驚いて退いたリオンとユカの間を抜けて廊下に駆け出した。後ろから、とりあえず追ってくるエレムと、ほかの誰かの足音が聞こえるが、待っている余裕はなかった。階段を駆け下り、飛び出した中庭の隅で、勝手に起こしたたき火を囲んだ人外二匹が、クロケと一緒に酒盛りをしている。
「おや、月の主ではないか。なにかあった――」
「ジェームズ!」
のほほんとしている白龍とは対照的に、グランへの苦手意識がすり込まれているジェームズは、グランが血相を変えて突っ込んでくるのに気づいた時点で、既に浮き足立っている。イカの足をかじって目を丸くしているクロケには構わず、グランはジェームズの胸ぐらをつかんで引っ張り上げた。
「今のはなんだ!? キルシェは、一体なにやってんだ?!」
「今の? ――ああ、なにやらが上を通ったと思ったら、キルシェ殿の精霊か」
グランが血相を変えている理由が、とりあえず自分のせいではないと判断して、ジェームズは少し落ち着いた様子で、視線をグランから、なぜか北の山並みに移した。
「そういえば、面白いものがあるからと、北の山地に向かったようだが、――ふむ、なにものかから逃れるために、次元を越えたのだな。これはもう、私からは手が出せぬな」
「なんだよ! お前、キルシェの使い魔だろ! 持ち主の状態ぐらい把握してるんじゃねぇの?!」
「使い魔ではない! 契約相手とはいえ、離れてしまえば、常に同調している訳ではないのだ。……ちょっと失礼」
ジェームズは、胸ぐらを捕まれたまま立ち上がると、グランの胸元に手を当てた。ジェームズの霊力に反応したのか、淡い光の法円が触れた場所に展開したが、グランに危害を加える目的ではなかったためか、波紋のようにちいさく広がっただけですぐに消失した。
「……なるほどな、古い遺跡の様子を見に行って、そこにいた何者かに捕らわれそうになったのだな。転移の魔法で逃げ切れないと判断して、別の次元に身を隠したのであろう。その間際に、グランバッシュ殿と共有している炎の精霊を解き放ったのだ」
「言ってる意味がわからねぇよ!」
「だったら、自分が今『見た』ものを、後ろの者らに説明してみるのがよいのではないか」
ジェームズの視線は、グランの肩の向こうに向いている。グランはジェームズの胸ぐらを掴んだまま、ぎこちなく振り返った。
「……そうね、私も、詳しく聞きたいな」
息を切らせて追いかけてきたエレムの、その後ろで。
乱れた髪を直す余裕もなく、ラムウェジが真剣な顔でグランを見あげている。




