8.風の公女ふたたび<中>
「兄様?!」
グランとエスツファが揃って声を上げたので、アルディラがあっと言うように手で口元を押さえた。オルクェルも少し慌てた様子でアルディラとグラン達を見返し、困ったように笑みを見せる。
「いやその……兄といっても、私の母は大公の四番目の側室で、二六人いる男子のうちの一八番目に当たるだけなので、ただの従兄弟のようなものだと思ってもらえれば……」
「へぇ……」
「大公はなかなか頑張りやさんなのであるな……」
エスツファが気が抜けた様子で呟いたが、グラン以外には聞こえなかったようだ。オルクェルは訴えるような目でアルディラを見た。
「だから普段から、兄と呼ぶのはやめようと、お願いしているではありませんか」
「だって兄様は兄様だもの。それに武人としての才覚は兄弟一だって、父様も仰ってたわ」
「有り難いのですが、それとこれとはまた……」
なるほど、血はつながっていても継承権の関係で、アルディラの方が立場が上になるらしい。普段はどうか知らないが、他に人がいる時はしゃべり方も気を遣わなければならないようだ。なかなか大国というのは面倒なものだ。
しかしこの話だとアルディラは、自分がいなくなると兄に迷惑がかかるのもお構いなしで、カカルシャへ向かう隊列から逃げ出して、あの騒ぎを起こしたということになる。
どれだけじゃじゃ馬なのか。
「……で、なにしに来たんだよ」
「カイル王子にご挨拶に来たのよ」
グランの邪険な声にもまったく怯まず、アルディラはにっこり微笑んだ。
「グランが私に同行するように取りなしてくれたのって、カイル王子なんでしょう? さっき離宮にいらっしゃる国王様にご挨拶させて頂いたら、王子はこっちに残っているって教えてくださったの」
「お前とじゃねぇよ、俺はルスティナ達と一緒に行くだけなの!」
「その部隊が私の護衛にあたるんだから同じ事じゃない」
「あ、その、グランバッシュ殿……」
やりあっている横から、なにに驚いたのかオルクェルが口を挟んできた。
「一応、姫は我が国の公女であるので、その、なんというかもう少し丁寧に……」
どうやら敬語を使わないのが気に入らないらしい。だがグランより先に反応したのはアルディラだった。
「いいのよ、グランはこういう人なんだから」
「いやしかし、こちらの国の方はよくても、私の部隊のほかの者に示しが……」
「私がいいって言ってるからいいの!」
腰に両手を当てて振り返ったアルディラに言い切られて、オルクェルは困った様子でグランを見た。どうでもいいがアルディラの関係者は、どうしてこんなにアルディラに弱いのか。揃って弱みでも握られているのだろうか?
「直す気はない。ほかのことなら多少は譲ってやってもいいが、俺の振る舞いそのものが気に入らないっていうなら行かねぇぞ」
グランにきっぱり言われ、オルクェルは絶句している。やりとりを面白そうに見ていたエスツファが、とうとう声を上げて笑い出した。
「オルクェル殿、この御仁は王子の前でもこうなのだ。まだお目通り頂いていないが、たぶん王の前でも変わらぬだろう。このへんは早めにあきらめてくれ」
「そんなぁ……」
「私としても、グランに『依頼』して同行願う立場であるしな」
今まで廊下でなにをしていたのか、ルスティナがやっと部屋に入ってきた。さっきは確かに桜色に染まっていたはずの頬の色が、だいぶ元に戻っている。
「そちらの都合も判らぬではないが、姫がよしと言ってくださっているのだし、大目に見ては頂けぬだろうか」
「はぁ……」
頼むという形だが、エルディエルの将校相手にも物怖じしない辺りは、この二人もなかなかのものだ。オルクェルは多少肩を落とすと、グランに向かって頭を下げた。
「出過ぎたことを言ってすまなかった」
オルクェルはあまり、目下や年下相手でも謝るのに抵抗がないらしい。アルディラが嬉しそうにオルクェルの腕に抱きついた。
グランが頷くと、エスツファが絶対面白がっている顔でオルクェルの肩を叩いた。
「大丈夫、黙って立っている分には申し分はないから、大事な場所では喋らせなければよい」
「なんに対して大丈夫なんだよ」
「では、話も一段落したところで、そこで忍耐強くお待ちの方を紹介いただけぬかな」
エスツファに水を向けられて、オルクェルははっとした様子で振り返った。
「す、すまぬ、いろいろと動揺して紹介が遅れてしまった」
「お気になさらずに」
邪魔にならないように隅に控えていた人物が、静かに頭を下げた。灰色の真っ直ぐな髪が揺れ、右手に持っていた長い錫杖が澄んだ音を立てる。
顔を上げたのは、二十歳前後の小柄な女だった。薄い青色の法衣の上に、同じ色のケープを羽織っている。ケープの留め具や飾りには、淡い紫の石が派手にならない程度に散りばめられていて、それが彼女の立ち姿にちょっとした華と威厳を添えていた。
彼女はオルクェルの隣まで来ると、うつむき気味にルスティナを見返した。
「ヘイディアと申します。大公のお申し付けで、オルクェル様の部隊に同行させて頂いております。よろしくお願いいたします」
淡々としているが、物静か、というのとはまた違うようだ。挨拶というより、自分の説明をしているだけといった無機質な口調だった。今までのグラン達のやりとりに呆れているだけかもしれないが、ルスティナの冷静さとは別の、奇妙な印象がある。
「その……ヘイディア殿は、先だっての、ルキルア王城の攻撃にあたった法術師の一人なのだ。この若さながら、非常に強力な法術を扱える為、我が隊の大きな助けとなってくれている。この先も、カカルシャまでの同行を、大公からも勧められている」
言葉を選んでいるのか、オルクェルがいくらか慎重な口調になった。
「ただ……先の攻撃では、負傷者もあられたというので、ひょっとしてルキルアの方はルアルグの法術師によい印象を持たれていないやも知れぬと、ヘイディア殿が心配していたのだ。それなら出立前に一度、ルスティナ殿とエスツファ殿にお会いいただいたほうがよいかと思い連れ申した」
「なるほど……」
あの攻撃では、ここにいる者達もかなり危ない目にあっている。エレムがいなかったら、今頃白弦棟が彼らの墓標になっていただろう。
法術による攻撃を受け半壊した建物は修繕にはかかっているが、月花宮などいっそ建て直した方がいいのではと職人に言われるくらい損壊が激しい。
しかもあれだけの被害を出しておいて、実際の攻撃に当たった法術師は一〇人にも満たなかったという。ルアルグの法術のすさまじさが忍ばれる。
考えようによっては、エルディエルはとんでもない戦力を擁しているのだ。それを普段は全く外交や軍事に活用しないエルディエル大公は、実は相当に自制心のある平和的な人物なのではないかと、ちょっと前にルスティナ達が話をしていたのをグランも耳にしている。
ただエレムの話では、法術は原則として「人を護るため」に行使されるという。その辺りに、エルディエルが表立って法術の破壊力を知らしめようとしない理由があるのかも知れない。
「あの件に関しては、オルクェル殿ともきちんと話させてもらったではないか」
表情を幾分柔らかくして、ルスティナが答えた。