7.風の公女ふたたび<前>
そういえば、新しい服を作るなんて久しぶりだ。それも、最初から自分の寸法にあわせてしつらえるなんて、もう前がいつだったか記憶もない。
仕上がった服を羽織らされ、仕立屋に襟元を引っ張られたり腕を曲げられたりしながら、グランは思わず苦笑いを浮かべた。
といっても、これは別にグランが頼んだのではなく、単純にルキルア側の都合である。
グランたちが依頼されたのは、王族の代理で他国に出向く白弦黒弦の総司令が率いる部隊に、彼らの護衛として同行することだ。必要があれば、ルスティナやエスツファの公式の行事に同席することもあるかも知れない。その時、いかにも傭兵な格好では体裁が悪いというのだ。
エレムは神官の法衣だからどこに行ったってあれでいいが、グランは他国で将軍二人と並んでも差し支えないくらいの服装はしなければならない、……らしい。
もちろん気はすすまなかったが、半ば押し切られる形で採寸されて、あとはすっかり忘れていた。
「馬子にも衣装……はおかしいのか。元騎士殿はもとができあがりすぎてるからなぁ」
一通り上から下まで着替えさせられると、必要もないのに面白半分で見に来ていたエスツファが、感想を表現するのに困った様子で腕組みした。仕立屋が用意した、全身が映るほどの大きな鏡を眺めて、グランもさすがに言葉が見つからない。
グランは元々見目がいい。『端整な顔立ち』とか、『眉目秀麗』といった言葉は、自分のために作られたのではないかと常々思っているくらいだ。そしてそれは残念ながら、割と正確な自己評価だった。
実際、この見た目でいろいろと誤解をされることは多々あった。元騎士だとか噂されるようになった大本の原因も、この外見のせいに他ならない。
加えて、茶褐色の髪の多い南西地区では、黒髪に黒い瞳というのはそもそも珍しい。遠い東国を思わせる不思議な雰囲気も、見る者を惑わせる要因になっていた。
生業が傭兵だから、いつも身につけているのは機能重視のありふれた服と防具なのだが、それでもこの外見は強烈らしい。それが今は、ルキルア軍将官の正装を色違いにしたような、黒を基調とした礼服を着せられている。あわせて靴や手袋、マントまでしつらえてあって、これで揃いの羽根付き帽子でもかぶったら、騎士だと名乗っても洒落では済まなくなりそうだ。
ちょっとやりすぎじゃないのか。グランの姿を映す、その鏡を持った仕立屋と助手まで、嫉妬とも感嘆ともつかない表情でため息をついている。無理もないが、居るのが全員男なので全くありがたみに欠ける。
「よいですかー?」
言いながら、廊下で待っていたランジュが、あけたままの扉からひょっこり顔をのぞかせた。返事を聞くつもりが全くない。
その琥珀の瞳がグランを映すと、ランジュは素直に賞賛の笑顔を見せた。
「グランバッシュさますごいですー。綺麗な顔は伊達じゃないのですー」
「だから顔以外褒めるところがないような褒め方はやめろ」
「ほらほら、かっこいいのですよー」
ランジュの顔が扉の陰に戻る。横で待っていたらしいルスティナが、ランジュに手を引っ張られる形で扉をくぐりかけ、グランと目が合うと、なぜかそこで動きが固まった。
きょとんとした様子で瞬きをしたルスティナの顔が、一拍おいて耳まで桜色に染まったのをグランは確かに見た。制服男子もえか、と後ろでエスツファが呟いたような気がするが、なにかの聞き間違いだろう。
ランジュは目をぱちくりさせて、ものすごい勢いで引っ込んだまま壁の陰から出てこないルスティナを眺めている。
「……いいから嬢ちゃんはこっちで座ってな。離宮から回ってきた砂糖菓子があるぞ」
「はーい」
砂糖菓子と聞いて、もうグランにもルスティナにも関心を失ったらしく、ランジュがぱたぱたエスツファの側に駆け寄っていった。グランは少し待ってみたが、ルスティナが再び部屋に入ってこようとする気配がない。どうしたものか。
思案しているうちに、今度は廊下の方が騒がしくなった。またフォルツでも来たのかと思ったら、
「……これはルスティナ殿、ちょうど挨拶に伺おうと思っていたところであった」
「ああ、知らせがなかったので出迎えもできずに失礼した。予定よりだいぶ早かったのであるな……」
聞き覚えのある男の声だ。多少動揺が残った様子で、ルスティナが応えているのが聞こえる。
そのやりとりの中に、
「ルスティナ将軍、先日はお世話になりました」
もう一人、聞き覚えのある若い女の声が混ざったのに気づき、グランは反射的に逃げ場所を探して首を巡らした、が、
「グラン、どうしちゃったの!? ほんとに騎士にでもなっちゃったの?」
誰がとめる暇もなく、まっさきに部屋に飛び込んできた声の主が、驚いたように大声を上げた。
可能であればもう二度と会いたくなかったじゃじゃ馬娘、エルディエル公国第五公女のアルディラだ。前に見た時とは違い、今回は薄手のドレスにあれこれ着飾って、見た目だけはどこぞの姫君といった風情である。いや実際姫なのだが。
エスツファに耳打ちされて、仕立屋たちが鏡を持ったままあたふたと反対側の扉から出て行った。グランも一緒に出て行きたかったが、その前にアルディラが早足で目の前まで近づいてしまい、きらきらした瞳でグランを上から下まで眺めて賞賛のため息をついた。
「すっごーい、やっぱりきちんとした格好をすると素敵ね。貴族って言っても全然おかしくないわ、ねぇ兄様」
「いやはや……これはまたいっそうの美男ぶりであるな」
扉をくぐったところで、これまたあっけにとられたようすで立ち止まったオルクェルが、アルディラの声に思わずといった形で頷いた。その後ろにもうひとり、ルスティナ以外の誰かが続いたのが判ったが、それをよく見る前に、グランははたと気がついた。
「兄様?!」