2.始まってるのに進めない
栗色の髪を陽光で金色に輝かせ、エスツファと同じ将官の服に銀色のマントを羽織った女が、呆れたように立っている。
体つきは少々丸みに欠けるが、整った面差しに瑠璃色の瞳がよく似合う、知的な美人だ。その美人が、取り上げた葡萄酒の瓶を右手にかざし、左手を腰に当て、口うるさい教師のようにエスツファを見下ろした。
「職務中の賭け事は厳禁であるよな? エスツファ殿?」
「いやルスティナ、これは賭けって言うか、その、元騎士殿に頼んでこいつらの剣の指導をだな……」
「なるほど、指導の依頼料というわけか」
焦った様子でもごもご言い訳するエスツファに意地悪い笑みを見せ、ルスティナは今度はぐるりと周囲を見回した。目を回していた者らを助け起こし、こそこそと逃げだそうとしていた一〇人の兵士らが、視線に気付いてぎくりと動きを止める。
「貴君らは今日から三日間、温室の窯用の薪割り」
「そんなぁ、自分らは副官にそそのかされただけでありますよぉ」
「自分たちが元騎士殿に勝てたら、その瓶を一人に一本くれるのだと言われたのであります」
「あ、お前ら裏切るな。だいたいこんないい酒が一〇本も手にはいるわけ無いだろ」
「ちょっ、それひどくないっすか副官」
麗しい責任の押し付け合いに、周囲から笑いがもれる。ルスティナは苦笑いしながら肩をすくめ、
「首謀者のエスツファ殿には、貴君らが薪割りを終えた後の酒代を、三日間持ってもらうことにしよう」
「えええ、そりゃないよ」
ルスティナの登場で、どうなることかと様子を見ていた見物人が、エスツファの情けない声にどっとわいた。
「じゃあその酒は……」
「没収だな」
控えめに聞いたグランに、あきれ顔のままルスティナが即答した。
グランは兵士ではないから、罰など受けるいわれはない。だがルスティナの瞳にいたずらっぽい笑みが見えたので、とりあえずがっくり肩を落としてみせた。薪割りを言いつけられた男達は、それなら仕方ないといわんばかりに笑いながら頷きあっている。
「ほらほら、皆持ち場に戻れ、まだ昼を過ぎたばかりだぞ」
促され、見物に集まっていた奴らも名残惜しそうに散っていく。兵士だけではなく、使用人の女達も後ろに混ざっていたから、この件も城の中であれこれ色をつけられて、しばらくは話の種になるのだろう。
「まったく、小さい子供も見ているというのに」
「たのしかったですよー」
エスツファの膝からひょこんと立ち上がると、ランジュはにっかりと笑ってルスティナを見上げた。確かに普通の女子供なら、間近で見たら怯えて泣き出してもおかしくないような光景だったかも知れないが、ランジュは普通の女子供どころか、たぶん人間ですらない。
「グランバッシュ様は、顔が綺麗なだけではないのですー」
「お前その、顔以外に褒めるところを見つけるのが難しいような褒め方はやめろ」
ランジュの無邪気な返事に、ルスティナは一瞬言葉に詰まったようだった。そもそもルスティナは、本気でエスツファやさっきの男達に怒っているわけではないのだ。グランに視線を向け、ルスティナはなぜか軽く息をついた。
「……グラン、仕立てていた服がさっき届いたのだ。おかしいところが無いか見てみたいから、すぐあわせて欲しいと仕立屋が言っている。」
「あ、ああ」
「ランジュのは私の部屋に届けさせているから、一緒に来てごらん」
「はーい」
ランジュはごく自然に駆け寄って行き、当然のようにルスティナの手を掴んだ。ルスティナは驚いた様子でランジュを見返し、すぐに小さく笑みを見せる。
「会議室に仕立屋を待たせてあるから、グランは先に行っていてくれ」
「あんたは?」
「グランが服をあわせ終わった頃に見に行く」
言うだけ言うと、右手に葡萄酒の瓶を抱え、左手でランジュと手をつないだまますたすたと城の建物に向かって歩いていく。どうにもグランに話しかけるときだけ、態度が素っ気ない気がする。
「……あれって呆れてるのか? さすがに昼間から調子に乗りすぎたか?」
「なにを言う」
立ち上がってマントについた土埃を払っていたエスツファが、意外そうな顔でグランを見た。
「こんな騒ぎは日常茶飯事だ。ルスティナは、元騎士殿が服をあわせるところに同席するのを遠慮しておるのだろうよ。まったく、副官の頃は人の着替えを見るどころか、男の中でも平気で着替えようとして、こっちが慌てたくらいだったのに、どういう心境の変化かね」
「へぇ……」
「元騎士殿も、百戦錬磨のようで変に鈍いのだな」
「なにを百戦錬磨だよ」
軽口を叩きながら、二人も建物に向かって歩き始めた。歩きながら、所々大きな幌布が欠けられた城の建物の周りを、修繕の職人や作業員が行き交うのを見るともなしに見上げる。
持ち場に戻った兵士や使用人が、修繕に来た大工達に混じって資材を運んだり、撤去された瓦礫を運び出したりしている。
あのとんでもない騒ぎから、もう一〇日。
グラン達はまだ、この国から出られないでいた。