1.漆黒の傭兵と十人の刺客
グランは多少乱れた前髪を左手でかき上げ、右手の剣を握り直した。その剣の先に視線を巡らすと、距離を置いてグランをぐるりと取り囲む男達が、怯んだ様子で半歩後ずさった。
今グランの手にあるのは、片手で扱いやすいように作られた多少短めで軽い剣だ。上等というほどではないが、よく手入れされた剣の刃が、陽光を受けて白く輝き、グランの黒い髪と黒い瞳を際だたせる。
最初は一〇人だった。功にはやって最初につっこんできた者に当て身を喰らわし、この剣を拝借したのが始まりだ。最初の者との戦い方を見てから、グランへの出方を計ろうとしていたらしい五人の中にこちらから飛び込んでいって、あっというまに残りは四人。
それまで無責任にはやし立てていた見物の人だかりが、あっけにとられたように一瞬静まりかえった。すぐに辺りは、脱落した者へのヤジと、残った四人を煽る声であふれかえる。
この四人を残したのは、最初の六人に比べて多少構えがマシだったからだ。今までの、形ばかりで体も動きも追いついてない者らに比べれば、彼らはいくらか経験もあるようだ。グランに向けられた剣先もぶれが少ない。
牽制するように剣を構えながら、ずりずりとグランの左向かいに移動していた赤毛の男が足を踏み出した。同時に、右にいた男が剣を振りかぶって斬りかかってくる。
赤毛が囮役なのは判っていた。グランは体を最小限右に移動させ、剣を空振りさせた右の男の手首を左手で打ち据えた。
男の手から落ちた剣が地面にぶつかるより先にグランは、剣を落とした男の横をすりぬけ、後ろで身構えたままの二人に向かって地を蹴っている。
左下から剣を斜め上に薙ぐと、銀色のひらめきと一緒に、男の胸甲冑が耳障りな音を立てた。そのまま横に倒れた男の体を飛び越えて、後ろでおたおたしている男に剣を振り下ろす。
男は、グランの剣を剣で受け止めはしたが、耐えるのに精一杯で、はねのけて体勢を整えることができない。
必死に両手で剣の柄を握り、歯を食いしばっている男に、間近で視線を合わせて、グランは口元だけで微笑んだ。すぐに自分の剣の角度を変え、相手の刃を左横に受け流す。
剣にかけていた力が流されて、もんどり打ったところに更に足払いをかけられて、男は情けない悲鳴を上げた。数歩前に向かってたたらを踏み、そのまま前のめりに地面に転がり倒れ、動かなくなった。
残っているのは、グランの左側からかかってくるとみせかけて踏み出してこなかった、囮役の赤毛の男一人。グランの動きを牽制するように剣を構えているが、本来なら片手で扱える剣を両手で構えている時点で、いっぱいいっぱいなのが見て取れる。腰も引けすぎだ。
グランは右手に持った剣の先を地面に向け、最後の一人に向き直った。こちらから手を出してもよかったが、周りがやいやい煽っているから、すぐにこらえきれずにかかってくるだろうと判断したのだ。
思った通り、『腰抜けめ』だとか『一泡吹かせてやれ』とか、周りに無責任にはやし立てられたせいで、赤毛は唸るような叫び声を上げて剣を振りかぶり、踏み込んできた。
横によけて腹に膝蹴りを入れてやるにはとてもいい体勢だったが、今はそんなことはしない。
形だけは剣で正面から受け止め、すぐに押し返す。続けざまにグランが剣を打ちこんだら、もう赤毛は剣の動きがついてこられない。うまく後ろに動いて受け流すこともできず、グランの剣に圧されて赤毛は数歩後ろによろけ、たまらず尻餅をついた。当然剣先があらぬ方向に向いて、正面ががら空きになる。
グランはその顔前に、剣の切っ先を突きつけた。
左手を地面について、立ち上がろうとしていた赤毛の動きが固まった。静まりかえった中で、唾を飲む音がはっきり聞こえた。
「ま……参りました」
一拍おいて、見物していたひとだかりが、ひときわ大きく歓声を上げた。拍手とヤジと賞賛と、なぜか黄色い声までが入り交じっている。いつの間にか観客は、始めた時の倍ぐらいに増えていた。
「……ひでぇよ副官、この人滅茶苦茶じゃないっすか」
一番最初に当て身を喰らい、グランに剣を奪われた男の「死体」が、胸の辺りをおさえながらのそのそ起き上がった。その目が恨めしげに見るのはグランではなく、彼らを取り囲む観客の一番前であぐらをかいて、楽しそうに両手を叩く中年の男である。大柄でよく鍛えられた体つきに羽織った黒いマントもあわさって、ひときわ存在感があった。それでも威圧的な雰囲気がないのは、人柄もあるだろうが、その膝の上に一〇歳ほどの少女がちょこんと座っているのが大きいだろう。
「なにを言う。現役の兵士一〇人相手に、剣が当たるか地面に倒れるか剣を落とすかで負け、なんて条件を平気な顔で飲むような御仁だぞ。無茶苦茶じゃ無いわけがないだろうが」
「もうちょっとマシなほめ方は出来ねぇのか」
グランは言いながら、手に持っていた剣を軽く振った。『切っ先』『刃』とはいったが、正確にはこの剣に人や物を斬れるような刃はない。これは兵士達の訓練に使う模造剣なのだ。
そこらで死体になっていた残りの者らも、ぶつけたりグランに打たれたりした場所をさすりながら、もぞもぞと起き上がってきた。二人ほど起きないのは、単に目を回しているのだろう。
「グランバッシュ様すごいですー」
赤毛に剣を返してやっていると、黒いマントの男の膝の上で、一緒になって拍手をしていたランジュが、一番まともな声援を送ってきた。送ってきたはいいが、こいつにほめられるとどうにも気が抜ける。
無骨な兵士と城の使用人ばかりの中、一〇歳程度の少女がいるのはとても場違いな筈なのだが、見た目だけなら親子といってもさしつかえないようなエスツファの膝の上にいるせいで、すっかりなじんでしまっている。逆に兵士でも使用人でもないグランの方が、場違いに見えるかも知れない。この場にいる者たちは、もうそれも気にならないらしかったが。
「ということで、これは勝った元騎士殿のものだな」
「えー、やられ損じゃないかぁ」
エスツファが掲げた葡萄酒の瓶が藍色に輝き、負けた兵士達が情けない声を上げた。と、
「やけに騒がしいと思ったら、昼間からなにをやっているのだ、なにを」
座ったままのエスツファの後ろから伸びてきた腕が、その瓶の細い部分を掴んで上にひったくった。