12.疾風将軍と氷牙の妖魔<4/6>
「私ね、いつもはもっと南の、南岸諸島を転々としてるんよ。あの辺は、果物は勝手になるし、魚もいっぱい捕れるし、とってもいい所さぁ。そこの一番大きな島の港で遊んでたら、立ち寄った貿易船の船乗り達と気があったんさ。話を聞いてたらこの辺も面白そうだなぁって思って、一緒に船に乗り込んで遊びに来たんよ」
左手に葡萄酒の瓶、右手にパンに乾酪をはさんだものわしづかみ、ガツガツと口にしながら、女は話を始めた。リノが念のために用意してきた一日分の食料は、既に三分の一が消費されつつある。
「この前寄った港で見物に降りて、酒場で飲んでたら、あんたみたいに背のちっちゃい男の子に声をかけられたんよ。話が面白いし気前もいいから、乗せられてついつい飲み過ぎちゃってさ。うとうとしてる間に、大事なものを持ってかれちゃったみたいで……」
「お、おいらそんなことしてないよ?!」
冷ややかなグランの視線に、リノが慌てて背筋を伸ばす。娘は逆にあっけらかんと、
「背丈が同じくらいってだけで、全然違う奴なのは判るさぁ。さっきはおなかがすいてたのと気が立ってたので、もうわけわかんなくなっちゃっててさ、ごめんよー」
「死ぬかと思ったよう」
泣き言を言っている割には、身軽にひょいひょい避けていたような気がするが。どうもこいつはこいつで身体能力が計り知れない。
「で、盗られた大事なものってのはなんだ?」
「そうそう、これさぁ、これのもう片方」
瓶の口から葡萄酒を直接あおっていた娘は、やっと人心地ついたようで、空になった瓶を氷の地面に放り投げ、今度は自分の左耳に触れた。見覚えのある美しい耳飾りが、片方にだけ揺れている。
「これ、制御機なのさ」
「制御?」
「うん、あーし、氷の精霊と契約してるんよ。この子がもう半端なくてさぁ。あ、見てみる?」
「見てって……」
言っているそばから、娘はあいている手で、すぐそばの空間を丸く撫でた。そこに、見えないなにかがあるかのように。
その仕草が終わると、
「ええっ?」
「こ、これはなんであるか?!」
「ふえー、見事だねぇ」
目を白黒させているオルクェルとグラン、そしてオルクェルの背に隠れるように様子を見ていたリノが感嘆の声を上げる。
現れたのは、白銀の狼だった。
空気を凍りつかせたような、銀色に輝く冷気の集合体でできた狼だ。撫でられても娘にすり寄ったり甘えたそぶりを見せるわけでもなく、ただ凜と、そこに立っている。
「これこそ氷の精霊って奴だねぇ。名前はあるの?」
「うん、フェリルっていうんよ」
この際名前なんかどうでもいいのだが、キルシェの精霊にも名前があるから、精霊はもとから名前を持っているのかも知れない。どういう必要性があるのかは判らないが。
「この子、めちゃくちゃ力が強いんよ。契約してるあーしでも気を抜くと、触った飲みものが器ごと凍ったりで、困っちゃうのさぁ。で、これは前の持ち主からこの子を受け継いだ時に、一緒にもらったの……」
いいながら、娘は自分の左耳に輝く青い指飾りに指を触れた。青い石も美しいが、土台になっているのは、銅を昏くしたような、金色の金属だ。
グランはちらりと、自分の腰に目を向けた。なんだか見覚えのある色だと思ったが、自分の剣の柄と同じ金属だ。石の方に気を取られて、最初見たときには気づかなかった。
「なんでもね、古代人が作ったとか言う特別な金属が土台なんよ。この金属になにか仕掛けがあるみたいで、石がフェリルの力を吸い込んでくれるし、必要なときには吸収された力が相乗されて更に強力になったりって、すっごい便利さ。おかげで四六時中気を張ってる必要がなかったんだけど、どうも普通の人間には、この宝石が珍しいものらしいんよ。行く先々でよく羨ましがられるのさ。……で、これを片方盗まれちゃったもんだから、フェリルの制御がうまくいかなくなって、あたふたしてるうちに、持ってたお酒どころか店ごと凍り付いて、大騒ぎになっちゃって……」
サイスの町に現れた雪女の噂は、どうやら本当だったらしい。
「目が醒めたら店の中が冬みたいになってるし、あの小さい子は驚いて逃げちゃったし、追いかけようにも魔女だ妖魔だって周り中が大騒ぎになっちゃってさ。慌てて店を飛び出して、たまたま港にあった漁船に飛び乗って、沖に逃げ出したんよ」
「それは大変な目に遭ったねぇ」
「でも耳飾りがないからこの子の力を抑えきれなくて、そのうち海まで凍っちゃうし、もちろん食べるものはないし、船を見つけたらとりあえず食べ物だけで譲ってもらえないかと思って声をかけてたんだけど、出会う船は船で雪女だって驚いて逃げちゃうんよ。途中から朦朧としてて、変な夢まで見たさ。近づいてきた船に乗り込んで、あの小さい子がいないか探し回ってた」
「それ、夢ではなさそうであるぞ……」
「それはまぁ、いいんだが」
それまで黙って話を聞いていたグランは、とうとう堪えかねてこめかみを抑えた。
「なんで俺がこんな格好してなきゃなんねぇんだ」
「だってぇ、あんたに触ってると、いい具合にその火の精霊さんが冷気を抑えてくれるんさ」
船縁に腰掛けたグランの、その膝に腰掛けて飲み食いしていた娘は、にっかりと笑ってグランの胸に肩をこつんとぶつけた。
グランの頭の上では、鳩ほどの大きさを保ったまま、フィリスが困惑したように翼をはためかせている。グランに影響を与える冷気の魔法に反応して、現れているらしい。炎の魔法に触れた時のように大きくはならないから、冷気の魔力を吸収しているのではなく、打ち消しているのだろう。
「でも助かったさ、あんたといればとりあえず町に出られる。あいつを見つけて、耳飾りの片割れを取り戻さないと」
「それまで俺にくっついてる気なのか?!」
「なんさ、あーしをこのまま海の上に放り出して帰るつもり? あーしがおなかすいて死んじゃってもいいんさ?」
「それは俺のせいじゃねぇだろ!」
「とにかく今は落ち着いて、ちゃんと食べたらどう? おなかがいっぱいになれば気分も落ち着くよ」
噛みちぎったパンのかけらを散らし、行儀悪く叫ぶ娘に、新たに栓を抜いた葡萄酒を瓶ごと差し出しながら、リノがにこにこと言葉をかける。もう危険はなくなったからか、すっかり普段の余裕を取り戻している。
よほど腹が減っているのだろう。受け取った葡萄酒の瓶に口を付けて喉を潤すと、娘はまたおとなしく食事に専念し始めた。その頭ごしに、グランはオルクェルと目を見合わせた。
いろいろ突っ込みたいことはあるのだろうが、オルクェルはグランの頭の上の火の鳥と、娘の傍らに控える氷の狼を交互に見比べて、言葉を決した様子で大きく頷いた。
「娘御よ、実は、その耳飾りの片割れに、心当たりがあるのだが……」




