9.疾風将軍と氷牙の妖魔<1/6>
目を凝らせば、遙か沖に対岸の陸地が見えなくもない。
大洋につながる南の沖は、晴れた空と水平線が溶けあい、陽光がその上で躍っている。この海の先にまだまだ世界があるのが信じられないくらいに、果てがなく、美しい。
青い水面を割るように波立たせながら、白い帆の小さな船は彼らを乗せて沖に進んでいく。
「でもさぁ、せっかくならルアルグの法術師さんも誘えばよかったんじゃないの? 風を操れるなら船を進めるのも楽だよー?」
「いや、まぁ、その、あれだ、伝令を走らせて呼びつけるほどでもなさそうであるしな」
船の先に片足をかけて上着をはためかせていたオルクェルは、帆を操るリノの問いに、もごもごと言い淀んだ。グランは船縁に腰掛けて知らん顔をしている。
ヘイディアを呼んだら、船を出す理由を説明しなければいけない。オルクェルが雪女退治に行くなどと言い出したら、それだけで大事になる。その理由が正義感からではなく、懸賞金で耳飾りを買い取れるから、などと説明するのはさすがに気恥ずかしいだろう。
みんな多分察すると思うが。
「それに、エレムの兄さんまで置いてきちゃってよかったの? あとで怒られない?」
「なんでだよ」
「だっていつもお説教されてるし」
「あいつの口やかましいのはなんなんだろうなぁ……」
遠い目で沖を眺め、グランは首を振った。
リノが持ち前の交渉術で 港に戻ってきた漁師から扱いの楽そうな船を借り、ついでに一日分の水と食料を調達してきた。その間、衛兵の話から『氷の島』の場所を予測して、男三人は港を出たのだった。エレムを置いてきたのは、ランジュとユカをほったらかしにするわけにもいかなかったからだが、話せば止められるのが目に見えていたので相談もしなかった。
「海はいいねぇ、浪漫だよね」
リノは機嫌良さそうに、器用に帆を操っている。風はそう強くないが、完全に無風でさえなければ帆のある船は進めるし、船縁で受ける風はグランの髪をなびかせる程度に心地よい。
「お前、『浪漫』って好きだよな」
「当たり前じゃない、宝石も魔道具も、みんなわくわくするじゃないの。雪女捜しも、懸賞金も、みんな浪漫。兄さんは違うの?」
「俺は別にそういうのいいんだよな」
「じゃあなんで船まで借りて出てきたのよ」
痛いところを突かれ、グランは思わず顔をそらした。
懸賞金が耳飾りの値段と同じだったのに気づいて、勢いで出てきてしまった、などと馬鹿正直に説明なんかして、エレムやキルシェの耳にでも入ったら更に面倒だ。代わりにオルクェルがもっともらしい顔で、
「あのような怪異を見てしまったのに、知らぬふりもできぬだろう。下々の安全を守るのも軍人の責務であるよ」
「自分の国ならそうかもしれないけどね」
いいわけじみたことを口走ってたオルクェルは、リノに揶揄されて言葉に詰まる。嘘がつけないなら黙っていればいいのに。
そっぽを向いたままのグランと、変な汗をかいているオルクェルをしばらく見ていたリノは、すぐににっかりと白い歯を見せた。
「兄さん達も浪漫を判ってるみたいで、おいら嬉しいよ」
「あーはいはい、浪漫浪漫。こっちであってそうなのか?」
「うん、大丈夫そうよ。島が大きく移動してなきゃだけど」
広げた海図と、胸元にぶら下げた方位磁針、そして太陽を照らし合わせて、リノは自信ありげに頷いている。
内海とはいえこの周辺は対岸が遠く、少し視界が悪くなると今出てきた陸地も見失ってしまう。十人は乗れるというこの船も、沖へ出てしまえば木の葉と大差ない頼りなさだ。
「なにか、沖に見えるのであるが」
船の先端から周囲を見回していたオルクェルが、沖を指さして単眼鏡を取り出した。青い波の上に、小さな白い皿を伏せたようななにかが漂っているのが、確かに肉眼でも見える。
「白い……島? 中央に小さな何かがあるのは見えるが……」
「うわ、ほんと? 探しに出てすぐ引き当てるなんて、兄さんたちすごい強運なんじゃない?!」
「まじか?!」
いくら何でも、こんなに短時間で遭遇するとは思っていなかった。グランは半信半疑で船縁から身を乗り出すように遠くのそれを覗き込んだ。逆に、自分は運がものすごく悪いのではないかという疑惑までグランの胸をかすめる。
こちらから目で見えると言うことは、あの島に誰かいたとしたら、あちらからも既にこの船が見えているはずだ。こんななにもない海の上で慎重もなにもないから、リノは見つけた瞬間に船先を島に向け、速度を上げている。吹き付ける向かい風は、心地良さを通り越し、乾いた冷気を感じさせる。
「おいおい当たりかよ……」
「船乗りの話では、氷の島の中央にあるのは壊れて凍り付いた船だったという話であるが、……あれがそうなのであるのかな」
雪女は壊れた船の上に腰掛けて歌っていた、という話だったが、いまのところ見えるのは建物っぽいなにかくらいで、人がいるようには見えない。
「中で寝てるんじゃない? 昼は暑いし、日に焼けちゃうよ」
「妙に人間くさい雪女だな。つーかあれ、ほんとに氷の島なのか?」
島自体は妙に白く輝いて、見間違いにしては存在感がある。単眼鏡を覗き込んでいたオルクェルは、グランの問いに大きく頷いた。
「そのようだな、砂にしては白すぎるし、島と呼ぶにも平坦すぎる」
「この日差しの中でも氷の島を維持できるとか、相当な冷気なんじゃねぇ?」
「考えてても仕方ないからさぁ、とにかく行ってみようよ」
リノの言うことは正論なのだが、リノが言っているだけに不安感が増す。しかしこの状態でこのまま帰っても意味がない。




