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7.南国の稀石、南海の妖魔<4/5>

 船は、内海を更に南下した、外洋を望む土地からやってきた。

 南方からの貿易品を各港で降ろしながら、最終的には内海奥部の貿易港フェレッセを目指していた。

 次の寄港地であるラレンスには、明日にでもつくだろう。夜も更け、爪の先ほどの細い月が中空に現れて、昏い海が鈍色に浮かび上がった頃だった。見張りの船員が、東の沖合に、あるはずの無い小さな島を発見したのだ。

 それは不思議な形の島だった。平皿をひっくり返したような、平坦に丸い銀色の島の中央に、家とも山ともつかないなにかがぽこんと置かれている。そして聞こえるか細い歌声。

 海には海の妖魔がいる。見張りは戦慄した。美しい歌声で船を岩場に誘い込み沈めてしまうという、妖魔シレーヌを即座に連想した。

 しかし、このあたりには船底を傷つけるような岩礁はなかったはずだ。眠っていた船員達も、歌声に気づいて、甲板に上がってきた。近寄って、様子を見てみようという者が出始め、操舵員がゆっくりと島へ向かって船を近づける。吹き付けてくる風が妙に涼しいのに何人かが気づいたが、夏の夜にはかえって心地よい。

 近づくと、島は銀色に輝くなにかでできていた。小さな銀色の島の中央で、女は小屋を思わせる四角いなにかに腰掛けて声を上げている。歌声と思っていたが、どうやらそれは、泣き声であったようだった。

 胸元に生地を巻き付けて結び、膝丈までのズボンの上に鮮やかな織物を巻いた、いかにも南国育ち風の若い娘。それが、途方に暮れたように頬杖をつき、愁いを帯びた横顔で月を見上げている。妖魔には思えなかったが、その時には既に皆惑わされていたのかも知れない。

「どうした、あんた、大丈夫か」

 ひょっとして、流されるか乗っていた船が沈んだかで、なんとか島にたどり着いたのかも知れない。船員の一人が声を張り上げる。娘は歌をやめ、こちらを振り向いた。

 そのときになって、見張り役は、女が腰掛けているものの正体に気づいた。銀色の島がなにでできているのかも。離れよう、と言う間もなかった。

「……ェシテ……」

「なんだってー?」

 寝ぼけているのか寝酒が残っているのか、声をかける船員は妙に元気だった。娘は、半分崩れた氷漬けの船の上に立ち上がると、すうっと息を吸い込んだ。

「カエシテ――!」

 夏にあるまじき冷気が、娘を中心に一気に吹き出した。島の周りの海が凍り付き、すぐそばまで近寄っていた自分たちの船の表面までが霜で白く覆われる。

 ここに来て、全員が事態に気づいた。立ちすくむ者、身を丸めている者、船の中へ逃げ込もうとする者で甲板が騒然となる中、凍り付いた波の上を、滑るように女が迫ってくる。

 見張り役は、見張り台の中で頭を抱えてうずくまった。一層強い冷気が足元から吹き上げ、船体になにかの固まりがいくつもぶつかり、船が揺れる。船縁がなにかで破壊されているのだ。

 周辺の水面では、岩がいくつも投げ込まれたように大きな水しぶきの音が上がり、船が左右に大きく揺れる。旋回し前進を試みようとしていた船の動きが弱まった。

 見張り役は、見張り台の隙間から、恐る恐る下をのぞき込んだ。甲板にはなぜか、人間の頭ほどの大きさの穴がいくつもあいている。

 一方で、島から離れた女は、前のめりに駆けているような、飛んでいるような、異様な姿で、あっという間に甲板まで躍り上がった。強烈な冷気が吹き上がり、視界が白くかすむ。

 女は凍えて動けない船員たちの顔を一人一人覗き込み、やがて逃げ込んだ者達を追うように船内に入っていった。

 見張り台の上で、下から吹き上げる冷気に凍えながら、見張りの男は身を縮め、息をひそめていた。そしてそのまま、気を失ったようだった。


※ ※ ※


「朝になって見張りが目が覚めた時には、船のそばには島なんか無かったそうです。動ける者達と協力して、なんとかここまでやってきたのだという話で……」

 衛兵の説明に、男三人は言葉も無く、甲板を見回した。

 甲板の上はぐっしょりと濡れている。濡れているだけなら波をかぶっただけともとれるが、所々なにかに突き破られたような穴が開いているのはなんなのだろう。そして、海水に濡れただけとは思えない、妙な冷気。

「動けないほど体が冷えていた者は、皆船内で倒れていました。甲板にいた者は、外気に温められたおかげで、軽い状態で済んだのかと」

「中の者は、逃げ場も無く凍り付かされた、ということかな」

「みんなの顔を覗き込んでいたなら、誰かを探していたんでしょうけど……」

 エルディエルの住人は、ルアルグの法術師が扱う神の力に慣れている。そのせいか、雪女――というか、冷気を操る何者かの存在自体を、オルクェルは疑う気はないようだ。

 衛兵に促されるまま甲板から下に降りると、内部は更にしっとりとした冷気が漂っていた。夏場には心地よいはずなのだが、まとわりつく湿気がどうにも気味が悪い。先に降りたオルクェルは、船室の真ん中に立ち、ぐるりと周りを見渡している。

「こうしてみると、雪女? が通った跡がはっきり判りますね。全体的に濡れてるけど、階段から続く動線が特に濡れてます」

「そこだけ厚く凍りついて、溶けるのが遅かったってことなのかね……」

 続いて階段を降りたエレムは、かがみ込むように、湿った床を覗き込んで雪女が歩いたとおぼしき跡をたどっていた。グランは階段を降りきった場所でそっと手すりに触れてみた。確かに水に濡れたのとはまた別の、奇妙な冷たさを感じた。

 さすがにグランにも、真冬の寒冷地に行った経験はない。せいぜい初冬の冷え込んだ朝に草木が霜で白くなっていたり、水たまりの表面が薄く凍り付いたのを見たことがある程度だ。湖や沼が厚く凍りつくにはどれくらいの寒さが必要なのかは判らないが、それでもこの状況を見ると、雪や氷の塊を暖かい部屋の中に入れたらこうなるのではないか、くらいの想像はついた。

 しかし、夏場の南国でこれだけの冷気を感じられる状況は、どう考えても尋常ではないだろう。相手が妖魔かそうでないかはともかくとしても、そういった能力を持つ何者かがここに侵入した、というのは否定しきれないように思えた。

「あまり見る機会が無いが、下々の船とはこういう作りなのだな」

 おとなしいと思ったら、オルクェルは少し跳ねたら天井に手が届きそうな船内の、船員用の寝台やら、テーブルの上のかごに雑多に置かれた陶のジョッキやら、ぶら下がるランタンと壁に貼られた異国のチラシやらを面白そうに眺めている。

 今見るのはそこじゃないだろう。あいつ大丈夫なのか。

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