4.南国の稀石、南海の妖魔<1/5>
話が一段落すれば、部隊の出立前に片付けなければいけないことが山ほどある。ルスティナとエスツファはそれぞれの仕事に戻り、ヘイディアはなにか言いたげながらもエルディエルの部隊に一旦引き上げていった。キルシェがさっさと消えたことに関しては、当然ながら誰も全く気にとめない。だが、
「グランバッシュ様までいなくなったのですの」
野営地から町へ続く道の間は確かにいたはずなのに、エレムとユカが市場の場所を人に聞いている間に、グランがいつの間にかいなくなってしまった。
「どうしてあんなに身勝手なのですの。協調性が足りないのですの」
「そうですねぇ」
ランジュを真ん中に、三人で手をつないで通りを歩きながら、エレムは当たり障りのない穏やかさで答えた。
「あれで、グランさんなりの行動の理由があるんですよ。あまり気にしないでください」
「それにしたってあんまりなのですの、美男子無罪とかでも思ってそうですの。エレム様が一緒に旅してる理由がさっぱり判らないのですの。」
「ユカさんは面白い言葉を知ってますよね」
エレムは苦笑い気味に目を細める。
「滅茶苦茶ですけど、基本的に悪い人ではありませんからね。周りに嘘はついても、自分に嘘をつかないだけなんですよ」
ユカは意味がよく判らなかったようだ。エレムは構わず、
「そういえば、ラムウェジ様もわりとグランさんを気に入られたようでしたよ」
「……ラムウェジ様って、とってもえらい法術師様って聞いたのですの。神様みたいな御方なのですの?」
「ラムウェジ様自身は、ごく普通の方ですよ。あの力と立場で、誰が相手でも普通でいられるのはすごいことだと思いますけど」
ユカは眼をぱちくりさせた。
「じゃあグランバッシュ様もすごい方なのですの? どんな人にも態度を変えないのですの」
「そ、そういう考え方もあっていいかもしれませんね」
エレムは曖昧に口元を緩めると、大げさな仕草で並ぶ露店のひとつに目を向けた。溶かした飴を竹串の先に絡めていろいろな形に整形したものが、宝石のように揺れている。
「変わったお菓子があるようですね、味見してみますか」
「可愛いのですの、食べてみたいのですの!」
「あじみですー」
一瞬で関心を逸らされたのにも気づかず、ユカはランジュと一緒に目を輝かせた。
「最後の最後まで子守だなんてやってられっかよ」
飲食の店が連なる通りを歩き、グランはせいせいした顔つきで辺りを見回した。
エレムたちが向かった青空市場の露店街よりも、少し港寄りの通りだった。異国から持ち込まれた古道具や古書、ちょっと値が張りそうな装飾品を扱う店が多く、人通りは市場より落ち着いている。
エレムと二人だけで旅をしていた時は、町に寄るごとに必要な消耗品をこうした場でよく調達していた。古道具屋ではたまに掘り出し物を手に入れることもある。今はルキルアの部隊に厄介になっているので、消耗品を買いに来る用事は特にない。
とりあえず古道具屋でものぞいてみるか、と首を巡らせていると、少し先の店の前にちょっとした人だかりができているのに気がついた。割と大きな陳列窓の内側に、なにかが飾ってあるらしい。
グランが近寄っていくと、友人同士らしい娘たちが、半分夢見心地な顔つきでおしゃべりしているのが目についた。
「素敵ねぇ、海を結晶にしたような石だわ。わたしも欲しいなぁ」
「私はああいうのをくれる恋人が欲しいな」
「あのお値段じゃ貴族でも買えないわよ、あら、中で安いのを扱ってるみたいね」
娘たちは窓から離れ、開け放たれた入り口から店に入っていった。中はわりと混み合っているらしい。背の低い、背広姿の若い男が忙しく接客に立ち回っているのが見える。
娘たちがいなくなってできた隙間に入り込もうとして、グランは陳列窓の前に立つ見覚えのある後ろ姿に気づいた。
裾の長い緑色の上着を羽織り、凝った細工の鞘におさまった剣を腰に帯いた、グランより若干肩幅の広い男。本国では『疾風将軍』の異名を持つという、エルディエルの騎兵隊長オルクェルだった。オルクェルは後ろ姿でも判る熱心さで、背を丸くして陳列窓を覗き込んでいる。
いつもなら強いて声をかけることも無いのだが、食い入るようなその姿が気になって、グランは何食わぬ顔でその横に立った。
「なにやってんだ?」
「いや、買い物に出た侍女たちが、珍しい宝石が飾られていると教えてくれたのでな。女人への贈り物にしたら喜ばれるのではと勧められ……グランバッシュ殿?!」
半分上の空で答えていたオルクェルは、いきなり我に返って跳ねるように身を引いた。
「いやそのなんでもない、水のように美しい宝石だというので見に来ただけなのだ他意は無いのだ」
「へぇ?」
他意は無いと言いながら、一気に挙動がおかしくなったオルクェルを横目で見やり、グランは陳列窓に視線を移した。
どうやら庶民向けの飾り物を扱う店らしい。店の看板と一緒に、色つきガラスや真鍮を利用した、美しいが安価な材料で作られたものが見栄えよく飾られている。
だがその中央で恭しく鎮座しているのは、確かに周りのものとは一線を画していた。
白砂の上で輝く海の水をそのまま結晶にしたような、あるいは晴天の空が水に溶けたような、柔らかな水色の宝石。親指の爪ほどの大きさのそれを金色の留め具であしらえた、美しい耳飾りだった。それが、一つだけ。
桁がふたつくらい間違っているのではないかと思える値札の横には、
「深い海の底で、人魚が集めた月の光」と、妙に詩的な説明が書かれている。
海の底から見上げた月の色、という意味合いだろうか。水に投げ込んだらそのまま溶けて見えなくなってしまいそうに、確かに透明感がある石だった。金具として使われている昏い金色の金属も、水底から見た月を現しているのかも知れない。
「つーかこれ、売る気ないだろ。見ろよこの値段」
少しの間宝石に見入っていたグランは、すぐに顔を窓から離して肩をそびやかした。
「本当にこんな値段のものを扱う店が、こんな田舎で庶民相手に商売なんかしねぇだろ。これ、客寄せ用じゃねぇ?」
「客寄せ用、であるか?」
「だってさ、ほら」
グランはちょうど店から出てきた男女を顎で示した。




