56.暁の魔女と再生の王<3/5>
「彼らが地の理なら、月は天の理なのだ。そして『寄り添いしもの』はすべての理を超える。あなたが味方してくれるなら、月はすべてを覆す」
この男は、『寄り添いしもの』を知っているのか。なぜなのか、なにをどこまで知っているのか。今になって、聞きたいことが山ほど出てきたが、時間が切迫している今、なにをどう聞けばいいのかもとっさに順番付けができない。
「月が、覆す……?」
「まぁ、論より証拠ってことで」
グランの肩で頬杖をついて、様子を見ていたキルシェが、場違いに明るい声をあげた。
「ちゃちゃっといっちゃいましょ。あ、さっきの約束、忘れてないわよね」
「もちろんだ、暁の魔女殿」
そういえば、キルシェの自称する二つ名など、シェイドには教えていないはずだった。なぜ『暁の魔女』と名乗っていることまで知っているのか。だが、今は詳しく問うている余裕はない。
「継承者の証を刻む。額を貸していただけぬか」
グラン達には意味の通じない言葉だが、キルシェはすぐに呑み込んだらしい。ふわりと床に降り、シェイドの前に立つ。シェイドは指先を、キルシェの額の中央に当てた。
「汝は『時の舵』の継承者なり、エディトの神より継がれし『時の船』の主なり……」
その後の言葉は、グラン達には全く理解できなかった。時々キルシェが口にする、古代魔法の呪文とも違う。多分彼らの始祖が使っていた、古代エディト文明の言葉なのだろう。
そしてその言葉と供に、二人の額に、そっくり同じ文様が、光のインクで描かれたように浮かび上がった。文様の細部の意味はもちろん判らなかったが、額の中央に『太陽』と思われる円が金色に輝いたのだけは、見て取ることができた。
「いろんな魔法が世の中にあるのですの。文化的衝撃ですの」
「我々にしてみれば、今のこの大陸の法体系が驚きでありますよ」
額の光は、まるで冠のように二人の額を飾っている。あれがたぶん、何にも勝る王族の冠なのだろう。あんなものを、キルシェみたいなのに与えてもいいのか。
「なるほどねぇ、これなら血のつながり以上に確実に継承できるわね」
キルシェは、見えないはずの自分の額が見えているかのように、感嘆の声を上げる。シェイドの額を見て、自分になにが起きているのかを察しているのかも知れない。
「一度しかお見せできない、しっかり手順を記憶されるがよかろう」
「一度で十分」
シェイドは微笑むと、片膝をついてかがみ、部屋の中央のくぼみに、ユカから預かった『法具』をはめこんだ。ユカが目を丸くする。
「ここが、本来の場所だったのですの……?」
「いや、これは増幅器に合わせて作られた強化陣なのだ。その増幅器も、古代文明が健在だった頃は様々な場所で数多く用いられていたようだ」
答えながら、シェイドは『法具』にはめこまれた碧い石に触れた。
まるでシェイドの指先から注ぎ込まれるように、石が金色の光を放ち始めた。光は石からあふれるように、菱形の法具の角から、床に描かれた法円の線へと注ぎ出される。
「世代を重ねれば、近親婚を繰り返していても、継承される力はどうしても弱まる。古代の始祖たちは、増幅器なしでも『舵』を動かせたはずだ……」
円を描く光は強まる一方で、地を這うような振動が遠くから伝わってくるのを感じるようになった。遠くへ引いた波が、何倍もの高さになって戻ってこようとしているのだ。話に耳を傾けながらも、外の様子を風の動きで探っているのか、ヘイディアは険しい顔で入り口の外に広がる暗い海を見据えている。
「準備完了だ、グランバッシュ殿」
シェイドは立ち上がると、光の円の上に建つグランを見据えた。
「その剣で、中央の石を貫いてください」
「石を……?」
グランの剣は確かにそこらの武器よりもよい鋼でできているが、もちろん石はそうやすやすとは切れないはずだ。だが、シェイドもキルシェも、特に心配している様子はない。そばで見ているエレムは、口を挟んで流を滞らせるのを控えているのだろう、真剣な顔でシェイドとグランの様子を見守っている。
グランは腰に帯いた剣に目を向けた。女王を切り裂いた剣は、今はもうあれが嘘だったかのように剣身を覆っていた光も収まって、柄の月長石もいつも通り、周りの光を受けて淡く輝いているだけだ。戸惑っていると、ずっと肩にしがみついていたチュイナが右腕の肘あたりまでするする降りてきて、グランを励ますように小首を傾げた。
ユカの術で作られている水の人形のくせに、どうしてこいつはこんなに生き物臭いのか。グランは苦笑いすると、剣の柄を逆手に握りなおした。腕の動きに気づいて、チュイナはまたグランの肩に戻っていた。
「見せてもらおうじゃねぇか、『時の舵』とやら!」
グランは抜いた剣を顔の前まで持ち上げ、勢いを込めて床に突き下ろした。
予想していたよりも、ずっと柔らかで、弾力のある手応えだった。突き刺さった剣先は、拳一つ分ほどの深さまで、法具の中央の石に呑み込まれた。
同時に、法具を中心に、光の文字が螺旋を描きながら上に向けて伸び始めた。
螺旋は剣身をぐるりと取り巻き、柄に埋め込まれた月長石まで達すると、そこで今度は縦に大きな円を描いて広がり始めた。同時に、月長石からは正確な均等さで八方向に向けて光の筋が伸びる。
突き刺さったグランの剣を軸にして、光の操舵輪が空中に描き上がったのだ。
グランが握った剣の柄に、申し合わせたような動きで、シェイドとキルシェが手を延べる。二人は互いの左手で、柄に輝く月長石を包み込んだ。
もし、そのときの光景を高い場所から見ている者があったとしたら。
月明かりの下、水の大きく引いた海底に青白く横たわる亡都と、火の手に赤く輝くラレンスの町が。沖からは、白い帆を立てて迫る船団のように、引いていた波が一斉に内海の奥部めがけて押し寄せてきているのが、もう間近に見えたはずだ。
だがひときわ目を引いたのは、廃墟と陸地の間にある島の上空に、突然現れた巨大な光円だろう。
そしてよく見れば、その光円は地面と平行にではなく、南の空を見上げるように大きく傾ぎ、その中心には三つの円が描かれている。外周には七つの円が等間隔に置かれ、その円をつなぐ線は、遠くからは七つの角を持った星のようにも見えただろう。
「いきなりこんな場所に出たのですの! なんなのですの?!」
すがるものも持たず、しゃがむこともできず、円の一つの中でユカが悲鳴のように叫んでいる。眼下に広がるのは、空中に大きく展開した光の法陣だ。その下に横たわる広大な廃墟と、そして赤く燃えている町は、一緒の視界に入るくらいに遠くに見える。
それまで地下の『天蓋』の中だったのに、足元に広がる光円と一緒に、その場に居た全員も中空に移動していたのだ。透明なガラス板に描かれた光円の上にでも立たされているような、地面のようなものに足がついているような感触はあるのだが、光円の下の風景が透けて見えるので、まともに見ると体がすくみそうだ。
ユカのほぼ反対側に立っているヘイディアは、錫杖を手にして立っているのでなんとか体裁を保てているようだ。
しかし、光円の中央部にいるグランには、正直ほかの者の様子を観察している余裕はなかった。
グランの剣の柄で輝く月長石は、シェイドとキルシェ、二人の手から光を受け取ったように、鮮やかに輝いている。二人が手を放しても、満月のように青白く、周囲にいる四人を照らしている。
「法円が……展開していきます。これが、『時の舵』……?」
三つの円の一つに立ったまま、エレムは呆然と呟いた。




