55.暁の魔女と再生の王<2/5>
「ぞうふくき……?」
「南大陸のエディト文明から分かれた移民が、この地にたどり着いた際に、この大陸にかつてあったという古代文明の遺産を手にした。それが、ファマイシス王朝とレキサンディア発展の始まりであったのだ。その法具は、中州を土台にしてレキサンディアの都市を造る際に、潮の満ち引きを操るために用いられた、水門の装置の一部でもあった」
三角州は川から流出した土砂で生成されているため、都市の土台としては普通は好まれない。しかも、川が増水すれば工事にも危険が伴う。一見不安定な場所を都市造成の土台に据え成功したのには、水自体の動きを操る装置があったから、なのだろう。
シェイドは立ち上がると、ゆっくりとその場に居る者達に目を向けた。
「あなた方にはそれぞれ、異なる属性を持つ大きなちからの守護がある。なにより、月が味方してくれれば、すべてを覆すことができるかも知れない。皆さんも、協力してくれないか」
「月……?」
反射的に答えたエレムは、その視線をグランに向けた。グランの握る剣、その柄に埋め込まれた月長石は、今は何事もなかったように静かに淡く輝いている。
「……俺たちだけじゃなく、陸にいる奴らもなんとかなるってことか?」
「被害を最小限に食い止める、以上のことができるかも知れない」
グランはヘイディアへ、ユカへと、順番に目を向けた。ヘイディアは淡々と、ユカは不安そうながらも、大きく頷いた。最後に目を向けられ、エレムは真剣な顔でグランを見返すと、すぐにシェイドに視線を移した。
「引いた波が戻ってくるまで、あまり時間はないでしょう。どうすればいいんですか」
「『時の舵』は、灯台の地下にあるのだ。ここまで潮が引いた今なら、入れるはずだ」
シェイドが目を向けたのは、火の手が上がる町の手前、今は潮が引いて小高い山の上に建っているように見える、要塞跡の建物だった。
「巫女殿、その小さな使い達に、足下を照らしてもらえないか」
「了解ですの」
ユカは、少し離れた足下で群れをつくって控えていたフナムシたちに手を振った。
姿を現したものの、長い間海底にあった遺構は今や町の形がかろうじて感じ取れるだけで、倒れた柱、崩れた壁は珊瑚と海草のよりどころとなっている。その中で、比較的平らに整っているのは、かつては町の大通りであったところだろう。
光をまとったフナムシは、歩きやすそうな場所を選びながら、暗い夜の中を先導して道を示していく。全員が、足を取られないように気をつけながらも足早に進む中、キルシェだけは時折地面を蹴りながら、ふわりふわりと跳ねるようについてくる。
要塞跡のある島に近づくにつれ、街の喧騒も風に乗って聞こえてくるようになった。町に広がった炎が、風を呼んでいるのだ。悲鳴と怒号を縫うように、高台へと誘導する声が時折はっきり耳に届く。
「リオンが風を使って、誘導の声を広めているようにございます。ただ、火の手が風の動きを乱しているのと、崩れた建物に閉じ込められた者を助けに留まろうとしている人がいるようで、すべての人が無事に逃げ出せるかは……」
「事前の騒ぎで、エスツファ達が高台に誘導してるはずだ。海のそばに居りゃ、地震で潮が引けばでかい波が戻ってくるのも知ってるだろ」
風の動きから町の様子を探っていたらしいヘイディアに、グランは言い切った。
骸骨騒ぎを見越して、町側と、エルディエル・ルキルアの部隊が協力して、事前に住人に避難を促していたから、高台にいけば保護してもらえることは住人の多くが認識しているだろう。
まさか、それがこんな形で功を奏するとは思わなかったのだが。
しかし、大昔にレキサンディアが滅びた時は、ここが内海の最奥だった。地震の時に地形が変わって、大波がさらに奥の陸地にまで伸びていたとしても、記録に残るほどの大きな被害ではなかったはずだ。先のフェレッセでの競技会の時も、伝説には「地が裂けて恋人達が引き離された」とあるだけで、大量の死者があったとは伝えていない。
しかし今回、波が戻ってきたら、内海の奥地まで影響を受けるのは確実だ。フェレッセとプラサの間に横たわる『首飾り』が防波堤の役割を果たしたとしても、そこに波が到達するまでの内海沿岸にはいくつもの港町がある。最終的な被害はどれほどになるのか。ましてやこんな夜中だ、海の異変に気づいて逃げ出せるものが、どれくらいあるだろうか。
「……せてやりたかっただけなんだけどな」
高台を見上げたグランの呟きに気づいたのは、エレムだけだったようだった。息を切らしながら、エレムがなにか言いかけた、が、
「入り口が、あるのですの!」
先に要塞跡の島――今は小山にしか見えないが――のふもとにたどりついたフナムシたちが、おぼろに岩肌を照らしている。島の土台に当たる部分は、白い岩盤が土台となっていて、ちょうど南に面した場所に、岩を積み上げて作った入り口があった。ただ、扉はないため、海水がそのまま浸入する形になっている。
「あの場所は、本来は海面よりも上にあったのだ。レキサンディアが滅びた時、大波の後にも何度も起きた地震のために地盤自体が大きく沈んでしまった」
なにかあるとしたら、この地下だよね。要塞跡の建物の中で、リノはそう言っていた。ファマイシス王朝最大の宝物。
「でも、なんでここなんだ?」
「灯台は、人を導き護るためのものだ」
先導してその入り口をくぐろうとしたシェイドが、微笑んだ。
「南大陸の祖国からはるばる海を越えてきた始祖の一団は、北の空低い場所に動かない光を見つけ、それを目指してこの地にたどり着いたのだそうだ。その光は、船団がこの地にたどり着くのを待っていたように消え去ったのだという。学者の間では、当時の北極星を見間違えたのではないかというのが定説だそうだが……」
言いながら、シェイドは躊躇せず入り口をくぐった。水に濡れた堅い床を踏む足音が、反響して耳を打つ。フナムシの放つ光が朧に壁を照らす中、部屋の中央まで進んだシェイドは、天に向かって手を振り上げた。指の動きと一緒に天井の中央に小さな光が差し、それは一瞬にして星の河が流れるように天井から壁に広がった。
そこは、大きな円形の部屋だった。ほぼ完全な形の、半球の天井には、実際の夜空をそのまま描いたような光の粒が浮かび上がった。
「これは……『星の天蓋』か?!」
「フォロスの大灯台は、古代施設の上に建ってたんですか?!」
重なるように叫んだグランとエレムに、シェイドはやはりというように頷いた。
「始祖たちをこの地に導いたのは、滅び去ろうとしていた先住民族の、最後の光のようであった。もちろん、始祖たちはエディトの神々の啓示だと感じたのであろう。かろうじて残された遺物は、エディトの神の加護を持つ王族の力と相性がよかったようだ……」
グラン達が以前見た『星の天蓋』は、見事な絵ではあったが、それ自体はもちろん光を放ってはいなかった。だが、今シェイドの手によって「光が灯った」この天蓋は、本来の星空のように自らが光を放っている。現実の星空には、地を照らすほどの力はないはずだが、今はこの星空の光に照らされて、白い石作りの床まではっきりと見えた。
本来は、古代都市を模しているはずの天蓋の下の床には、初めて見る図形が描かれていた。大きな円を基本にしているが、その円の中には七つの角を持った星が大きく描かれている。その七つの星の角に当たる部分に、更に小さな円が描かれていて、等間隔に刻まれていた。
そして、その図形の中心に当たる部分には菱形のくぼみがあり、そのくぼみの底には、読めない文言と文様が刻まれて、更にそのくぼみを囲んだ外側に、三つの円が描かれていた。シェイドはヘイディアとユカ、そしてエレムに目を向けた。
「中心にあたる『地』があれば、三の属性でも流れを作ることができる。巫女殿と、風の神官殿は、なるべく距離を置いて外側の円のいずれかに立ってください」
「流れ? ……って、なんですの?」
「あなたたちは、互いに補い支え合う地の理の一部なのでありますよ」
シェイドは、『シェイド』の口調でユカに微笑んだ。ヘイディアが頷き返したので、ユカはこわごわとした様子ながらも、円の縁の小円の、一つに立った。ヘイディアは、そのほぼ反対側の円に立つ。
「『地』というのは、僕のことですか? 僕もどこかに……?」
「あなたは理の中心だ」
シェイドは中央に描かれた三つの円の一つを、手で示した。自分もその横のひとつの上に立ったシェイドは、少し離れて様子を見ているグランを見やった。
「グランバッシュ殿は、そちらへ」
「俺が?」
自分は関係ないと思っていたグランは、残った最後の円を示され、思わず間抜けな返答をしてしまった。シェイドは頷いた。




