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52.凍れる滅国と理越の女神<4/5>

 玉座を中心にした床一面に、巨大な光の法円が浮かび上がった。

 読めないが、大分目に慣れてきた古代文字が一瞬大きく光を放つ。法円の縁は現れるそばから光の壁となって神殿の天井を突き破り、なお天に向かって伸びていく。

 浮力と抵抗をまとって体に重くのしかかっていた水の気配が一気に消えた。浮力の代わりに重力を感じ、体を持つ者達は皆、自身を支えるために同じように足を踏みしめた。それまで気配を潜めていた『風』が、清涼さと供にグランの髪を踊らせる。

 水の中で揺られるように動いていた影たちが、戸惑った様子で、海草のように細く伸ばしていた体を縮こめだした。まるで潮が引いた岩浜に取り残されたイソギンチャクのようだ。

 大きな蛇と絡み合いながら格闘していた光の皇帯魚――チュイナは、浮力を失うと今度は巨大なワニに姿を変えた。太い尻尾を、床の上でのたうつ蛇に叩きつける。

「キルシェか?!」

 グランは剣を構え直し、体と顔は紅い瞳の娘に向けたまま、視線だけを周囲に巡らせた。

 さっきキルシェが使った、「水を空気に変える」魔法だ。自分の視界に姿は見えないが、町の探索に飽きて追いかけてきたのだろう。

 一方で、チュイナと同様『空気』にならなかった水の太刀魚たちは、浮力を失って床に落ちると同時に、今度は次々と小さく分裂して姿を変えていく。光をまとっているからあまり気にならないが、楕円の体に細長いひげを持つすばしこいあれは、岩場でよく見るフナムシの姿だった。

 フナムシたちは、縮こまって動けないでいる大きな黒いイソギンチャク達に、集団で群がり始めた。フナムシは浜辺の掃除屋だ。食い尽くしてしまうつもりでいるのかも知れない。

「貴様、一体なにを……」

「お前らの方がよく知ってるんじゃねぇの?!」

 自分に古代魔法の解説など求められても困る。グランに判っているのは、重なり合って干渉し合っているふたつの世界の、一方の環境が大きく変化したということくらいだ。きっと現実世界の海では、この場所だけが海面に円柱形の大穴があくという不思議な現象を起こしているのだろう。まったくもって、夜でよかった。

 同様に状況を把握したらしいエレムが、背後で軽く頷いた気配があった。グランは同時に、状況の把握が追いつかないらしい赤い瞳の娘に向かって踏み出した。

「体が動けばこっちのもんだ!」

 体に重くまとわりつく『水』から解放され、グランの動きが鋭さを増す。もちろん、生身の体を持つ娘にも同じ条件なのだが、彼女が持っているのは短剣だ。間合いに差がありすぎて、はじいて防ぐくらいの役にしか立たない。

 防戦一方の娘に、グランは容赦なく撃を重ねる。これが自分たちが会ったことのある『ラステイア』なら、娘の姿をしていようが、剣術の技量を侮ることはできない。事実、自分の剣の動きに、娘は押されながらもしっかりついてきている。これが同じような長剣を持っていたなら、こちらも苦戦したに違いない。

 武器の重さはそのまま、攻撃の早さと力に関わってくる。数度目の打ち合いで、娘の手から短剣がはじけ飛んだ。普通の相手なら、ここで降参を促すためにこちらも攻めの手を止める。

 だがグランは、動きを止めなかった。飛んでいった短剣を拾うか、別の動きをとるかで、娘が判断に迷ったその一瞬に、グランは切り返しの刃を娘の左肩へと振り下ろした。

 皮一枚も残さずに切り飛ばされた腕が、床に落ちた。

 こういう時、人間は腕を失ったことに少しの間気がつかないのだという。軽くなった肩にいぶかり、落ちた腕を目で見ても事態が判らず、一瞬置いて吹き出す血に、遅れて痛みが追いつくのだ。

 娘はからになっていた右手で左肩を押さえ、予想外の速さで飛び離れた。グランが娘の腕を切り落としたことに気づき、背後を護っていたエレムもさすがに動きを止める。

 だが、娘が押さえた傷口からあふれるのは、鮮血ではなかった。

 指の隙間から見えるのは、切り裂かれた肉でも、むき出しになった骨でもない。粘度を持った液体のような動きの光が、空気に触れるそばから細やかな赤い光の粒に姿を変え、灰を散らすように霧散していく。

「な、なんなのですの、そのひと……」

 さすがに予想外の光景に、ユカが目を丸くしている。ユカをかばうように立つヘイディアも、険しい目つきで肩を押さえる娘を見つめていた。

 一方で、切り落とされて転がる左腕は、切り口からだけではなく、腕全体を覆うように光の粉をまき散らしている。

「人間じゃねぇんだよ、こいつは……」

 グランが言いかける、それより早く、娘は取り落とした短剣ではなく、腕を拾おうと前屈みに手を伸べようとした。腕の間近にいたグランは、床に落ちた腕を更に遠くへ蹴り飛ばした。

 これが本当の人間の腕なら、まさに血も涙もない行為だが、切り口から血も見えず、むしろ全体が美しい光に包まれているだけに、見た目に凄惨さはない。

「そうか、さすがに切り離されたところから新しく生えてはこねぇのか」

「貴様、なぜ私を知っている……!?」

 目の前の『ラステイア』は、どうしてかグランと今、初めて会うようだった。『ラステイア』は主を変えて新たに具現しても、それ以前の記憶を保っているはずなのだ。初対面という演技をする理由がない以上、この反応は嘘ではない。

 一体、この『ラステイア』はなんなのか。グランは自分を睨み付ける侍女に向かって、改めて剣を構え直した。判らないことだらけだが、確実なこともあった。

「”終わり”の手伝いに来たんだよ、本当ならもうとっくに、お前の役目は終わってんだろ」

 言われて、娘は一瞬だが無意識に、視線をグランから玉座の女王に移した。

 神のための巨大な玉座に、青白い光でできた彫像のように座す、死んではいないがもう人ではない存在。蛇のように伸びた髪は、浮力を失ってもそれぞれが意思を持っているかのようにうねうねとうごめき、隙があれば不敬な侵入者に食いつこうと首をもたげ、細い舌をちらつかせている。

 エレムは会話に耳を傾けながらも、グランの背後を護るために玉座の主を見据えている。

 本当なら、レキサンディアが滅びたその日に、女王は死に、『ラステイア』は女王から解放されていたはずだった。レキサンディアを掌握し、周辺諸国まで影響力を強め、栄華を極めた女王は、終わりの時にレキサンディアそのものを、その当時まだ陸地だったメルテ川上流地域の土地とそこに住んでいた者達、そして押し寄せる敵艦隊までも道連れに、代償を支払ったはずだったのだ。

 しかし、別の大陸のものであったエディトの神の力が、女王に、人ならざる形での延命をもたらした。主の死か、望みを叶えるか、そのどちらかで解放されるはずの『ラステイア』は、復活し神として再臨するという女王の新たな目的に縛られたまま、長い年月を供に海の底で過ごしてきたのだ。

「今度こそ、私の役目は真の形で達成されるのだ」

 娘の口調は冷静だった。わずかに声が揺れているのに気づいたのは、グランだけだったのかも知れない。

 腕を諦めたらしい娘は、肩を押さえたまま身を翻した。追おうとするグラン達の前の床に、女王が這わせた蛇たちが身をうねらせながら割り込んでくる。

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