50.凍れる滅国と理越の女神<2/5>
祭壇は燃え盛る松明に下から照らされ、巨大な玉座だけが今は浮き上がって見える。なにかがそれに座っているのだが、玉座が巨大すぎて、巨人の椅子に子供が座ってでもいるような小さな影にしか見えない。
玉座に向かって並ぶ松明の列は、途中から、間に人の影を挟むようになった。多分、当時ここで仕えていた神官達だろう。彼らはゆらゆらとただ立っているだけで、グラン達が目の前を通っても動こうとはしなかった。ユカはエレムの背に隠れるように、おっかなびっくり影の様子をうかがっているが、どちらかというと、その背後を漂う無数の卵の方が気になるらしい。
近づくと、どうやらなにかがいるのは、玉座だけではないのが察せられた。玉座の右側にゆらゆらと、小柄な人影が揺れている。左側の同じ位置に、同じ位置に誰かが立っていたが、
「影じゃないのですの、人形……?」
「いえ、あれは……生きた、人のように思えます」
女王の棺の世界の中で、女王以外に生きている存在などあるのだろうか。ヘイディアはしかし、左側の存在を、確信を持って見据えている。近づくと、青白い松明の炎の中で、その存在だけがはっきりした形と色を持っているのが判った。
若い娘だ。服装は、レキサンディアで一般的だったものか、一枚布の白い貫頭衣を金の腰帯で止めた、簡素だが豪華なものだった。肩で切りそろえた髪は雪のように白く、太陽の色をした赤の瞳が鮮やかに輝いている。
「あの目……あの髪、やっぱり……」
呟いたエレムになにか感じたのか、白い髪の娘が視線を動かしたのが判った。グランも口を開きかけたが、
『よく来ました、わたくしの新しき民よ』
涼やかな声が、全員の意識を白い髪の娘から玉座に引きつけた。
いつの間にか玉座には、はっきりとした人の形をとった女が座っていた。周りで揺らぐ神官は、煙のような黒い影なのだが、玉座の主だけは、青白い幻のように、半透明だが形ははっきりと見える。ただ大きさが、隣に立つ娘の、倍以上はあった。白い一枚布を体に巻き、右肩で結んだ女神のような服に、くびもとの黄金の飾りが特徴的だ。
頭には蛇をかたどった王冠が乗り、額には王冠とは別の飾りがある。眉間の上に、黄金の五芒星が輝いているのだ。しかもあれは、単なる飾りとは違って、光そのもので描かれているように思える。
『わたくしは女神シースの化身、新しき住人を心より歓迎いたしましょう。招いたものも、招いてはおらぬものも』
「なにを勝手に言ってるのですの?」
エレムの後ろで、ユカが小声で呟いている。この状況で、意思を持っているらしい新たな何者かが現れたのに、なかなかの肝の据わりようだ。一方で、
「女神シースは、死と再生の女神と言っていませんでしたか」
「てことは、シースが支配する国の住人ってのは死んだ奴らってことか?」
小声で会話するグランとエレムの肩の隙間から、相変わらず乏しい表情で玉座を見据えていたヘイディアが、気持ち足を踏み出し、グランの斜め後ろから囁いた。
「……同じ気配がします」
「なにがだ?」
「あの白い髪の女性と、グランバッシュ殿の剣から感じる気配が、です」
そういえば、ヘイディアはランジュが『ラグランジュ』であることを知っていたのだ。ランジュの名前を出さなかったのは、ユカに配慮してのことなのだろうが、そのヘイディアにも『ラステイア』の存在は教えていなかった。思わぬ所からの不意打ちに、グランはヘイディアを見返したまま、言葉が出てこない。
『……案ずることはありません、わたくしは再生の女神』
立ち止まったまま小声で言い合っている客達に向かって、玉座の主が穏やかに続けている。
『死はあなた方の終わりではありません。もうじき月が消え、潮が満ちます。今この街にあるすべての生あったものは、わたくしの一部となり、新たなる世界に王として君臨するのです』
「一部ってなんですの? 『一緒に』の言い間違いですの?」
ユカは特に感銘を受けた様子もない。エレムは女王に目を向けたまま、言葉だけを背後のユカに返した。
「人間が牛や魚を食べるのと同じような意味じゃないでしょうか」
「それじゃあなんにも判らないのと同じですの!」
「判ってたって一部になんかなりたかねぇぞ」
グランは吐き捨てると、斜め後ろで黙ったままのヘイディアに顔を寄せ、
「詳しい話は後だが、あの白いのはランジュと同じものじゃねぇ。多分今は敵だ」
一方で、白い髪の娘は、こちらの動きを注視してはいるものの、特になにか気づいた様子はない。玉座に悠然と寄り添い、女王の言動を邪魔することなく控えている。
ほかの者はほぼ影でしかなく、女王自体も形ははっきり見えるものの、青白い幻のように半透明の姿なのだ。だが、白い髪の娘だけは、こちらと同じで、形ある体を持っているように見える。
『ラグランジュ』との契約は、持ち主が願いを叶えた時か、死んだ時に切れる。ラグランジュと対の存在である『ラステイア』にもそれが適用されるなら、都市が滅んで女王が死んだ時に契約が切れていなければならない。しかし現実に、女王は海の底で再起を待っていたと思われ、その横にラステイアがいる。
レキサンディアが存在していた頃、女王がラステイアを手に入れていた。これは十分にありうる。あのラステイアは今までずっと、この死んだ街で、死に損なった女王とともに過ごしてきたのだろうか。しかしそれでは、自分たちが地上で何度か会った『ラステイア』はなんなのか。
『恐れずにいらっしゃい、もうすぐ潮が満ちます』
玉座と距離を置いて立ち止まったままのグラン達に、女王は穏やかに微笑んだ。
『わたくしの最後の贄よ、新しき世界の扉を開く力となる誉れを与えましょう』
女王が言葉と供に、左手の錫杖を振り上げる。それを合図に、入り口から祭壇の前まで連なる松明の合間に立っていた神官の影達が、ゆらりと形を変えた。細長い海草のように揺らぎながら背を伸ばし始める。グランとエレムがまとわりつく空気の中で剣を抜き、一方で、シェイドが懐に手を入れる。
「贄って言ったのですの!」
周りの変化よりも、女王の言葉にカチンときたらしいユカが、歯をむくように叫んだ。
「どいつもこいつも人を利用することしか考えてないのですの! 人の力に頼らないとなにもできないくせに、なんであんなに偉そうなのですの!」
「言ってる場合じゃねぇって!」
ヘイディアが錫杖を逆手に持ち、後背を護るようにユカの後ろに回る。背後からも、海草のような影が揺らぎながら、四方から迫ってきているのだ。
「蹴散らして、突っ込むぞ。離れるなよ」
キーキー言っているユカにそれだけ言うと、グランは近くに来た影を斬り散らそうと足を踏み出した。シェイドが懐からつかみ取った一握りの煙水晶を背後にばらまいた。
同時に、それまでユカの肩にいたチュイナが、宙に身を躍らせた。
シェイドの手から離れ、緩慢な動きで宙を散っていく煙水晶の一つに、チュイナが食いついたのだ。
「なにやってるのですの、戻るので……」
一緒に走り出そうとしていたユカが、チュイナを叱咤する、その声が途中で止まった。




