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48.誰そ彼時、逢禍時<5/5>

「すぐに法円あれを起点に風の穴があくから、みんなで飛び込んでね。ルアルグの神官さんは、追い風を起こしてみんなを援護して」

 言っているそばから、法円そのものが、通りの先へ光の柱を伸ばし始めた。むしろあれだけでも、邪魔者を遠ざけるには有効な気がするのだが。

 その光は通りの向こう側まで伸びきったかと思うと、はじけるような閃光を放った。全員がまぶしさに目を細め、光の柱の近くにいた影達が巻き込まれて霧散する。キルシェは先導するように、法円の中に飛び込んだ。

 躊躇している暇はない。グランも、その後ろの者達も、続いて法円に駆け込んだ。駆け込んだ途端、

「うぉ?!」

 いっきに体の重さが増した気がして、グランは思わず膝をつくところだった。エレムも同じように片膝と片手をついて体を支えている。

 法円をくぐった先では、円筒形の光の通路ができていた。洞道トンネルの壁にあたる部分は見えないガラスが陽光を受けているように淡く輝いている。さっきまで全身に重くまとわりつき、代わりに浮力を発生させていた水の気配はまったく消え去って、中は地上と同じ、風だけが満たされている。

「体が重いのですの! 水の中じゃなくなったのですの!」

 体の重さは感じるようになったが、逆に動きは軽くなった。ユカに続いて法円に飛び込んで来たチュイナが――水でできた巨大なエイが、霧をまき散らして回転しながら小さくなり、もとのトカゲの姿になって、ユカの頭にちょこんと飛び降りた。

 街路のそこそこに佇む『住人達だったであろう』影は、蛇のように細長く形を変えながらも、こちらに近づいてくるのを躊躇しているようだ。光で覆われた通路に、飛び込んで来ることを本能的に避けているのだろう。

「風が動いている……いったいなにが起きたのですか。転移の魔法で、この空間に風を呼び込んだのでしょうか」

「雷撃の魔法で、現実あっち側の水を空気に変えたのよ。雷の精霊って扱いが難しいけど面白いわぁ」

 答えるキルシェは、相変わらず理もなにもかも無視してグランの近くにふわりと漂っている。

「水を空気に……?」

「あなたたちは判らなくていいことよ」

 目を瞬かせるヘイディアに、キルシェはいたずらっぽく笑みを見せた。

「とにかく、この通路は一時的なものだから、早く走りきっちゃいなさい」

 言っているそばから、自分たちが飛び込んできた光の洞道は押しつぶされるように縮もうとしている。棺の中に満たされた水の重さを、そう長い時間は支えられないようだ。

「追い風を起こします、皆さんも走って!」

 体勢を立て直し、錫杖を持ち替えたヘイディアが声を上げる。

 この空間に満ちている風は、地上で触れているものよりも、清涼度が上のようだった。水の影響から抜けたことで重く感じていた体も、すぐに感覚が戻り、グラン達は石畳の上を駆ける。

 その後ろから、追いかけるように風が吹いてきた。ヘイディアが法術で風を起こしたのだ。

「すごいのですの、飛んでるみたいですの」

 体が小さくて軽い分、勢いがついた様子でユカは走りながらきゃっきゃと喜んでいる。

「……あなたが扱うのは、この大陸の先住魔法でありますか。法術とは理が違うのでありますな」

「似てるんだけど、理屈は別物ね。あなたこそ、変わった力を使うみたいねぇ」

「お見通しでありますか」

「女王の使う『棺』とやらもそうだけど、この大陸のとは全く起源の異なる魔法ね。少なくとも初めて見る力だわ」

「もうとうの昔に、この世から消えていたはずの力でありますよ」

 伸びた前髪の下で、シェイドが自嘲気味に口元をゆがめる。

 髪で目元を隠しているのは、だらしないわけでも頼りなさの現れでもない、人に表情を見せないためなのだろうか。グランはちらりと思ったが、口にしたのは別のことだった。

「つーか、このまま走ってていいのか? どっかで曲がらなきゃなんねぇんだろ?」

「突き当たりまではこの道で大丈夫であります、キルシェ殿、この通路を神殿までつなげることはできるのでありますか」

「簡単には曲げられないのよねぇ。どうせもうすぐ効果が切れるから、あとは自力で走ってちょうだい」

「またあの状態で走るのかよ!」

「あたしのおかげで楽できたんだから文句言わなーい」

 他人ごとのように、というか、実際そうなのだろう。キルシェはグランと同じ速度で寝そべるように飛びながら、くるりと体を反転させた。頭の後ろで指を組み、光のトンネルの外を流れ去る整然とした町並みを少しの間眺めていたが、

「せっかくだから大図書館でも見てこようっと。じゃあ頑張ってね」

「あっおい!」

 なにが目に入ったのか、キルシェは頭の上に現れた法円に吸い込まれるようにあっというまに消え去ってしまった。後ろを走っていたユカが目を白黒させる。

「なにしに来たのですの……」

「暇つぶしだろ、ああいう奴なんだよ!」

「もうすぐこの洞道が終わりますよ!」

 かぶせるように叫んだエレムの言葉通り、キルシェが作った光の洞道の終点が、通りの突き当たりで淡く揺らいでいる。エレムは走りながら背中の剣を引き抜いた。

「せっかく水の中なのになにもできないのですの、アヌダの巫女の名折れですの」

 ユカが悔しそうに呟いているが、多分あの力を応用すれば、いろいろとできることはあるはずなのだ。ただ、ユカには応用できるだけの発想力が不足している。水に対する知識も、一般的なものしかないだろう。だから今のところ、使い魔の形にして使役するくらいしか思いつかないのだ。

 だからといって、今それ以上の案がとっさに出てくるわけでもない。グランがなにも言えずにいるうちに、あっという間に全員は洞道の端にまでたどり着いてしまった。速度を落とさないまま、揺らぐ光の壁に突っ込むと、また水の中特有の浮遊感と抵抗感が一気に体にのしかかってきた。

「後ろは自分が護るのであります、シースの神殿はすぐそこなのであります!」

 シェイドが指さしたのは、都市の南側、背後に広大な内海の広がる港を見守るように建つ、巨大な石造りの「箱」だった。

 四方を背の高い壁で囲まれ、正面には見張りの塔を兼ねた巨大な門柱がそびえ立っている。その門柱にはさまれた門の部分も、まるで巨人が通るためのものであるかのように背が高い。

「あんな巨大な建造物を……」

「あの大灯台を造る技術があった文明でありますよ。ただ大きいだけの建物なら、どうということはなかったのであります」

 状況を忘れ、あっけにとられているエレムに、シェイドが答える。グランも思わず足を止めかけたが、

「住人の影達が変化を始めています、走ってください!」

 ヘイディアの声に、慌てて全員が重い空気をかき分けるように走り出す。

 自分たちが今まで走ってきた「風の洞道」は、周りを覆っていた光が既に失われ、近寄ってくるのをためらっていた住人の影達が、ゆらゆらと海草のように形を変えながらその先端をこちらに伸ばそうとしている。青白い光で縁取られた美しい石造りの町並みの中で、かつて生きていたはずの者たちは、もう形すらはっきりしないまま、長い間この死んだ町の中に留まってきていたのだろう。

「怖いけど可哀想ですの、あの人達、自分がなんだったかも判ってないのですの」

「彼らは死んだ人そのものではなく、死んだものの残した『想い』でありますからね……」

 滅びてもなお、それまでの日々を繰り返す、残像のようなものなのだ。本当ならそれも、時間の流れに溶け消えていたはずだったのに、『棺』の力が今も彼らを死んだ町に縫い付けている。

 水をかきわけるように、グラン達は巨大な神殿に続く道を走った。海草のように揺らめく影達が距離を詰めるたびに、シェイドが懐から煙水晶をつかみ出し、ばらまいている。はじけた光に触れれば影は消え、その周りのものも怯んだように距離をとるのだが、影は彼らが駆け抜ける先から現れるから、結局同じことの繰り返しになる。

「てか、神殿にもこんなのばっかりだと対処できねぇぞ。中はどうなってるんだ?」

「たぶん、入ってしまえばしばらくは大丈夫であります。とにかくあの門をくぐるのであります」

 見張りの塔を兼ねた巨大な門柱は、その両脇だけでなく、塔の上の見張り場にも、衛兵らしい影が揺らいでいる。青白く浮かび上がっているから形だけは判るが、どうやら門柱や壁の至る所に、当時の神や権力者を描いた壁画が刻まれているようだ。

 神殿前の大通りだけあって、周囲をたむろしている影達も多い。住人も、門を護っている衛兵達も、目でものを見ているわけではないのだろう。ある程度近づくまでは、影絵のように当時の生活の姿を繰り返しているだけだ。

 それが、グラン達が通ることで空気が……いや、水が揺れるのを感じたかのように、揺らぎ、海草のように形を変えていく。それが絡み合いながら大きく伸びてくるのを感じながら、グラン達は走った。開かれたままの巨大な神殿の扉に、逃げ込むように飛び込んだ、その瞬間に。

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