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44.誰そ彼時、逢禍時<1/5>

 彼らはその時、浜に引き上げた船の近くで火をおこし、酒盛りをしていた。日は沈み、濃い藍色に染まっていく空に増えていく星を眺めながらの酒盛りは、漁師町の若者の、数少ない楽しみのひとつだ。

「町じゃあんなに騒ぎになってるけど、俺たちは全然変なものを見ないよな」

「なにが『海からやってくる死者が生きてる人間を連れて行く』だ。そんなこと言ったら、爺さんもひい爺さんもみんな海で死んでるぞ」

「一緒に酒盛りしに来るなら判るけどさ。流れ者の泥棒が、変装でもしてるんじゃねぇの」

 仲間ばかりなので気が大きくなっているせいもあるのだろう。爆ぜる薪を囲んでの宴会は次第に盛り上がり、下手な歌を歌い出す者も現れた。その片隅で、馬鹿騒ぎに呆れたように、一人静かに沖を眺めて杯を傾けていた青年が、なにかに気づいて声を上げた。

「……なんだろう、あれ」

 周りの者もその声に気づき、同じ方向に目を向ける。言われてみれば確かに、真っ暗な海の上に、白い影がぼんやり浮き上がっているように見えた。

「なんだ? 誰か泳いでるのか」

 若者達が目をこらす中、白い影は、肩から上を出してこちらに近づいてくる。泳いでいるのではなく、海底に足をつけてこちらに歩いてくるような動きだ。

「なんかよく見えないな、あいつ誰だ?」

「さぁ……」

 首を傾げる者がある一方で、さっきまで陽気に歌っていた青年が、いつの間にか歌をやめ、信じられないものを見るように呆然と、海上の白い影に見入っている。

「アーニャ……」

「えっ?」

 それは、数年前に亡くなった、男の妻の名前だった。男は感極まった様子で、半ば呆然と沖からやってくるなにかを見つめている。しかし、周りの仲間達には白い大柄な影に見えるだけで、顔かたちどころか、性別もよく判らない。

「アーニャ……ああ、赤ん坊まで……やっぱり、生きてたんだな」

「なに言ってんだよ、アーニャはお産の時に子供と一緒に死んじまったろ、町の女達がみんなで綺麗にしてやったじゃないか」

 周りの声も、もう耳に入っていないようだ。波打ち際に近づくにつれ、白い影はだんだんと海面から姿を現した。しかし周りの者には相変わらず、人の形をした白っぽい影にしか見えない。その影に向かって、青年は手を伸ばし、のろのろと近づいていく。

「そうか……俺も会いたかったよ、それは俺たちの子なんだな、そうか……」

 嬉しそうに語りかける横顔に狂気すら感じ始め、周りの者は動くに動けない。男の手が、今にも白い影の顔に触れようとする、その時だった。

 横から伸びてきた鈍色のなにかが、白い影の頭を粉砕した。

 ぼやけていた白い人影「だったもの」は、頭を失って立ちすくんだ。目の前で、愛する者の頭部が砕けるのをまのあたりにし、凍りついた青年は、声も出せずそれを凝視している。

「失礼、無粋は百も承知であるが、情で人を危険にさらすわけにもゆかぬ」

 のんびりした声とともに、黒いマントの大柄な軍人が、持っていた戦斧を一度引き、再度突き出した。鈍色の刃が、立ちすくむ白い影の胴体を易々と貫いた。岩が砕けるような音がして、白い影の首元から金色のなにかが振り飛ばされ、砂浜の上に落ちる。

「な……な……」

「わりと容赦ないですね、エスツファ様」

「しばらく持っていなかったから加減が難しいな。斧は剣以上に勢いが乗りやすいのであるよ」

 呆然と立ちすくむ男と、声も出ない仲間達を尻目に、大柄な軍人と法衣姿の少年が世間話でもするように緊張感なく話をしている。

「しかし、今のでよく判った。あやつらは、その者の記憶の中で一番印象の強い故人の姿を見せるのだ」

「……ぼくにはただの白い影にしか見えませんでした。エスツファ様には誰に見えてたんですか?」

「忌々しい金髪の詐欺師であるよ。生きている時はせいぜいたまに言い負かす程度であったが、おかげで気持ちよく殴れた」

 エスツファは機嫌良さそうに戦斧を担ぎ、

「さて、そろそろ正気に戻られよ。貴殿には、これが愛する妻と子供に見えるのであるか」

砂浜に散乱する、濡れた骸骨を指し示す。頭蓋骨と肋骨の左半分は大きく砕けてしまっているが。

「こ……これは……」

「みなさんも、よく見て、町の人に伝えてください。こいつらは、人の姿を装って、町に入り込んでます。見る人が死者に対して強い思いがあると、その故人に見えてしまうこともあるようです。でも、この……」

 リオンは砂浜に落ちた金の首飾りを拾い上げ、呆然と見守る周りの青年達に向けて掲げて見せた。

「首にかけている首飾りを奪えば、動かなくなります。ちなみにこれは、純金と宝石です。売れば、船を新調したっておつりがでます。そんなのが今、町にうようよいるんですよ」

 リオンの話を飲み込んできたらしく、それまでただ呆然とこちらを見ていただけだった若者達の目に、みるみる光が戻ってきた。酔いもっふっとんだ様子で、次々と立ち上がり、歓声を上げながら町に向かって駆けだしていく。その後ろ姿を追いかけるように、リオンは声を張り上げた。

「いいですね、首飾りですよ。頭をたたき落として首を外せば一発ですからねー!」

「リオン殿もなかなかやるな。よい煽動者になれそうであるな」

 エスツファは感心したように顎をなで、側に控えていた部下達に手を上げた。壊れた骸骨を前に、未だ呆然と立ちすくむ青年の肩を支え、部下達が連れ去っていく。

「同じ町の中でも、奴らに惑わされない者がいるようであるからな。上手く働いてくれるであろう。人の欲ほどよい原動力はない」

「でも、町の住人だけが影響を受けるわけじゃないですよね。こちらの兵士にも、惑わされる人がでないとも」

「そのために、町を警戒する者は、必ず複数で行動するよう命じてあるよ。それにこちらは既にからくりを知っているからな」

 言っているそばから、町中が騒がしくなったのが海岸からでも察せられた。暗がりに紛れて入り込んでいた侵入者が、続々と発見されているのだろう。

「さて、我らも祭りに参加するとしようか。夜半の月が昇るまでは、我らで持ちこたえねばならぬ」

「そうですね……あっ!」

 無意味に斧を一回転させて担ぎ直したエスツファに続こうとして、何気なく沖に目を向けたリオンは、思わず声を上げた。

「あれ、なんですか?!」

「あれは――」

 つられてエスツファと、その部下達が振り返る。声を失った部下達を背に、エスツファが面白そうに眉を上げた。

「なるほど、これなら町の者達ももう信じないわけにはいくまい。これは忙しくなりそうだ」

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