38.継がれし世界<5/5>
「……女王は女神シースを特に崇めていたと聞くが、シースとはどのような存在であるのかな」
「はい、レキサンディアでは、女神シースはアウセルの妻であり、永遠と時を司るとされていたようです。わずかに残った当時の文献の中に、女王は公の場にはシースを模した姿で現れたことが記されております。自らをシースの化身と称していた女王は、建てさせた神殿の祭壇に、女神シースの像ではなく、自分のための玉座を作ったとも」
「ほう、自らを神と」
「はい。しかし、本来のエディト神話では、女神シースは、死と再生の神、ひいては豊穣の神ありました。永遠と時を司る神として崇められたのは、レキサンディアだけでした。これには、エディト神話のひとつの逸話が関わっていると思われます」
ルスティナは促すように軽く頷いた。
「エディト神話の主神アウセルは、地上の王となる際に、太陽神である父から支配者の証としてふたつのものを譲り受けました。ひとつは、時の舵。時の舵は季節を巡らせ、この世に循環をもたらしました。人の世に必要なのは、変化を伴いながらも、毎日が、そして四季が安定して繰り返すことだと、エディト神話では教えています。
もう一つは、時の棺です。時の棺に世界が閉じ込められたとき、それが夜であれば、太陽は二度と昇らず世界は寒さと飢えに覆われます。それが昼であれば、夜は二度と来ず、世界はいずれ太陽に焼かれた灼熱の世界と化します。エディト神話では、日々の停滞は死と同義であったのです」
「なるほど、治める力と、裁く力、すなわち王の権威の象徴であったのだな」
「左様にございます。しかし、アウセルの弟であるセッツがこれを妬み、アウセルを陥れ、体をバラバラにして世界中に投げ捨ててしまったのです。セッツはその際、時の棺と時の舵をも奪おうとしましたが、アウセルは時の舵を口にくわえたまま放しませんでした。セッツは時の舵をあきらめ、時の棺を王の証として、ひととき、世界の王として君臨しました
シースはバラバラになったアウセルの体を世界中から探し出しました。シースは死と再生の女神でありましたから、体さえ揃えば、死んだ夫を復活させることはたやすかったのです。しかしアウセルが復活しても、セッツが時の棺を持ったままでは王権が割れ、世界は混乱してしまいます。シースは奸計を用いてセッツから時の棺を取り戻し、アウセルを復活させました。復活したアウセルは時の棺をシースに与え、以降、王と王妃は二人で世を治めることが通例になった、それがレキサンディアにおける王と王妃の共同統治の由来とされています」
「なるほど……では、エディト神話を崇める国では皆、男女による共同統治が通例であるのかな」
「いえ、この話はレキサンディアにのみ伝えられた話で、エディト神話が発祥した地では少々結末が異なります。
女神シースは、時の棺はみつからなかったと偽り、夫が復活した以降はそれを隠し持っていたのです。それは、時の棺を取り返された際にセッツが『復活した夫はいずれ恩を忘れ、シース以上に美しい女神が現れればやすやすと裏切るだろう』と疑惑を埋め込んだからでした。
時の棺を持たないアウセルは徐々に王としての権威を失い、人間達の心はエディトの神々から離れていきました。セッツにそそのかされていたことを悟ったシースは時の棺を王に返しますが、そのときには既に、エディトの神に治められていた人間達は別の神を求めて地に散っていきました。……今でもエディト神話信仰を受け継ぐ南大陸の国では、女性は男性よりも劣るものとされ、特に政には関わってはならないとされています」
「なるほど……シペティレがシースを崇めていたのは、共同統治者としての自分の権力を強める目的があったのだな」
「そのように思われます。シースはエディト神話では重要な役どころですが、信仰の対象としてはさほど重要視されておらず、神殿があったのもレキサンディアだけでした」
ルスティナは考えをまとめるように目を伏せ、すぐに顔を上げた。その目は、女王の描かれた絵にまっすぐ向けられている。
「もし、すべてが滅び去ろうとする際に、時の棺を使ったとしたら、どうなるのであろうな」
「滅びの時……でございますか」
「たとえば、レキサンディア全体が崩壊し、女王自らも波に飲み込まれる寸前に、時の棺を使ったとしたら」
「それは……都市全体がほぼ壊滅した状態で、時が止まるということでしょう。地震による建物の倒壊で、既に多くの死者が出ていたと思われますし、まだ息があった者達も、波に呑み込まれてほとんどが逃げ遅れてしまったはずです。いかにシースが再生の力を持つ女神でも、止まった時の中で復活を試みることはできないでしょうから、死者にも生者にも意味のない……」
そこまで答えて、解説員はふと、ルスティナの横顔に目を向けた。
「閣下はひょっとして、女王シペティレが時の棺を持っていたら、という仮定で私にご質問なさいましたか」
「うむ、女王が自らをシースの化身とまで言っていたのであろう。単に、女王としての権威を高める目的以上の、根拠があったとしたら……」
「レキサンディアでは、王が時の舵、王妃の時の棺を持ったことが、共同統治の習わしの由来とされておりましたから、それぞれがそれを模したなにかを受け継いでいたことは考えられます。しかし……」
ルスティナが相手だけに、仮説を笑い飛ばすわけにもいかず、解説員は困惑した様子で首を振る。いつの間にかそばで耳を傾けていたリオンが、控えめに片手を挙げた。
「さっきレキサンディアの遺物の解説をしてくれた人は、階級章をつけた骸骨のことで、『レキサンディア崩壊当時の状態を保ったまま保存されている環境が存在する可能性があるかもしれない』っていってました。完全にそのままってことはないでしょうけど、風化を普通よりも遅らせるような環境があるかも知れないって、ことですよね」
グランが聞いていたら、エレムに口調が似ていると揶揄していたところだろう。リオンはいたって真面目な顔で続けた。
「時を止める、つまり『風化を遅らせられるような状態を保つ方法』を当時の誰かが知っていたのであれば、本来なら海の底で消えてなくなってたはずの当時の遺体が、骨だけとはいえ形を残していた理由も、説明がつくんじゃないでしょうか」
「いや、しかしそんなことが現実的に……」
どうやら、この解説員は、さっきの者よりも常識的らしい。だが、それまで黙って話を聞いていたユカが、一歩前に踏み出した。
「調べる前から可能性を否定するのは、研究者として正しくない姿なのですの」
その言葉に、解説員は言葉を失い、すぐに恥ずかしそうに頭をかいた。
「そうでした、お嬢さんのおっしゃるとおりです。芸術も学問も、『もしかして』から始まるのでした」
リオンとユカは思わず笑顔で視線を合わせた後、はっとした様子で不機嫌そうにそっぽを向いた。ルスティナは目を細めて頷いた。
「……エディト神話における”棺”は、死者が再生を待つ寝所とのことであった。本来は裁きの道具であるはずの『時の棺』を用いて、崩壊したレキサンディアの『時を止め』たのだとしたら……、シペティレのその先の目的はなんであろうか」
ことばは疑問形だが、ルスティナのなかで答えは出ているようだった。絵の中の女王……に寄り添う、白髪の侍女をしばらく見据えていたルスティナは、銀色のマントを翻すように振り返った。
「グランとエレム殿に伝えねばならぬな」




