36.継がれし世界<3/5>
「これ、霊珠じゃないかな。光系の力が放出された跡があるよ」
「霊珠?」
リノは受け取った小石を、壁の燭台にかざした。
「お前たちが魔力石って呼んでるやつとは違うのか?」
「地域によって、精霊石とか文珠とか、呼び名はいろいろあるけど、魔力石とはちょっと違う。どっちかっていうと、護符に近いね」
言われていることがさっぱり判らない。エレムはなんとなく判っているようだが、話を遮らないほうがよいと判断したらしく、口を挟まないでいる。
「魔力石は、文字通り魔力を蓄えるだけのものだよ。それを使える別の存在がないと、力を発揮できないの。……魔力石だけを兄さんがもらっても、役に立たないよね? キルシェ姐さんみたいに、魔力を利用する方法を知ってる人じゃないと使えない」
「ふむ」
「霊珠は、力と一緒に目的がこもってるの。効果はピンキリだけど、なにかのきっかけで効果を放出するタイプが一般的だね。……聖水って、あるでしょ」
「聖なる存在からの祝福を宿した水、という感じでしょうか」
「うん、悪霊に取り憑かれた人にかけると追い払うことができる、とか、自分にふりかけて魔を避けるとか、あんなのね。聖水自体に意味があるから、誰が使っても効果は変わらない。霊珠はそれと同じ感じ。悪い精霊に投げつけると、聖なる力を放出して追い払う、っていうのを想像すると判りやすいんじゃないかな。だいたいが一回きりの使い捨てだけど、相手をひるませるくらいなら十分使えるでしょ。……ただ、使うことは誰にでもできるけど、力を注ぎ込むのは当然、その系統の能力を持った人じゃないとできないよ」
「なるほど」
「これには、光の魔力がこもってた跡があるよ。……ああ、さっき騒がしかったのは、これのせいだったんだね」
リノは小石をまじまじと眺め、勝手に納得している。
「……さっきの幻の終わりに、なにか光ったよな」
「そうですよね。それで、あの蛇の動きが止まって、景色が戻って……」
「なになに、面白そうじゃない。おいらにも教えてよ」
リノは明るい笑顔で遠慮なく話に踏み込んでくる。秘密にしておく理由もない。エレムがかいつまんで階段での出来事を話すと、リノはくりくりと目を動かし、
「階段の近くにいた衛兵さんには、光は見えてなかったっぽいのね?」
「だと思います」
「とすると、これを投げつけた誰かも、兄さん達と同じ場所にいたんじゃないかな」
「同じ場所? 階段を降りたときは、周りにはだれもいなかったぞ」
「うん、たぶん幻の側にいたのね」
リノは何でもなさそうに答えた。
「兄さん達、たぶんその一瞬に、別の場所に引き込まれて、戻ってきたんだよ。うーん、別の場所っていうのもちょっと違うか。伝わるかわかんないけど、同じ場所にある、別の世界」
「同じ場所の、別の世界?」
「おいらたちのこの世界は、いろんな世界が重なって存在してるんだって。魔法使いとか、錬金術師とか言う人たちは、『次元』って呼ぶらしいんだけどさ。おいら達には見えないし、触れもしない世界が重なってる。精霊なんか、見える人に言わせれば、その辺を普通にうろうろしてるっていうよ。力の強い精霊や、魔法使いだと、一時的に別の世界につなげて、そこに人を誘い出したりするよ」
「別の……? 絵にとりついてた馬の精霊が、絵の中に世界を作って棲み着いてた、あれみたいなやつか?」
「そそ、そんな感じ。この町は大本が歪んでるから、精霊達も棲みやすいんだろうね」
リノはまるで町全体を見渡すように、ぐるりと首を回した。エレムが目を瞬かせる。
「『歪んでいる』って、なにがですか?」
「空間がね。……特にその港から、海の上がすごいのよ、ここもそう。多分、古代レキサンディア全体が、まだ”生きてる”よ」
「レキサンディアが、生き……?」
「兄さんはキルシェ姐さんに会ったんでしょ? 何も言ってなかった?」
「いや、『ここは面白い』って……。俺は、博物館が面白い場所だって言ったのかと思ってたんだが……」
「ああ、あそこも面白いね。レキサンディアの匂いに惹かれて、いろんな精霊が集まってきてる。形のない精霊が人間から力を得るには、人間の関心が集まる絵や像に宿るのが手っ取り早いらしいから」
博物館、と聞いてエレムは一瞬微妙な顔つきになったが、ここはグランではなくリノの話に重点を置くべきだと判断したらしい。リノはにやりと笑うと、
「でも、姐さんが面白いって言ってたのは、この一帯ぜんぶひっくるめてのことだと思うよ。ここもそうだけど、博物館も、そこの港も、レキサンディアの跡地にあたるんでしょ」
そこまで言うと、リノは目を細め、なぜかグランに向けて手を伸ばした。グランの肩の上にくっついて様子を見ていたいたチュイナが、その手から逃れるように髪の中に引っ込んだ。リノは肩をすくめると、
「ところで、兄さんたちこそここに何しに来たのさ。昨日の夜から町が騒がしいのとか、ここを衛兵がうろうろしてるのと、何か関係があるの?」
「なんだ、お前何も知らないのか」
「夜になって町全体に魔力の気配が強まったのは気づいたよ。でも、そういう土地柄なのかと思って、あんまり気にしなかった。意外とそういう所、あちこちにあるからね」
そう言うと、リノはなぜか胸を張るようにグランとエレムを見返した。
「ほかならぬ兄さんたちだ、おいらで役に立つなら相談に乗るよ」
「お前、キルシェと同じくらい信用できねぇんだよな」
「だから同じ枠に入れないでよ、おいら探究心に満ちたただの魔道具狩人よ」
信用できなさに拍車がかかるが、リノが、魔法にかかわる感覚が鋭いらしいのは事実だ。エレムが、昨日からの出来事を話すと、リノは大げさに腕組みをして見せた。
「なるほどねぇ、レキサンディア時代の階級章自体が、骸骨を操る魔道具として機能してるのね。てことはさ、それ、ファマイシス王朝がレキサンディアを治めてた時代から、魔道具として使われてたんじゃないの」
「階級章が、魔道具?」
「統治者にとっての理想の兵士って、何だと思う」
顔を見合わせた二人に、リノはにやりと笑った。
「裏切らない、逆らわない。まずは無条件の忠誠心よ」
確かに、どれだけ強くて有能でも、腹の中でなにを考えているか判らない兵士など困るだろう。
「例えば、だよ。シペティレは、王である実の弟たちを押しのけて、女王として実権を握ってた。でも代々共同統治といいながら、男子である弟たちのほうが実質有利だったわけでしょ。頭の硬い貴族の中には、力を振るうシペティレを快く思わない者もいたろうし、隙があれば弟王について権力を得ようという派閥だってあったろうね。どんなに剛胆な女王でも、自分の周りにいる家臣くらいは信用したいんじゃない? 人の心を操れるような魔導具があったら便利だよねぇ」
「忠実な家臣に仕立てるための、魔道具か……」
「ということは、骸骨たちは王族の何者かのために働いてると言うことですか?」
「さぁ、魔道具の性質に気づいた誰かが、忠誠の対象を自分に替えてる可能性もあるし、断言はできないけど。それに、おいらが判るのは道具に関してだけで、いなくなった人たちがどうなってるかまでは想像もできないよ」
「ふーむ」
「あ、でも、最後にその人たちが目撃されたのって、昨日、月が出た頃って言ったね」
リノは記憶を辿るように大げさに腕を組んだ。
「その人達は見なかったけど、堤防のそばで黒い法衣の冴えない男の人を見たよ」
「黒い……法衣、ですか?」
「うん。堤防のあっち側から、この島を眺めてた。あれ、兄さん達の知り合い?」
黒い法衣と言えば、この町でグラン達が知っているのは一人だけだ。あの時間、シェイドはしばらく姿を消していたのだ。フィーナらしい姿を見て追いかけていた、と言っていたが。
何をどう考えていいのか。グランは少しの間、真剣な顔で、リノから返された小石を眺めていたが、
「……騒がしいようですが、どうかされましたか?」
こちらの話し声が耳に入ったのか、廊下を通りかかった衛兵が、入り口から顔をのぞかせた。グランとエレムは、反射的にリノの体を隠すように並んで振り返った。
「え? いや……」
「あ、そうじゃないんです。話に夢中になってしまって」
「……変わったことがあったら、何でも声をかけてください」
「は、はい」
ぎこちなく答える二人に軽く一礼して、衛兵はまた持ち場に戻っていく。いないはずの人間の姿を見とがめられなかったかと、焦って視線を戻すと、そこにリノの姿はなかった。




