33 .過去は水底に<4/4>
「海からやってくる何者かが縁のある人を連れて行く、という噂は、かなり以前からあったようです。ということは、今までも、ふらりといなくなって、それっきり戻ってきていない方がいる、ということですよね……」
「そのひとたち、どこで、どう過ごしているのですの……?」
言われて、グランは無意識に、窓の外に広がる海に目を向けた。
海からやってきた何者かが、人を連れ去っていく。それなら、その何者かが戻る場所は、海と考えるのが自然だろうが……
「海を拠点にして、何者かがなにかを画策している……。これでは漠然としすぎて、どうにも考えどころが掴めませんね」
「……兵というものは、仕える者があってこそではないか」
グランたちの会話に耳を傾けていたルスティナが、呟くように声を上げた。
「兵?」
「骸骨たちが身につけていたのは、レキサンディアの兵士の階級章なのであろう。兵は、国と王に仕えてこその兵士なのではないか」
「レキサンディアの……?」
昨日、船の上からのぞき込んだ海底には、夜空の底のような蒼い世界があった。そして、その暗い海底から、逆にこちらを見上げる、胸を突くような視線。
「……シェイドの話だと、レキサンディアが滅んだのは、女王と王が権力争いをしてる最中だったらしいんだよな」
シェイドの名前が出た途端、リオンがなにか思い出した様子で口を開きかけた。だが、すぐに思い直した様子で口を閉ざす。ルスティナはそれに気づいたようだったが、特に何も言わなかった。
「どちらかが大きな野心を持っていて、その志半ばで地震と大波によるレキサンディアの崩壊を迎えたのなら、……機会あれば再起を、と思いながら亡くなっていったというのは考えられますけど……」
「どっちみち滅びてるわけだしなぁ」
レキサンディアは、古代文明の終焉期に興隆した国だという。古代文明の魔法技術を、多かれ少なかれ保持していた可能性はある。
しかし、さっきの解説員の話では、魔法力によって都市が保護されていたり、運営されていた記録はないという。もし古代都市のように、魔法による防衛機能が備わっていれば、地震と大波であっさり崩壊することはなかったかも知れない。
「棺……水の底で眠る街……」
グランは腕組みをして、組んでいた足を投げ出した。どうにも引っかかることだらけなのだが、頭の中でうまく形にならない。ユカが不安そうに、グランとエレムを交互に見やっているのが、視界の端に見える。
「お馬さんがいっぱいきますー」
一人、人形遊びをしていたランジュが、窓の外の騒がしさに気づいて声を上げた。見覚えのある深緑色の上着の男を先頭に、五騎ほどの騎馬が建物の裏手に回り込んでくるのが見下ろせた。
「……昨夜、急な輸送のために港を出た船が先ほど戻ってきて、新しい証言が出たそうなのだ」
部下を引き連れ、慌ただしく会議室まで通されてきたオルクェルは、挨拶もそこそこに話し始めた。
「出港の際、要塞跡のある島の横を通ったそうなのだが、月明かりの中、岸から島へ続く堤防の上を、人が渡っているのを船員達が見たというのだよ」
「堤防を?」
「保守のために歩けるようにはなっているが、明かりはないから、夜は閉鎖しているそうなのだ。しかし、夜釣りの者がたまに入り込むとのことで、船員らも最初、そう思っていたらしい。しかし、渡っていく者たちはみな手ぶらで、その中には、法衣を着た若い娘がいたような気がする、というのだ」
「法衣の娘……?」
「渡ってきた者らは、吸い込まれるように要塞跡の建物の入り口に消えていったという。だが、これもおかしな話で、あの建物は、昼間しか使っていないそうなのだよ。当然夜は扉は閉じて、中に入ることはできないのだ」
「……月が出てたってことは、例の騒ぎの後だよな」
「目撃した船員らに、歩いていた者らの特徴をきいていたが、昨夜いなくなったと騒がれている者らに符合するらしい。これから、衛兵が要塞跡の建物に確認に向かうそうだ」
「フィーナさんがそこにいるかも知れないのですの?!」
それまで距離を置いておとな達の会話を聞いていたユカが、大きな声を上げた。
「わたしも行きますの、フィーナさんをお助けするのですの!」
オルクェルは戸惑った様子でルスティナを見た。ルスティナも、さすがに判断に困った様子で眉を上げる。
「……巫女殿、まだ裏付けのとれていない情報であるし、仮に本当だとしたらほかになにがあるのか判らぬのだ、今は同行させるわけにはゆかぬ」
「でも、黙って待ってるなんてできないのですの、フィーナさんはお兄さんが現れたかと思って、ついていったはずですの。人の心を惑わすような輩、許せないのですの」
「だからって、君が行っても役に立てるわけじゃないでしょう」
拳を握りしめるユカの声を、リオンがいくらかきつい口調で遮った。
「昨日だって、骸骨が現れたとき、悲鳴を上げて座り込んでいたんでしょう。自分の身も守れないのに、今捜索について行って足手まといになったらどうするの」
「昨日はなにもしないでお姫様気分だってイヤミを言ってたのに、今はなにもせず黙ってろって言うのですの。あなたは意地悪なのですの」
「状況を考えないと、みんなの迷惑になるって言ってるの!」
「まぁまぁ、ユカ殿、気持ちだけではどうにもならぬこともあるのだよ」
睨み合っている二人を割って、ルスティナが穏やかに声をかける。ユカの訴えるような視線にも、ルスティナは軽く首を横に振った。
一方で、エレムに後ろから肩に手を添えられて、リオンも鼻白んだ様子で口を閉ざす。ルスティナは少しの間思案した後、
「……オルクェル殿、要塞跡を調べに行く衛兵に、ルキルアから何人か同行させてよいであろうか」
「我々も無関係ではないので、向こうも嫌だとは言わないであろうが……」
オルクェルは言いながら、ルスティナの視線を追ってグランに目を向けた。
腕組みして窓の外を睨み付けていたグランは目だけ動かすと、やれやれというように眉を上げた。
「……しょうがねぇな、行ってやるよ。目の前で娘っこをかっさらわれたままじゃ、こっちも気にくわねぇからな」
「ここで、ユカさんの代わりに自分が行ってくる、くらい言えれば、好感度も上がりそうなものなんですけどね」
「うるせぇよ」
グランを揶揄するエレムの言葉に、ユカは目を丸くした。
「ひょっとして、グランバッシュ様は見かけほどガラの悪い人ではないのですの?」
「お前は心の声をそのまま口に出すのをなんとかしろ」
吐き捨てると、グランは立ち上がり、剣を帯き直した。
「俺たちも一緒に行くってことで話を通してくれ」
「それは構わぬが、……”たち”ということは、エレム殿もであるか」
「グランさんだけ行って、僕が留守番をする理由もないですよね」
何を今更な、という顔で見返され、オルクェルはしかし、心配そうに眉を寄せる。
「連中の狙いは、法術の素養を持った者である可能性が高いのであろう。ということは、エレム殿も狙われているかも知れないのではないか」
リオンとユカが、揃って不安そうな顔を見せる。エレムはグランと目だけを合わせると、
「僕を狙って連中が出てきてくれれば、話は早いですね」
エレムはにっこりとオルクェルに微笑んだ。オルクェルは困った様子だが、ルスティナはただ頷いただけだった。
「早めに片付けておかないと、アンディナ教会で勉強したいというユカさんの目的も果たせないですからね」
「そうそう、さっさと片付けないと、いつまでも俺たちがユカの子守だからな」
「子供じゃないのですの! 一瞬でも見直して損したのですの!」
「ひょっとして、グランさんとエレムさんって、根っこは似た者同士なんじゃ……」
キーッと声を上げるユカの横で、リオンがブツブツと呟いている。ランジュは一人、うさぎと一緒に魚の置物をテーブルの上で泳がせて喜んでいた。




