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31 .過去は水底に<2/4>

 階段を上りきった所に立つ警備兵が、明らかに上級軍人であるルスティナに、緊張した様子で敬礼を送った。軽く頷き返すルスティナを、後ろからついて行くユカが尊敬のこもったまなざしで眺めている。一方で、ランジュはリオンに手をつながれて、きょろきょろと辺りを見回していた。

 先導する解説員が、滅多にない見せ場とばかりに張り切っているのが、伸びた背筋からも伺えた。

 展示室の中でまず目をひくのは、当時の周辺の地形と都市レキサンディアを再現した模型だ。

 レキサンディアはメルテ川の河口、三角州を土台に作られた都市だ。南側は内海に面し、背後の北側は広い平地だった。当時の内海最奥部だったレキサンディアは、大陸南岸からやって来る大型船を迎え入れる一大貿易港を擁し、大陸南西部の玄関口として繁栄していた。これが大地震で都市のほぼ全部が沈むなど、当時の住人は全く思わなかったろう。

「この大灯台のあった場所が、先ほど皆さんが港から見たはずの、防波堤から続くクァイト要塞跡になります。博物館は、このあたりです」

 解説員が、伸ばした棒で位置を示す。ランジュが背伸びするようにのぞき込もうとしたので、よく見えるようにエレムが体を抱え上げた。リオンとユカも、精巧に作られた大きな模型に驚いた様子で、目を丸くして見入っている。

「この博物館近辺は、レキサンディアの跡地と重なっているんですか?」

「そうです。地震の際、レキサンディアを含む地盤は大きく陥没するように沈んだと考えられています。大灯台のあった島から東の陸地側は大波をかぶりはしたものの、沈まずに残りました。皆さんが先ほどいらした詰め所も含む、この港一体は、レキサンディアの東門跡にあたります」

「この辺りを、レキサンディア時代も人が生活していたんですね。考えるとなんだか不思議な気がします」

「ふしぎですー」

 エレムの感嘆の声に、ランジュがもっともらしい顔で同意している。ルスティナが柔らかく眼を細めた。

「……王族が用いていた港は、都市の南側中央部にあたり、王宮や、王族が崇めていた神々の神殿も、南側に集中しています。貴族達の住まいも多くがその近くであったので、大地震で地が裂け、大波が押し寄せてきた時に、支配者層はほぼ全滅しました。レキサンディアでわずかに生き残ったのは、東の陸側に住んでいた下級市民や、都市外の漁村に住んでいた漁師達だけでした。最後の女王と共に沈んだため、レキサンディアは『女王シペティレの棺』とも呼ばれています」

「それは……贅沢な棺であるな。レキサンディアは栄華を極めていたというのに、皮肉なものだ」

 栄華を極めた都市のすべてを副葬品として海に沈んだ、贅沢だが冷酷な棺。ルスティナが哀れむように眉をひそめる。一方で、

「棺……」

 思わず呟いたグランに、エレムが不思議そうに目を向けた。グランは口を開きかけ、すぐに軽く首を振った。

 なにかが引っかかる。だが、具体的に何が気になるのか、自分でもはっきり判らないのだ。

「棺? 墓とは呼ばないんですか」

 それまで黙って模型に見入っていたリオンが、不思議そうに声を上げた。良く聞かれるのか、解説員は軽く頷き、

「ああ、それは古代レキサンディアの死生観からきていようです。レキサンディアは、エディト神話に由来する神々を崇めておりました。エディト神話信仰は当時の南大陸北部で主流だったもので、『人間は肉体と精霊でできていて、死とは肉体から精霊が離れたときである』との教えが軸になっています。しかし、遺体を綺麗に保存しておけば、いずれ精霊が戻ってきたときに復活できるともいわれていました。彼らは遺体が腐らないように処理をした上で、他人の精霊や悪霊が入り込まないようにまじないをほどこした棺に納めて埋葬したのです。彼らにとって棺とは、死者が再生を待つ大事な寝所であったのですね」

「再生を待つ……ですか。レマイナの属神にはない考え方ですね」

 エレムが感慨深げに呟く。

 レマイナの法術師が扱う癒やしの力は、法術師の資質によっては、瀕死の重傷者ですら一気に回復させることもできる。しかし、死者を蘇らせたり、壊疽や切断によって機能が完全に喪われた体の一部を再生させることはできない。死は単純に「生の終わり」だから、喪われた命を呼び戻すことはできないのだ。

「同じエディト神話を信仰していた別の国では、時の権力者が亡くなると、兵士や奴隷たちを同じ墓に納めたといいます。死者の世界での護衛や世話役といった意味もあるようですが、権力者が再生したときに再び仕えるという意味合いがあったようです」

「げ、一緒に死んで、死んだ後も同じ扱いを受けるのか。救いようがねぇな」

「よい境遇の者には理想的な思想であるな」

 聞こえは違うが、言っていることは同じである。解説員は大きく頷き、今度は模型の年の西側を棒の先で示した。

「女王シペティレは、自身をエディト神話の女神シースの化身であると公言し、公務の時はシースを模した装束で現れたそうです。レキサンディアにはそれまでなかったシースの神殿を自分の代で建て、祭儀の時は自らがシース神の代理としてその玉座に座したそうです。エディト神話の主神は生産の神アウセルであったのに、あえてシースを重んじたのかは諸説ありますが、男女の共同統治といいながらも男子を重んじたレキサンディアの伝統を、シペティレは覆そうとしていたとも考えられています」

 ……模型の説明がひととおり終わると、全員はひとつ奥の部屋に通された。

 牢屋で使うような格子の扉に、錠前が三つもつけられている。今は鍵が開いていたが、夜間や休日は閉じてしまうのだろう。展示品はすべてガラスの箱に収められ、そのどれもがやはりしっかりと鍵をかけられて、机と鎖でつながれている。

 飾られているのは、金細工の置物、食器、短剣、金貨に冠。宝石は一部ヒビが入ったり、欠けているものもあるが、金細工の者はどれもきらびやかだ。金以外の金属製のものは別の部屋にあるというが、その多くは海中で腐蝕して形を失ってしまい、原形をとどめているものはごくわずかだという。

「こちらが、先ほどの石膏像が身につけていた首飾りの、本物でございます」

 金細工の首飾りが三本、箱に並べられている。涙型の金細工部分はどれも形はほぼ変わらないが、それぞれ枚数が違う。中央の宝石の色にも違いがあった。

「金の飾りの枚数が多ければ、階級が上ということですか」

「それもありますし、中央の台座の形でも差をつけたようです。しかし当時のレキサンディアでは、黄金よりも鋼のほうが貴重であったそうで、金細工の装飾品は市民にも浸透していたようです。貴族などは、食器にはむしろ銀を有り難がったようです」

「かように黄金が豊富であったのか」

「しかし、その大多数は崩壊の際の引き潮で海にさらわれたと考えられています。それに、時々打ち上げられる遺物の保存が意識されるようになったのは、ごく近年です。昔は、浜辺に打ち上げられた金を勝手に異国の商人に売っていた者もあったようですから、数自体は相当失われているはずです」

「それが、昨日のうちに新たに三つも出てきたわけですね……」

 ガラス越しに首飾りを眺めていたエレムが、真面目な顔で呟いた。背をかがめ、首飾りを見比べていたルスティナが、感心した様子で、

「相当に古い時代のものであるのに、金としての輝きは損なわれないのであるな」

「純度の高い金は、とても安定しているといいますからね。水や空気の中で、錆びることはほぼありません。混ぜ物があっても、錆びるのはその混ぜ物の部分だけなんです」

「それをつけてたってことは、昨日の骸骨も、レキサンディアに住んでた人達だったのですの?」

「うーん、そこはどうなんでしょう」

 ユカの疑問に、エレムは首を傾げた。判らないのはそこなのだ。

 金は腐食しなくても、人間は死ねば当然腐る。千年以上も前の時代の死者など、海の底でとっくに消え去っているはずだ。

 あの首飾りに、骸骨を動かせるような魔法がこもっていたのだとしても、それを使った何者かは、比較的近年になって海で死んだ者の骨を見つけて、操っていたのだろうか。

「ああ、昨日街を騒がせていた骸骨が、レキサンディアの階級章を身につけていたという話は聞いております。衛兵より骨の鑑定依頼がありましたので、のちほどこちらに運ばれてくると思います」

 解説員は、不可思議な話を笑い飛ばしたりはしなかった。

「万一、当時の死者の遺体であったなら、レキサンディアには海中で遺体が長期間置かれても保存に耐えうる環境が存在している可能性があります。意図的か、偶然かは判りませんが、そうした環境があるのなら、当時の遺骸だけではなく、普通では腐食してしまうような金属の遺物も残っているかも知れません。考古学上の貴重な発見につながるかも知れません」

「……骸骨が動いてたって話自体はどう思う?」

「それは私どもの管轄外でございます。ですが、『法術』の仕組みも我々には理解できないものの、現実に存在していますからね。なにも調べないうちに現象自体を否定してしまうのは、冷静な学者の態度とは言えないでしょう」

 グランの言葉に、解説員は真顔で答えた。本気でそう思っているらしい。

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