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25.月と共に去りぬ<6/6>

 ……レキサンディアの最後の日、山のように高い波が美しい翡翠の都市を飲み込んだ。今まさに真の支配者を決める戦いに決着をつけようとしていた女王シペティレと弟のファマイシス一三世、そしてそれぞれの軍勢は、なすすべもなく都市と共に海に沈む。

 美しく聡明な女王の眠る黄金の棺の上を、平べったい体に巨大なひれをもつエイが群れを成して泳いでいく。崩れた塔の壁を、八本の脚を器用に使い、灰色の蛸が這い登る。

 逃げる暇もないのに誰が女王を棺に入れたんだとか、そもそも波に呑まれる直前まで生きてたんじゃないのかとか、ざっくりと突っ込みたい部分はあるが、絵面としては幻想的だ。海草や珊瑚、崩れた建物に隠れるようにウナギのような細長い魚、色鮮やかな魚など細かく描かれていて、ランジュが夢中になっているのも判る気がした。

 かつては人間達が華やかな生活を送っていた海底の亡都に、今は様々な色形の生き物が棲んでいると考えると、これはこれで面白い。

「……この内海にはいない生き物も描かれているようでありますが」

 空がだいぶ白んだ頃、毛布をかぶったまま、シェイドがグランに声をかけてきた。

「海の中は人間の目に触れにくいだけで、命豊かな世界であると伝えたいようであります。その絵本を作った人は、とても博識な方のようでありますね」

「……最初に書かれてる、女王と弟の対決ってのは史実なのか?」

 ぱらぱらと絵本のページを戻しながら、グランが尋ねた。シェイドはぼさぼさの髪を手でなでつけながら起き上がった。

「そのようであります。レキサンディア時代は、王権を安定させるための近親婚が普通であったそうです。王族の男子は、自分の姉妹と結婚することで、財産や権力の分散を防いでいたようであります」

「へぇ……」

 都市レキサンディアを治めていたファマイシス王朝は代々、王と妃は共同で統治するのが慣例だった。そのため、シペティレは王妃ではなく女王と呼ばれている。長女であったシペティレは、最初、弟であり長男であったファマイシス一二世と結婚する。

 しかし異国の将軍に心奪われたシペティレは邪魔になった夫を戦の最中に謀殺し、慣例で次の夫となった二番目の弟、ファマイシス一三世もいずれは亡き者にしようと企んだ。敵対国に人質として引き渡される直前、逃げ延びたファマイシス一三世は、再起のための時期を待ち身を潜める。その間シペティレは、悪魔的な才覚と美貌を用いて周辺諸国の王や将軍達を次々と籠絡する。

 周辺諸国を手玉にとっていたシペティレを諫めるものはなく、女王の政治手法に不満を持っていた民衆は、一三世を中心にシペティレから王権を奪還しようと計画を練る。一方で、シペティレが統治者の愛人となることで一旦は友好国となった国が王権の交代で再び敵対し裏切り、侵攻の船をさしむけてきた。それに乗じて、身を潜めていたファマイシス一三世とその一派が、シペティレのもとになだれ込んだ。

 弟王がシペティレと決着を付けようとしていたまさにその時、大地震が一帯を襲ったのだ。

 大地は大きく引き裂かれ、追い打ちをかけるように沖からの大波が都市を呑み込んだ。双方の軍勢と住民、そして異国の船団、全てが海の底に沈んだ。地震と共に大きく地形が変わり、陸地は割れるように沈下して内海が奥地まで広がり、メルテ川の河口は一気に北の内陸部へと後退した。

 大都市レキサンディアは、美しき女王を抱いたまま、内海の底に今も静かに眠っている……

「……その話ぶりだと、女王は狡猾で悪いヤツみたいに聞こえるんだが」

 シェイドの説明を大人しく聞いていたグランは、横に置いた絵本にちらりと目を向けた。

「この町じゃ、シペティレは偉人みたいに扱われてるんだろ。この館の前にも、立派な像があった」

「あ、ああ、そうでありますね。都市全体が沈んだことで、当時の記録自体が消失しているのであります。伝承では、シペティレはすぐれた叡智で人を治め、夫であった愚弟達に代わって都市を周辺諸国から護った英雄のように語られておりました。今でもこの近辺では、神のようにも崇められているようです」

 シェイドは妙に慌てた様子で、グランの質問に答えた。

「しかしここ近年になって、海に沈まなかった別の国の遺跡から様々な文献が出始めて、学者の間では見解が変わってきているようでありますよ」

「まぁ、ありがちっていえばありがちだな」

 記録というのは、それを書いた人間の主観に左右されがちだ。様々な文献を冷静に比較検証できるのは、むしろずっと後世になってからだろう。

 起き上がったシェイドは、こわばった体をほぐすように肩や首を回している。グランはその様子を目の端で眺めながら、テーブルの上の水差しからカップに水を注いだ。

「……で、その樽の中の奴は、なにしに海から出てきたんだと思う?」

つっけんどんに問いかけられ、気が緩んでいたらしいシェイドは慌てた様子で背筋を伸ばす。

「え? あ? はい?」

「町の奴らの噂では、海から死者が現れるのは縁の近い奴じゃないかって話だったんだろ。でも、その飾りは、昔の兵士のつけてたものなんだろ?」

「そ、そうでありますね。近年亡くなった方が、こんなものを身につけているとは考えにくくありますね。死んだ近親者が会いに来るという話の方が、なんとなく判るのでありますが」

「もし無関係の死人が突然やってくるなら、理由はなんだろうな」

「さぁ……、自分にはなんとも……。そもそも死んでしまったものの行動に、理由などないのかも知れないのであります」

 シェイドは困った様子で曖昧に答えている。グランは胡散臭そうに片眉を上げた。

 シェイドの伸びた前髪が常に目を隠しているので、表情が読みづらい。無頓着さが一見たよりなくも見えて、あまり警戒心を抱かせないのだが、神官ともなれば、最低限は見た目に気を遣うよう教会から指導されるはずだ。

 どうにもなにかが引っかかる。しかしその理由を自分でも探し当てられずにいるうちに、外が騒がしくなった。

 昨夜の騒ぎの時にエレムから話を聞いていた、詰め所の衛兵達がやっと訪ねてきたのだ。

 騒ぎに気づいて、ユカ達の部屋の前で番をしていたエレムとリオンが、ランジュを連れて食堂にやってきた。ユカとヘレナは身支度を調えてから来るという。

 すっかり冷静になってしまっている一同とは対照的に、飛んできた衛兵達は泡を食っている状態だった。なにかと思えば、彼らと一緒にエスツファがやってきたのだ。

 数人の見慣れた部下を従えたエスツファは、食堂に揃ったグラン達を見ると妙に納得した様子で、

「奇っ怪な不審者を捕らえたものがあるというので一緒に来てみたが、元騎士殿達であったか。これは賊も相手が悪かったというか」

「なんであんたが一緒なんだよ? 部隊にも何かあったのか?」

「いや、なにかあったのは我らではない。アルディラ姫の招かれていた、領主殿の別邸であるよ」

「はぁ?」

「アルディラさんの周りでなにかあったんですか?!」

 エレムの言葉に、ランジュの面倒を見ていたリオンも緊張した様子で立ち上がった。ランジュは食堂の床で積み木を広げて、人形の家を作っていた。

 ……グラン達と別れ、領主と共に町を観光もとい視察に回ったアルディラとそのお付きの者たちは、海が見える高台にある高級住宅地の中の、領主の別邸に招かれていた。高級住宅地なので普段から警備も手厚い。下々が最近話題にしていた『海から戻ってくる死者』の噂も、まったく関わりのない地区だった。

「それが、昨日はあろう事か、侵入者が塀を乗り越えて別邸の敷地に入り込みまして……しかし、連中が忍び込んだのは、姫やオルクェル将軍のいる母屋ではなく、従者達に与えられた離れのひとつだったのです」

「で、襲撃してきた骸骨達を見事に撃退したのは、誰だったと思う?」

 町の衛兵の説明を引き継ぎ、思わせぶりにエスツファはグラン達を見回した。

「ヘイディア殿であるよ」

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