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21.月と共に去りぬ<2/6>

「ど、どうしま――」

 壁際に立てかけていた剣を掴んで二階から駆け下りてきたエレムは、一歩食堂に入ったところで立ちすくんだ。

 ヘレナは長椅子に腰掛けたまま首をうなだれている。気を失っているのはすぐに察せられた。一方で、ベランダに続く大きな窓が開け放たれ、ユカが呆然とへたりこんでいた。

 そのユカの目の前で、ベランダの柵を乗り越えて窓から食堂に入ってこようとしているそれは、明らかに人ではなかった。

 いや、かつては人だったかも知れない。服や髪は愚か、肉や皮まですべて失って、むきだしになった骨の表面にはフジツボが貼り付き、髪の代わりに濡れた海藻が絡みついている。元は人間だったものが骨だけになってなお動いている、どうにも理解しがたい存在だった。

 肉もないのに、あの骨同士がなぜばらばらになりもせず動けるのか、そもそも眼球も口蓋も舌もない頭蓋骨にどんな役割があるのか、冷静になればいろいろと突っ込みどころはあるのだろうが、とにかくその存在の顔はユカにまっすぐ向けられている。そして立ちこめる潮の匂い。

 エレムは骸骨の眼前に立ちはだかろうと、足を踏み出した――と同時に、


 がこっ


 骸骨の後ろから伸びた黒いブーツのかかとが、その頭を蹴り飛ばした。

 勢いよく吹っ飛んだ頭蓋骨は、座り込んだユカの頭上を越え、窓とは反対側の壁にめり込んだ。

 呆然としていたユカが、我に返った様子でガチョウのような悲鳴を上げた。一瞬あっけにとられたエレムは、ベランダの柵を軽々と乗り越えて現れた靴の主に向けて声を張り上げた。

「もうちょっとやりようがないんですか! フィーナさんのお兄さんかも知れないんですよ!」

「骸骨に人権はねぇ!」

「尊厳ってものがあるでしょう!」

「そんなものが今なんの役に立つんだよ!」

 グランは言い返しながら、目の前で棒立ちになっている骸骨に目を向けた。首から上をごっそり失った骸骨は両腕をあげ、戸惑った様子で頭のあったはずの空間を探っている。

 相変わらず、奇妙な姿だった。絵画などではよく、死神はフードをかぶった骸骨の姿で描かれるのだが、関節をつなぐ肉や筋もないのにどうして骨だけの姿で動けるのかと、常々グランは思っていた。しかし実際にこの姿で動いている時点で、こちらの常識をあてはめて考えるのは無駄なのだろう。

「目玉もないのに頭が必要だと思ってるんだな。どうやってものを見てるんだ?」

「いま大事なのはそこじゃないのですの!」

 叫ぶように突っ込みながらも、ユカは座り込んだ形のまま必死で脇によけようとしている。腰が抜けているのだろう。ユカの声が合図になったように、めり込んでいた頭蓋骨が壁からぼとりと落ち、こちらに向かってごとごと転がってきた。頭を失った骸骨は、のろのろと自分の頭に向かって歩き出した。

「頭が外れても動けるとなると、急所はどこだろうな」

 剣の柄に手をかけ、グランは眉をひそめた。

 骸骨には心臓も腱もないから、動きを止めるために効果的な弱点がぱっと思いつかない。そもそもこの状態で、どういう理屈で動いているのか判らない。

 骸骨として組み合わせられないほど粉々にしないといけないのか。それも面倒だし、さすがにいい気分ではない。同じことを思っているのか、踏み込んできたエレムも、剣を抜こうとした形のまま骸骨を凝視している。その間にも、骸骨は頭蓋骨を両手で持って、首の上に乗せようと試みている。

「……胸に、なにか光ってるのですの!」

 一人、正面から骸骨の姿を見られる場所にいたユカが、半分腰を抜かした姿で声を上げた。

 斜め後ろから目を走らせたグランは、鎖骨に重なる胸もとに、明らかに骨ではない金色の輝きが貼りついているの気がついた。どうやら金でできた首飾りらしい。

 グランはとっさに、テーブルの上にあった大皿を掴んで骸骨の首筋に叩きつけた。首飾りは削がれるように首から外れ、まだくっついていない頭と首の間をするりと抜けて床に飛んでいった。

 喉の上に頭をのせようとする形で、骸骨は一瞬棒立ちになった。

 潔ささえ感じさせるくらい垂直に、骸骨は床に崩れた。折り重なった脚の骨の上に左右対称に広がったコウモリの羽のような骨が載り、それを覆うように曲線を持った肋骨の骨がすとんと落ちて、乗り切れなかった頭が床に転がった。思ったよりも軽い音だった。

「な、なんなのですのぅ」

 嘘のように静かになった部屋の壁際で、ユカが情けない泣き声を上げた。エレムが慌てて駆け寄って抱きかかえる。

「な、なにがあったんで――」

 ランジュを背負って駆け込んできたリオンが、エレムの腕にしがみついているユカを見て目を丸くし、その側の骨の山を見て絶句した。ランジュは背負われたまま走ってきたのが面白かったらしく、リオンの首に抱きついてキャッキャと喜んでいる。

「なにがっつーか……」

「フィーナさんが、一人で厨房に行っているのですの!」

 グランが説明しかけたのを、ユカの悲鳴のような声が遮った。グランとエレムは顔を見合わせると、

「リオン、お前ここ見てろ」

「え? ええっ?!」

 まったく状況が飲み込めていないリオンがおろおろと声を上げるが、その時にはエレムはもうユカから離れ、厨房に向かって駆け出していた。グランも、動かない骸骨の残骸を飛び越えてその後に続く。

 作業台に置かれた小さな燭台だけが光源の厨房は、一見変わった様子はなかった。フィーナが持って来たらしい空の水差しも置かれたまま、荒らされた形跡はない。ただ、フィーナ自身の姿は見えない。勝手口が大きく開け放たれ、外から淡い光りが差し込んでいる。

 エレムはまっしぐらに勝手口に近寄って行った。

 開け放たれた勝手口から首を出し、エレムが辺りを見回した。東の山側から顔を出した細い月の光で、勝手口の外は灯りがなくても周囲を見渡せるくらいには明るい。

「おい、娘はどうした」

 エレムの後ろから周囲を見渡そうとしたグランは、ふと鼻をついた潮の香りに眉をひそめた。

「いません……。グランさん、これ」

 エレムは首を振りながら体をどけた。開いた勝手口のすぐ外、石で組まれた足場の上に、所々水たまりができている。その上を踏んで、外に出て行ったと思われる女の足跡が点々と、裏木戸まで続いている。その裏木戸もまた、閂が外れて開け放たれていた。

 そして強い潮の匂い。

 二人は風に揺れる裏木戸を見つめて、同じように瞬きをした。

「海から来た何者かが、連れて行った……?」

「勘弁してくれよ……」

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