16.【間話】皓月将軍と白角の王<2/5>
「……どこ行っちまったんだか」
結局博物館の一階をぐるりと回ってきたグランは、ルスティナが眺めていたという一角獣の絵の前で、ため息をついた。
隙を、じゃない機会を見つけて子どものお守りから抜け出してきたのに、待ち合わせの相手がいない。
裏手にはルスティナの馬がつながれたままだし、直前までルスティナにつきそっていた館長も、特にどこに行くとは聞いていないという。
念のため、今日は一般公開されていない二階も見てもらったが、姿はない。
「……その辺を散歩でもしてるんだろう」
外も探してみましょうか、という館長の申し出は、何でもなさそうに笑って断った。子どもがいなくなったわけではないのだ。まだ明るい時間だし、変に騒いでオルクェルの耳にでも入ったらそれこそ大事になってしまう。
とはいえ、ルスティナだって自由に動けるのは、せいぜい日没までの間くらいだ。その後はエスツファと交代しに野営地に戻らなければいけないはずである。
シェイドの話では、博物館の裏手の高台に、海が一望できる展望台があるという。内海とはいえこの辺りは向こう岸までとても遠いので、夕日は海に沈むように見えるのだそうだ。
馬なら展望台までさほどの距離ではないだろうが、こうしている間にもどんどん日は傾いている。どうしても気は急く。
館長の話では、ルスティナはこの絵の馬に関心を持ったようだが、理由はなんとなく察しがついた。部隊の中にもこんな立派な馬はなかなかないとか、馬の頭に角などとは面白いとか、そんなところだろう。伝説の守り神が美しい乙女に惹かれて現れるなど幻想的だ、なんて感想は間違ってもあの口からは出てこない。
……そもそも、『海に沈む夕日はさぞ美しかろう』なんてあの台詞も、特に感傷的なものがあって口にしたわけではないのかも知れない。みんなで食べるご飯は美味しいね、くらいの感覚じゃないのか。なにやってんだ俺。
自分が一人空回りしているような気になってきて、グランは思わず額を手でおさえた。その耳元で、
「お困りのようねぇ」
「うおわっ?!」
のけぞるように飛び退くと、まるで天井から生えてきたような格好で、逆さまのキルシェの顔がにっこりと微笑んでいる。
「し、心臓に悪い出てき方をするんじゃねぇ!」
「なによう、お茶目ないたずらじゃない」
キルシェはふわりと体を反転させて床に飛び降りた。グランの声に驚いて、絵の区画の外側にいる係員が顔を覗かせたが、キルシェが色気たっぷりにひらひらと手を振ったので、首を傾げながらもまた元の場所に引っ込んでいった。グランはさっきとは別の意味で額をおさえた。
「お前はこんなとこでなにやってんだよ」
「見学に決まってるじゃない。ここね、レキサンディアの跡地だけあって、面白いものがいろいろあるのよ、ほら見て見て」
言いながら、キルシェは少ない布地に覆われた胸もとから、金の髪飾りやら金の台座に収まった大きな宝石の指輪やら金杯やらを次々に取り出し始めた。相変わらず、どうやってあの中に収まっていたのかわからない。
「レキサンディアって、街全体が金と翠玉でできてるって言われるくらい裕福な国だったんですって。発見されてないけど、女王の王錫なんて柄から頭まで金だったって話なのよ、すごいわよねぇ」
「……すごいはいいけど、それは元の場所に戻しておけよ」
「えー?」
「『えー?』じゃねぇよ。それ、ここの展示物だろ。まさかリノの奴も一緒になって悪さしてるんじゃねぇだろうな」
「あー、あのひとは、こういうとこに飾られてるのは関心ないみたい。この町はいろいろ面白い場所があるからって、あれこれ探ってるみたいよ」
金細工の装飾品でお手玉をしていたキルシェは、グランに冷ややかに見返され、渋々と胸もとにしまい始めた。
「宝物は自分で見つけてこそ価値があるんですって。男のこだわりってよく判らないわぁ」
「一番判らない奴が偉そうなこと言ってるなよ」
「グランこそなにしてるのよ?」
「お? 俺は……け、見学に決まってんだろ」
聞かれたとたんに視線を外したグランを面白そうに見返し、キルシェは目の前の大きな絵に目を向けた。
「……一角獣が森の守り神って言われてるのは、角に水や毒を浄化する力があるからなんですって。角は不老不死の妙薬とか、どんな傷にも病気にも効く万能薬にもなるって話なのよ」
「ふーん」
「一角獣は、人に対する警戒心が強くて、普通は近寄るのも無理なんですって。でも、汚れのない美しい乙女にだけは気を許して、自分から近寄っていくの」
なるほど、この絵はそういう言い伝えを元に描かれたらしい。キルシェは腰に手を当てると、胸を反らすようにして、自分よりも背の高い絵の中の一角獣を見上げた。
「だったらあたしの所にも出てきてもよさそうなもんなのにねー」
「……なにが言いたい?」
「空間に、穴の開いた跡があるのよね」
キルシェは伸ばした人差し指で、くるりと絵の前に輪を描いた。
「あまりにもよくできた人形や絵が命を持つって話、聞いたことあるでしょ。子どものように可愛がってた人形が命を持っちゃうお話とか、絵の中の虎が夜な夜なうろついてるとか。あれは実際には、人間の生気を吸収するために、精霊が勝手に棲み着いちゃってるだけなんだけど」
「……この絵もそうだって言うのか?」
「この建物のなかだと、この絵が一番強い魔力を帯びてるのよね。皓月将軍はこの建物から出て行ってないし、ひょっとするとこの場所からも出て行ってないかもしれないんでしょ」
「だからって、絵が人間にどんな悪さをするって言うんだよ」
「絵じゃないわよ、精霊よ」
キルシェはふわりと飛び上がると、馬の鼻先をつつく仕草をしてみせた。
「一角獣って、美しい乙女が大好きなのよね、もし皓月将軍が見初められて絵の中に連れていかれちゃったりとかだったら、まずくない? 今頃口説かれてるかもよ?」
「そんなこと……」
普通に考えればあるはずのないことだ。が、既に自分たちは普通ではないことを山ほど経験してきている。今更『ありえないこと』がひとつ増えたとしても、特に驚くことではない。
「これくらいならあたしがこじ開けてあげるから、行って見てくれば? うまくいけば、詫びを入れさせて、不老不死の妙薬が手にはいるかも知れないわよ」
「……そっちかよ」
「だって万能薬なのよ。お肌にもいいだろうし、二日酔いにも船酔いにも効くのよ、グランなら夜遊びするのに……」
「そういうのいいから」
「ええー?」
しっしと手を振られ、キルシェはわざとらしく唇をとがらせた。すぐに絵の向かって指を伸ばし、円を描きながらなにから唱え始めた。
何度か耳にしているが、意味はもちろん判らないし、真似をして発音するのも難しい言葉だ。言葉と指の動きにあわせ、絵からいくらか離れた空間に、白い光で描かれた古代文字の法円が浮き上がる。ただ、今まで見てきた法円と違い、円の向こう側にある風景が妙におぼろで、まるで水鏡を通して絵を見るように揺らいでいる。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「……今度は俺が閉じこめられるとかじゃねぇよな?」
「そんなことしてあたしになんの得があるのよ」
それもそうだ。だが基本、『面白ければなんでもいい』が信条の女でもある。油断はできない。グランは半信半疑ながらも、絵の前で輝く法円に手を触れた。




