14.海から来しもの<6/6>
そもそも、『死んだものが海から戻ってくる』という話の真偽も定かではない。こちらの当初の目的は、アンディナ教会の様子を見て話を聞き、もしユカがここで修行できそうなら段取りをつける、というものだった。
「結果的に気が合って、ユカがしばらくここにいたいって言うなら、それでもいいんじゃねぇの」
グランの言葉自体は間違っていない。言外に、厄介払いができてせいせいする、という意味合いがぷんぷん感じられるだけで。
アンディナ教会側の事情が許し、なおかつユカに危険がないのなら、こちらはその方が望ましい。どうせ明後日まではエルディエル・ルキルア軍もこの町に滞在するのだし、今急いで結論を出す必要もないだろう。
ただ、その後のこの建物での『護衛役』をどうするかで、グランとエレムの間でいくらか意見が対立した。
シェイドはカーシャムの神官だ、カーシャムの神官は一人で一個小隊くらいは相手にできるんだから、奴が一人いれば警護役として十分だ、俺たちは部隊に戻ってもいいんじゃないか、とグランが変に主張する。リオンもまぁ、異存はなさそうなのだが。
「シェイドさんが信頼できるかどうかと、僕らのお役目はまた別の話じゃないですか。ユカさんが町を出ることにご両親や司祭役さんが納得したのは、『アヌダの神殿まで安全に送り届ける』って、ルスティナさんとアルディラさんが約束してきたからなんですよ。言ってみれば、僕らはあのお二人の代理なんですから、中途半端に役目を投げ出してはダメです」
エレムの主張は、分別ある大人にはとてもっともらしく聞こえたらしい。この場合の分別のある大人とは、その場にいたグラン以外の大人をさす。
「部屋ならたくさんございますから、どうぞお使いください」
「自分も、皆さんの旅のお話など伺ってみたいであります」
というヘレナとシェイドの言葉に、グランも嫌だとはいえなくなってしまったようだ。
ヘレナの指示で、フィーナとユカが部屋を整えている間に、では明日の朝までの食材の買い出しにと、客人達は市場に出かけたのだが、
「グランさんはいつのまにかどっかいっちゃうし……」
買い物のさなか、そのグランの姿が見当たらなくなった。リオンにしては、煙に巻かれたような気分だったらしい。
「グランさんは別の用事があったらしいですよ。そわそわしてて変だなとは思ってたんですけど。誰が相手かは知りませんが」
「判ってた用事なら先にそう言えばいいのに」
「いつものことですよ」
エレムは気にした様子がない。知らないと言いつつ、『用事』の相手も察しがついているのだろう。リオンはあからさまにため息をついた。
ユカはフィーナと一緒に、同じ階の近くの部屋を使うはずだったが、今はまだ食堂でヘレナ達と話し込んでいる。夕食の後の茶話のなかで、山奥で「アヌダの巫女」として、ユカがどういう生活をしてきたのか、フィーナに問われたら、話が止まらなくなってしまったのだ。
エレムはともかく、リオンはつきあいきれず、ランジュがいくらか眠そうなそぶりを見せたのを幸いと、離脱してきたのである。
「グランさんは、夜半にならないうちには戻るって言ってましたよ。例の『死者が月のない夜に戻ってくる』という話も、日が沈んだとたんにやって来るわけではなさそうですし」
「光が苦手なら、町中に松明でも出しておけばいいんじゃないでしょうか」
「やってるみたいですよ? ほら、通りはずいぶん明るいですね」
確かに、空はだいぶ暗くなってきていたが、白い石造りの町並みはぼんやり浮かびあがるように淡く輝いている。通りのあちこちに置かれた灯りを、石壁が反射しているのだろう。
「でも今のところ死者が戻ってくるという話も、噂止まりの話ですからね。『人がいなくなった家の前に、海から続いてきた“ような”水跡が残っていた』だけなんです。何者かがそうみせかけるために、わざと濡れた跡を残した、という可能性もあります」
「うーん?」
「まぁ、カーシャム教会まで動いているなら、表に出ている話以外にも、なにか掴んでいるのかも知れないですけどね」
「だったらそれはちゃんと教えて欲しいですよね」
「そうですね、きっと必要以上に住人の不安を煽らないように配慮してるんでしょうけど」
「充分煽られてますよねぇ」
リオンのもっともな感想に、エレムも曖昧な笑みを見せる。
憶測だけで、別の町に神官を避難させるようなことはないだろう。もっとも、戻ってくる死者の噂とは別に、住人の苛立ちが『守ってくれない』女神アンディナに向いているとしたら、少しの間神官達を町から遠ざけて様子を見るのは間違っていない。
「シェイドさんだって、見張り役が増えた方が負担は減るはずです。とにかく泊まってもいいって言ってくださってるんですから、こちらは変に気を回さず、今は休ませていただきましょう」
「はぁ……」
「いっかいやすみなのですー」
「それはちょっと意味が違うかな」
絵本を広げたまま、半分寝ぼけているランジュが寝台の上で呟いている。眠ければ寝てしまえばいいのに、絵本を読みたくて頑張っているらしい。
リオンは軽く笑うと、その横に腰かけて上掛けを掛けてやった。寝かしつけてしまう気のようだ。
次は久々、「歩き方」です。




