7.港町と教会と<3/4>
そこにいたのは、黒い法衣を着た男だった。
背は、エレムとさほど変わらない。多分若いのだろうが、ぼさぼさの髪と、両目を隠すほどに伸びた前髪のせいで、顔立ちがよく判らない。怪しいというよりは、無精で身なりに気を遣っていない感じで、どうにも頼りなく見える。
「おや、レマイナの神官殿に、……ルアルグの? なにかご用でありあますか」
「あの、ここはアンディナ教会の建屋だと聞いたのですの」
「そうでありますよ? ……あ、そうか」
不思議そうに答えてから、男はなにかに気づいた様子で恥ずかしそうに頭を掻いた。
「すみません、いきなりこんなのが出てきたら驚くでありますね。ヘレナさん、お客様であります」
自分をこんなの呼ばわりした男の、言葉の後半は建物の奥に向けられている。
「だから、私がでますと申し上げましたでしょう」
「いやいや、こんな時ですし自分がきちんと警戒しなくては」
言葉の割に、声には緊張感がない。男が脇に避けると、藍色の法衣を身につけた年配の女が現れた。
グラン達よりもいくらか肌の色が茶味を帯びているのは、この近辺の住人の特色なのだろう。赤みのかかった茶色い髪に、その髪よりもいくらか濃い瞳が穏やかに輝いている。
女は、玄関の外に居並ぶグラン達を不思議そうに見渡した後、エレムに視線を定めて軽く膝を折った。
「失礼いたしました、私、このアンディナ教会建屋を預かっております、教区司祭のヘレナです。といっても、今ここにいるアンディナの神官は、私一人でございますけど……」
「おひとりですか? その方は」
「自分は、山向こうのサイスの町から来たシェイドであります。見ての通り、カーシャムの神官であります」
「は、はぁ……」
見ての通り、と言われて、エレムは微妙に硬い笑顔で頷いた。その陰から、ユカが不思議そうな顔でシェイドを観察している。山奥にいたから、カーシャムの神官というのものがよく判っていないのだろう。
「見たところ、この近隣の教会の方々ではないようですが、どうしたご用件でございましょうか。例の噂に関しては、残念ですがお力になれるようなことはないと、衛兵の皆様にもお伝えしておりますが」
「例の噂?」
グランの声に、今度はヘレナが不思議そうに眉を上げた。
そもそも、教会というのは、特に用がなければ来てはいけない場所、ではない。
レマイナ教会は地域住人のよりどころになるだけでなく、旅の者に休息の場所を提供する。旅先で立ち寄った先に教会があれば、ふらりと立ち寄って情報集めの世間話、感謝の祈りを捧げたり、神官達に祝福と安全の祈願を乞う者も見られるものだ。
いくらアンディナ教会が無名でも、レマイナに属する神の教会であれば、人々に対する関わり方はほかとそう変わりがないはずなのだ。しかし、この妙に訪問者を警戒するような態度はなんなのか。
かみ合わない様子のヘレナにいくらか焦ったのか、ユカが一歩前に出た。
「わたし、アンディナの神官様に会いに来たのですの。アンディナのことや、法術のことを教えて欲しいのですの」
「法術、ですか?」
ヘレナは妙に驚いた様子で、シェイドに目を向けた。それまでどこか緊張感に欠けたシェイドの瞳が、長い前髪の下でいくらか鋭さを増したのが、グランにも見て取れた。
「なにか、事情がおありのようでありますな。ひょっとして、あなた方の何人かは、法術師であったりするのでありますか」
「何人かっつーか、俺とあれ以外はたぶん全員だ」
グランは、大人達の足下にかがみ込んで蟻の動きを眺めているランジュを顎で示した。法術師の数に入れられてエレムは微妙な顔をしてるが、リオンもユカも異存はないらしく、目を丸くしてこちらを見回すシェイドに胸を張って見せる。
「み、皆さん、ですか。それは、その……」
「とにかく、立ち話もなんですから、どうぞ」
言い淀むシェイドにちらりと目をやると、ヘレナはいくらかぎこちなく辺りを見回しながら、半開きだった扉をやっと大きく開いた。
元は貴族か商人の屋敷だったと思われるこの教会建屋は、玄関を入ってすぐのホールを講堂として利用しているらしい。大きな色つきの窓の前に粗末な演台があり、それに向かって長椅子が並べられている。しかし二〇人も入ったら、いっぱいになってしまいそうだ。それに、床も椅子もいくらか埃っぽい。
海辺の町なのに、海洋を守護するアンディナがないがしろにされているのだろうか。とも思ったが、建物自体は痛んでもいないし、目につく調度品はそれなりにしっかり作られている。荒れているわけではなく、今は人が足りなくて普段の掃除にも手が回らない状況なのだろう。そうなっている理由がよく判らないが。
「……“今は”お一人だっておっしゃってましたけど、いつもはほかにも人がいるんですよね? 皆さん、御用で別の町に出向かれてたりとか?」
「出向くというか……」
行き届いていないのは重々承知らしい。ヘレナはいくらか言葉を濁しながら、グラン達を中庭に面した食堂に案内した。前の持ち主が置いていったのか、遠い南洋諸島を思わせる海と美しい島々の絵が壁一面を彩っている。
「綺麗なのですの、水が陸地よりたくさんあるのですの」
「そりゃあ海だもの」
「海は青いのですー」
絵の前で子ども達が、いまいち情緒が心配になる感想を述べ合っているのを見て、ヘレナはいくらか表情を緩めた。
「この建物は、南岸地域からやってきた貿易商のお屋敷だったのです。航海中、同じ船に乗っていたアンディナ神官の祈りで何度も救われたとかで、新しい商売で別の地に向かう際、このお屋敷を寄付されていったそうです」
「祈りって、法術で嵐をおさめたりとか、ですか?」
「航海中に何が起きたのか、詳しくは伝わっておりませんけど、その方にとっては、アンディナへの信仰を強められるような出来事だったのでしょうね」
「はぁ……」
「昔話もいいけど、今ほかの神官はどこ行ってんだって?」
かろうじて清潔さを保っている食堂をぐるりと見渡して、入り口近くに立ったままのグランが話を戻す。グランのそばにいたシェイドが、伸びた前髪の下で恐縮そうに眉を寄せたのが気配で感じられた。
「今は、山向こうのサイスの町にある、カーシャムの教会建屋で保護しているのであります。ヘレナさんにも一緒に行ってほしかったのでありますが」
「私は教区司祭としてこの区域を預かっております。町の皆さんが動揺されているこうした時だからこそ、私がここを離れるわけには参りません」
「保護って……、アンディナ神官の皆さんが身の危険を感じるようなことでも、おきているんですか?」
「神官だけではなく、この町全体がそうなのでありますが」
「……せっかくいらして下さったのですから、先に皆様のご用件をお伺いしましょうか?」
ぺらぺら喋るシェイドを遮るように、ヘレナがグランに向かっていくぶん声を張り上げる。
エレムはヘレナとグランを見比べ、いくらか戸惑ったように目を瞬かせた。




