1.海底の過去、海上の現在<1/4>
海の底は、まるで夜空に通じているようだ。
海は青く、碧く、群れをなして泳ぐ小魚たちが太陽の光を反射して、星の河のように海中を移動していく。水はどこまでも透明なのに、光の届かない深みは夜空のように濃い蒼をたたえて、船の影すら見えない。
「この一帯は、遠い昔は陸地でございました。この海の底には、女王シペティレの治めていた伝説の都市レキサンディアが沈んでおります。春先の水の冷たい時期だと水はもっと澄んでおり、この海の底に建物跡の影がちらついて見えることがございます」
説明するのは、町長から遣わされた案内役の男である。客相手の演出なのだろう、異国の海の民を思わせる色の多い織物で出来た服を身につけ、鳥の羽を付けた額宛を頭に巻いている。日に焼けた肌が逞しく、普段は海の仕事に関わっていると思われた。
「まぁ、こんなに綺麗なのに、これ以上水が澄むの?」
よく言われることなのだろう、アルディラの驚きの声に、案内役はしたり顔で頷いた。
「はい、真上から光が差し込む夏の時期よりも、春先のほうが条件がよろしいようです。一説にはレキサンディアの王宮は翠玉と黄金で彩られていたとのことで、この近辺の砂が緑色に輝くのは、王宮の翠玉が混ざっているからだとの話でございます」
「素敵ねぇ……」
うっとりとした様子で、アルディラは隣に座るグランにもたれかかった。
腕にしがみつかれて逃げられないグランは、反対側の手で船縁に頬杖をつき、気のない顔であらぬ方向を眺めている。後で日傘を差し掛けている従者が、苦笑いしているのが伝わってくる。その後ろでこちらを見守っているはずのオルクェルが、はらはらとしている気配も。
「レキサンディアと言えば、近くに大灯台ファボスがあったという話ですけど」
グラン達からいくらか離れた席で、従者と共に興味深げに耳を傾けていたエレムが軽く手を挙げた。
「ええ、残念ながら海が割れた際に大灯台自体は崩れてしまったとのことなのですが、その跡地があれに見える――」
応えて案内役は、陸地の方角を示した。
大きな湾を囲むように防波堤が築かれ、海に突き出た先端に小さな島がある。そこには白い要塞が築かれていた。
「あのクァイト要塞にございます。大灯台の瓦礫を再利用して建造されたもので、建材としては利用できなかった不揃いな瓦礫の多くも、要塞へつながる防波堤に用いられました。現在は軍事要塞ではなく、港湾管理のための見張り台として活用されておりますが、ファボスの大灯台は、今も形を変えてこの一帯を守っていると言えますでしょう」
「そんなに大量の瓦礫が出るなんて、本当に大きな建造物だったんですね」
「はい、そしてとても高度な技術をつぎ込んで作られたものでした。一説によると、灯台の反射鏡で光を集めれば、遙か沖合の敵艦隊を燃やし尽くすことも出来たとか。それが後世にも残っていれば、戦乱期に乗じて外海からやってきた異民族など一掃出来たはずでしたのに、そればかりは悔やまれる所でございます」
「燃やし尽くす? 古代の魔法などではなく?」
「はい、設計した者も建築を指導した者も、すべて名前が判っております。ただ、どうした方法で建築したのか、どういった技術を反射鏡に用いてたのか、設計図や理論に関する詳しいことは残っておりません。レキサンディア時代の叡智を集めた大図書館は、大地震の際に都市と共に海に沈んでしまいました」
「それは残念ですね……」
エレムは心底残念そうだ。案内役も大げさに頷き、
「女王シペティレの統治時代、灯台は既に完成し機能しておりました。都市レキサンディアの興隆と衰退を見つめ続けてきたとも言えるのでしょう」
「歴史を感じるわねぇ」
グランの腕にしがみついたままのアルディラは、しかしあまり灯台自体に関心はないらしい。どうにも軽い感想を述べながら、うっとりとした付近の海面を眺めている。案内役はそんなご婦人の態度など見越していた様子で、
「せっかくですので、海の中をよく見られる硝子底の箱を用意しております。かなり深くまで見えますので、ぜひお試しいただきたく存じます」
「まぁ、海の中を見られるの」
灯台の話の時とは一転、アルディラは明るく目を輝かせた。
少し離れた海上では、同じような小舟に他の従者達と分乗したランジュとリオン、それにユカとヘイディアが、小箱を腕に抱えた案内人から同じように説明を受けている。きらきら輝く水面に気を引かれたランジュが手を伸ばそうと身を乗り出し、リオンが必死で止めようとしている。一方で、ユカは美しい水中の光景に歓声を上げ、それをヘイディアが相変わらず淡々とした表情で眺めている。
なんだって、自分まで子どもの遠足に付き合わされなければいけないのか。点々と周りに浮かぶ船の様子を気のない顔で見回して、グランは思わずため息をついた。




