0.終わりの記憶、始まりの予言
揺れがおさまったとき、辺りはまるで違う世界のように崩壊していた。
美しく荘厳な神殿は、屋根を支えていた支柱が多く倒壊し、こちらを迎え撃とうとしていた兵士の多くがその瓦礫の下に埋もれていた。海側から這い上がり、まだ神殿内部に到達していなかった少数の突撃部隊は、運良く巻きこまれずに済んだのだ。
とはいえ、整ってなめらかだった石畳、神殿へ続く幅広い石段も、一部は大きく盛り上がり、あるいは大きく陥没し、行く手を阻んでいる。
「陛下、海が消えていくのであります!」
隣を護っていたスキアが、今自分たちが昇ってきた岸壁をふり返り、驚愕の声を上げた。神殿の前に広がる内海は、その底の珊瑚礁が顔をのぞかせるほどに潮が引いている。沖合から攻め込もうとしていた異国の敵艦隊、そしてそれを迎え撃つべく出港していったレキサンディア艦隊、その全てが大きく引いていく潮に抗えず、ありえない勢いで沖に遠ざかっていた。波に乗りきれなかった船は珊瑚礁の上で横たわり、その多くが黒煙を上げている。
「地震と共に潮が引くのは、大波の前触れであります! 陛下、ここは御身を護るために脱出するべきであります!」
「し、しかし……」
彼は倒壊した神殿の奥を見据えた。神殿の奥には、本来祀られる神像ではなく、生きた人間のための玉座が設けられている。屋根の直撃から奇跡的に免れ、青空の下に傾いた玉座とその周りがむき出しになっていた。
自らを女神シースの化身と名乗り、そこに座していた女が、今は黄金の錫杖を手に立ち上がり、地震で一瞬にして崩壊した町と、それを呑み込むために舌を一旦引いた広大な内海を睨み付けている。
「今が唯一の好機であるかも知れないのだ、姉を……いやシペティレを討ち、レキサンディアの民を護るには……」
「陛下、もう戦の勝敗に関わらず、レキサンディアの崩壊は歴然であります! すぐに大波が、町全体を呑み込むでありましょう」
「そうです陛下、今は生き伸びることこそが勝利です!」
背後に続く、少数ながらも信頼できる精鋭達が、スキアの言葉に同調の声を上げる。一方で、瓦礫を縫うように現れた白い髪の侍女が、呆然と立ちすくむ女王を支えるようにすがりつき、何事かを告げている。それまで、崩壊を目の当たりにしただ呆然と立ちすくんでいたように見えた女王は、凜と姿勢を正し、持っていた錫杖を振り上げた。
「我は滅びぬ、我は女神シースの化身なり!」
神殿もその周辺の建物や地面も未だ崩壊が続き、すぐそばの話し声すら聞こえづらいはずなのに、女王の声は彼と、彼を護る戦士達の耳にはっきりと届いた。
「レキサンディアは我の棺、月が欠け、また満ちて欠けたとき、再び我は現れん。我はレキサンディアの真の王、そして真の王が蘇ったとき、レキサンディアは地の王として君臨するであろう!」
威厳に満ち、神々しささえ感じさせるその姿に、建物の倒壊から逃げまどい、陥没した地面から這い上がり、あるいは瓦礫からなんとか這い出ようともがく者たちですら、その動きを止めたほどだった。一息に言い終えると、女王は錫杖の先を、瓦礫を間にはさみ遠くに対峙する彼らに向けた。
「愚かで力なき弟よ、時の舵を持とうとも、そなたに運命を変えることは出来ぬ。ただ我が世界を手にするときが、いくらか遅くなるだけのことよ!」
その声は雷のように、その場にいた戦士達を打ち据えた。忠実なスキアが、凍りつく彼らを揺り動かすように声を上げた。
「陛下、急ぐのであります! 沖に、山のように盛り上がった波が見えるのであります!」
確かに、艦隊を巻きこんで大きく引いていた海が、今は高い山のように盛り上がり、内海の最奥であるレキサンディア目指して押し寄せてこようとしている。もう躊躇している時間はない。
「我は滅びぬ、長き眠りの後に、世界は我を頂きに据えるのだ!」
浴びせられるその言葉は宣言であり、予言であり、哄笑のようだった。その声から逃れるように、彼らは駆けるしかなかった。
大きく地が裂け、じきに波は崩壊したレキサンディアだけではなく、その背後に広がる広大な緑地全てを内海の一部として呑み込んでしまうことを、神ならざる彼らはまだ知らなかった。




