23.ある翻訳家の生還<2/2>
栽培地が明らかにされ、栽培方法がレマイナ教会とも共有されたことで、薬の安定供給に関してはめどがたってきた。数年後には、必要なときに必要な人の元に行き渡るようになるだろう。
一方で、山中でピラツの馬車が襲われたこと自体は、表向き、単なる通りすがりの賊の仕業ということで、カタがつきそうだった。
サグニオ自身は、ピラツが薬の箱を持った男とぶつかったことを、あまり気にしてはいなかったらしい。ピラツが襲撃されたのは本当に、気を回したベリーニの独断だったようなのだ。しかしベリーニに指示された男達は今も口をつぐみ、ベリーニ自身も栽培地の管理運営以外の事柄はほとんど喋らないという。
あんな風にピラツが襲われなければ、ラムウェジ達との出会いもなかった。ラムウェジ達が薬草の栽培を確証し、国王まで動かすような事態もなかったかも知れないのだ。結果的には、彼女の判断の誤りが、全てを露見させた大きな一因であると言える。
『あなたには、ここぞという時の判断力がない』
というピラツの言葉は、あの場で注意を引くためのとっさのものだったとはいえ、的を射たものであったのだ。
ついでに言うと、彼らが出回る薬の量を制限したことで失われた命があった“かもしれない”ことも、深い追求は出来そうにないという。
そもそも、当時どれだけの量の薬が生産されていたのか、現段階では把握できない。記録があったとしても、それが解明されるには相当の時間がかかるだろう。それよりも今は、全ての資料と人員を押さえ、栽培を引き継ぐことを優先させた方がいいとの判断だった。
「過去に『もしも』はないんだよ」
ラムウェジは言う。
「忘れることは出来ないけれど、立ち止まってたらなんにもならない。私たちにできるのは、これから先、薬学や医学がもっと発達して、今よりも多くの人が救われるようになる、そのお手伝いをすることだもの」
たったひとり強力な戦士がいるだけでは、一つの国を守ることは出来ないように。
秀でた癒やしの力を持った人間がいくらかいたところで、地に住む全ての人がその恩恵を一度に受けることは出来ない。しかし医学が発達し、多くの場所に診療所が行き届き、薬が安価で出回るようになれば、そこに法術師がいなくても多くの人が助かるのだ。
「法術師は数は、減ってこそいないけれど、昔ほど強い力を持った人は少なくなっている傾向にある。きっと、時代が変わって文明が発達していくほど、力は弱まっていくんじゃないかな」
「それは、神が人間に手助けする必要が、だんだんなくなっていっているってことですか」
「ううん、手助けの形が、変わっていくってことなのよ。誰に現れるか判らない法術と違って、知識と技術は、受け継いで引き継ぐことも、発展させることもできるものね。法術よりも、ずっと確かなものだわ。願わくば、それを人が、よい方向に用い続けてくれることね」
「だから学問は大事なのよ」と微笑んだキールは、改めて自分たちの前に立つピラツを見返した。
「ところで、どうしてピラツ君はそんな格好してるのかしら」
出立の支度を終えた彼らの前に立つピラツもまた、明らかに旅支度を整えた姿だった。
古道具屋から調達してきた荷物袋を背負い、外套を羽織り、腰には剣の代わりに水筒と、筆記用具を納めた鞄をくくりつけている。道具屋のすすめで、折りたためる杖も持っていた。
「もう姿を隠す必要はないんだよ? 学校に戻って、今まで通り勉強を続けて大丈夫なんだから」
そういうラムウェジの横で、エレムが無表情にピラツの姿を見上げている。またこの人は馬鹿なことを考えているな、とでも思っていそうな目だ。逆にキールは心配そうに、
「ひょっとして、領地の財源が失われたことの責任とか感じているのかしら? ピラツ君が『行方不明』になっていた経緯は、公にはならないのよ。そもそもピラツ君のせいじゃないんだから、大きな顔をしてればいいの」
「それなんですけどねぇ……」
今までは、サグニオの方針で、大学に通う生徒は十分すぎるほどの援助を受けてきた。
しかし財源を失うことで、今後、学生への援助だけでなく、大学の運営維持の財源もどうなるのか判らない。常識的に考えれば、学生から徴収することになるだろう。ピラツ自身は、家庭教師や学業を応用した副業をこなせば、当面は大丈夫かも知れないが。
「勉学は、それこそどこでもできますから」
すっかり腹を決めているピラツは、三人の視線の前で精一杯明るい笑顔を見せた。
「あなたたちと一緒にいた方が、よほどいい勉強になりそうですし、なにより、面白そうじゃないですか」
「面白そうって……」
「それにみなさんの旅の記録は、絶対後世に残しておくべきものです。それを書くとしたら、僕しかいないと思いませんか」
「何言ってるのかしらね、この人」
「まぁ、好きにすればいいよ」
ラムウェジは呆れたように笑った。その横のエレムは明らかに呆れている。
「でもついてくるからには、私たちのお役目にもそれなりに協力してもらうからね。タダ飯は食べられないよ」
「僕、わりとお役に立てると思いますよ。力仕事はちょっと苦手ですけど」
「言ったわね」
「エレムくんも、よろしくね」
いくらかかがみ込み、ピラツはエレムに右手をさしだした。エレムは少しの間冷ややかにピラツを見返していたが、不意に、差し出されたピラツの手首を掴み、
「……受け身の練習くらいはして下さいね」
「え? えっ?」
「冗談ですよ」
投げ飛ばされるのかと一瞬焦ったピラツを見て、エレムはかすかに眼を細め、今度はちゃんとピラツの手を握り返した。
後に、ピラツは言語学者として、別大陸の多くの書物をメロア大陸共通語へ翻訳、レマイナ教会と協力し古代文献の解明等、学術や医学の歩みに大きく貢献する。
その一方で、大衆文化に関心の深いラムウェジの影響を受け、行く先々で大衆演劇の脚本を多く手がけたほか、法術師ラムウェジとその従者達の体験談を元にした創作読み物を世に送り出し、大きな人気を博すのだが、それはまた、別の話。
<ある翻訳家の失踪・了>
キールの剣 形状参考
・ウルミ
・ガリアンソード(蛇腹剣)




