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ラグランジュ ―漆黒の傭兵と古代の太陽―   作者: 河東ちか
 【外伝】 ある翻訳家の失踪 ~あるいは、エレム少年の事件簿~
305/622

16.ある少年の冒険<2/3>

「逆方向に行かなくてよかったです。ああ、でもキールさんが馬車の中で、この辺りが怪しいって説明してましたね、それでですか」

「そ、そうなんだけど……」

「ならいいです。来ちゃったものは仕方ないです、ついてきてください」

 どちらが大人かさっぱり判らない。ピラツの返事も待たず、エレムはさっさと歩き出した。歩調を合わせ、ピラツもその後に続く。

「やっぱり君が、栽培場所を特定する役なんだ?」

「そうです、もし見張りがいても、子どもに迷ったって泣かれたら、おとなは油断するでしょう」

「そ、それはそうだけど」

 油断させたとしても、その後どうする気なのだ。しかしピラツが疑問に思うくらいだから、万一の事態もとっくに想定済みなのかもしれない。代わりにピラツは、別の疑問を口にした。

「……本当に、そんな場所はあると思う?」

「今、僕らが歩いているのは、枯れた川の底のように見えます」

 エレムは自分たちの歩く砂利の先を指さした。

「でも、底に砂利の積み上がった枯れ川というのは、地面のずっと下で水が流れていることが多いんです。ほら、周りの草木は全然枯れていないでしょう」

「え? ああ……」

「しかも、砂利の上はこんなに温かい。谷底で日陰になってるのに、寒くないです。この川の底を流れているのは、たぶんお湯です。温かいお湯が、川になるくらいたくさん湧くなら、このお湯を利用した設備を作るのは、難しくないと思います」

 なんなのだ、この子は。ピラツはいくらかあっけにとられ、冷静な顔で先に進むエレムを見下ろした。

「そ、それはキールさんかだれかがそう言ってたのかな……?」

「みんなでいろいろ調べました。寒い場所で暖かい国の草木を育てるにはどうすればいいのか。温室の作り方や、温泉のある町の暮らし方を書いた本も読みました。ラムウェジ様は、庭の地下に道管を張り巡らせてそこにお湯を通して地面を温めて、南国の草木を育てている国もあるって、おっしゃってました」

「はぁ……」

「薪や石炭を使ってまでお湯をたくさん作るのは大変ですけど、勝手にお湯が湧きだしてくるなら、それを使った実験もしやすいですよね」

 そういうことを問うたわけではないのだが、ピラツも理解できた。

 大人びた子どもだと思ってはいたが、下手をしたらその辺の大人よりもずっと冷静で賢い。

 子どもらしくない……いや、「らしい、らしくない」と型にはめて考えるのは、自分自身の頭が型にはまってしまっているからだ。ピラツは自分の固定観念を振り払うように、軽く頭を振った。

「も、もしその施設をみつけたら、どうするつもりでいるの?」

「その点は、一応合図をきめてありますが……」

 言いかけたエレムの目が、いくらか険しくなった。

「……あれを」

「え?」

 少し先の砂利の上に、茶色い土の塊のようなものが数個落ちている。獣くさい匂いがふわりと鼻をかすめた。

「馬の糞ですね、乾き具合からして、数日前のものかな」

「へぇ……」

「あっちにもありますね。もっと、古い。」

 周囲の砂利の上にめざとく視線を走らせ、エレムはくちもとに手を当ててなにやら思案するように黙り込んだ。

「通り道になってるんですね、上の狩り場を通らずに、こちらに来られる道があるんでしょう」

「ええ? 管理人が見回りに来てるだけじゃないの?」

 貴族が所有する狩り場なのだから、不法な侵入者を取り締まるために管理人が巡回しても不思議ではない。定められた巡回経路コースになっているなら、馬の跡が目立つのは不思議ではない。だが、

「休憩地の周りもそうでしたけど、この谷底に降りてきて、他に獣がいたような跡とかありましたか」

「え? いや……」

 そういえば、遠くで鳥の声がする以外は、鹿どころかうさぎやリスも見なかった。

「こちら側はあまり獲物が寄りつかないようですね。水場や、実のなる草木がこちら側は少ないんだと思います。密猟者だって、獲物がいないと判ってる場所には来ないでしょう」

 えさになるものが少なければ、小動物も少ないだろう。小動物がいなければ、肉食の大型獣も寄ってこない。確かに、理屈としては通っている。

 つまり、狩りや巡回とは別の目的でここをわりと頻繁に通う者がある、ということになる。

 ラムウェジやキールの話が、ただの推論では収まらなくなってきた。ピラツが黙り込んでしまうと、互いが砂利を踏む音だけが重なり合って耳に響く。

「あ……」

 さほども歩かないうちに、蛇行した枯れ川の先に、今まではなかったものを見つけて、エレムが小さく声を上げた。

 それは、谷底に面した山肌にできた、狭い裂け目だった。周囲の木々が生い茂って、遠目には判りづらいが、伸びた枝葉をよけると、人間を乗せた馬が一頭くらいなら、楽に通れそうな隙間がある。裂け目自体は自然にできたものだろう。

 その入り口に当たる部分には、誤って誰かが立ち入らないようにか、木板が貼り付けられているいる……、が、完全に封鎖されているわけではない。開閉が可能な木戸のようだ。

 本当に危険な場所なら、扉などつけずに封鎖してしまうはずだ。

 実際、枯れた川底から、裂け目の入り口までの間には、明らかに人の手で積まれたと思われる平らな石が足場を作っていた。

「あれは……」

「出入り口になっているようですね。あっ」

 さすがに緊張した面持ちで観察していたエレムは、何に気がついたのか、慌てた様子でピラツの腕を引いた。二人が物陰に隠れるのとほぼ同時に、木戸が内側から開けられて、労務者風の男が外に出てきた。

「……まったく、今日は狩りの日だから人が入らないように見張れだなんて、参加するのは貴族ばっかりだろ。こんな面倒な所、誰も来やしないよ」

 男は首にタオルをまいたほぼ半裸の状態で、しかも今まで暑い場所にいたかのように汗をかいている。男は近くの岩に腰をかけると、手に持った水筒に直接口をつけて旨そうに飲んでいる。その顔を遠目に眺めながら、

「あれ……? どこかで……?」

「知っている人ですか?」

「どこかで見たような……学生じゃないだろうし、……あ!」

 サグニオの屋敷からでる時にぶつかった男だ。あのときはこちらとろくに顔を合わせようとしなかったが、葉っぱを拾い集める時の、労働者風の、日に灼けて節くれ立った手はよく覚えている。

「サグニオの屋敷で、ぶつかった相手だよ。木箱一杯の葉っぱを持ち歩いてた……」

「そうですか」

 エレムは納得した様子で頷いた。

「ちょっと行ってくるので、合図するまで出てこないでくださいね」

「行ってくるって……」

 問い返したピラツに、エレムは唇の前で人差し指を立ててみせた。

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