15.ある少年の冒険<1/3>
割と大きな獲物を持って、王と、そのお供をしているサグニオとラムウェジが一旦休憩所に戻ってきた。昼より少し早い時間だったろう。出迎えるために女達が立ち上がり、持ち帰られた大小様々な獲物を見て大げさな歓声を上げている。
そのまま昼食を済ませるかと思ったのだが、狩りが楽しくて仕方がない王は、戻って来る途中で見かけたという毛並みのいい鹿を早く捕らえに行きたいと、パンにハムや乾酪を挟んだものをワインで流し込むと、また狩り場に戻っていってしまった。サグニオはともかく、ラムウェジも嫌な顔をせずついて行ってしまったから、傍目には好きでお供しているようにしか見えない。
控えていた兵士や猟師のいくらかは、獲物の解体のために水の使える沼地のそばに向かっていった。女達は今もたらされた獲物や狩りの状況についてあれこれ批評を展開している。
曰く、誰それの犬は加減が判らなくて毛皮の一番いいところがダメになっている、貴族の誰それは弓の心得があり、毛皮を汚さないよう急所を旨く狙う、等。切実な糧食目的の秋の狩りはもっと殺気立っていると言うが、今はただの娯楽なので、女達も気楽な分批評に容赦がない。
話上手のキールは、ある程度処理されてきた肉を更に解体していく係の女達のそばで、手際に驚いたり感心したりして女達を喜ばせている。ピラツはなんだか圧倒されてしまって、大人しく自分たちの敷物に戻った。手持ちぶさたに飲み物を片手にしばらく周囲を眺めていたが、
「あれ……エレムくんは……」
さっきまでドングリの実や頭を一生懸命集めていたエレムの姿が見えない。解体処理でも見物しているのか、用でも足しに物陰に行っているのかと注意して見回してみたのだが、少し待っても目につく範囲に姿が現れる様子がない。
ドングリ集めに夢中になって、ここを離れてしまったのだろうか。
しかしエレムの、『子どもらしい無邪気な振る舞い』自体に、どうにもピラツは違和感を覚えるのだ。エレムは冷静で賢い子だ、あんな「子供らしい」ことに夢中になって、自分の居場所を見失うようなことをするだろうか。
『栽培地があるとしたらたぶん山側ね』
馬車の中で聞いたキールの言葉が、ふと耳に蘇った。
『頃合いを見て、崖側に探りを入れてみる。場所が特定できたら、王と側近達を誘導してサグニオが言い逃れできない状況で発見させるの』
探りを入れるって……
まさか、エレムが場所を特定する役目なのだろうか。
確かに子どもなら、休憩地を離れたこと自体は、『迷った』『ドングリ集めに夢中になっていた』といった言い訳はしやすい。しかし、狩り場は野生の生き物も多いし、広大な敷地のほとんどは手入れされていない自然のままの山林なのだ。大型の動物に遭遇したり、崖や段差で謝って転落する可能性もある。
それに、もし本当にサグニオが秘密裏に栽培を行っていたら、当然見張りもいるだろう。口封じに捕らえられて、そのままどこかに連れ去られることだって考えられなくもない。
いくら弔い合戦の意味もあるとは言え、そんな役目を子どもに負わせるなんて、危険すぎないか。
相変わらずキールは女達を相手に話を盛り上げていて、こちらに帰ってくる気配はない。というか、貴族の女達にとってあまり魅力的な要素がないピラツ自身を、周りの誰も気にする様子がない。
ピラツは、ちょっと用を足してくるといった様子でふらりと立ち上がり、近くの茂みの陰に移動した。馬車の中で見せられた地図と、頭上の太陽が作る影を頭の中で照らし合わせ、怪しいと思われる北の山側に向かって歩き始めた。
あまり人の入らない茂みは、もう少し夏近くなれば草が生い茂ってとてもまともに歩けなかったろう。枯れ折れた木の枝を踏み抜かないように気をつけて歩いてほどなく、草の少ない下りの斜面に出くわした。ドレス姿のご婦人なら、下りるのはためらわれるような傾斜がついている。
むき出しの木の根を足場にして慎重に下まで下りると、そこは雨の時だけ水が流れると思われる、枯れ川のようだった。水量の多いときに流されてきたらしい割大きな岩や木の根がゴロゴロしているが、基本的に一帯は粗い砂利で覆われていて、歩きやすそうだ。その代わり、足跡がつかないから、先にエレムが歩いているかは判らない。
下りてきた場所の目印代わりに、近くの岩をひっくり返し、その前の地面に木の枝を突き刺す。少し歩いて、何もなければ戻ってくればいい。自分の思い過ごしということだって、充分あり得るのだから。
地理的には山間の谷底になる。日が当たりづらいうえに、風が通り抜けていくらか肌寒い……のが普通のような気がするのだが、歩いているとなんだか足元から温められているようで、あまり寒さは感じない。気になって地面に触れてみたが、日が当たっていない割に全体が妙に温かい。
そういえば、この一帯は地熱が高く、掘り返せば温泉が湧くのだと言っていた気がする。しかし地表を触るだけで差が判るほど温かい、ということはあるのだろうか。周りの草木は別段ほかの地域と変わった様子は見られないのだが。
それなりに辺りに気を配りつつ歩くほどしばし、動くものと言えば風にそよぐ木の枝葉くらいしかなかった。見当違いかと不安に思い始めたピラツの視界の隅に、白いものがちらついた。
目をこらすと、枯れ川の先に、白い布をまとったなにかが見える。
エレムだ。
「エレ……」
こちらが思わず声を上げる、それより先にエレムの方がピラツの姿に気がついた。かごを片手に持ったエレムは、唇の前で一本指を立てて見せた。慌ててピラツは口を閉ざし、足音を忍ばせながら小走りに駆け寄った。
「な、なにやってるんだい、一人で」
「来ちゃったんですね。僕の姿が見えないとか、騒ぎ立てていませんよね」
エレムは幾分眉を寄せた。ドングリの頭を拾い集めたかごを持った子ども、という姿からはかけ離れた、無邪気さのない冷静な表情だ。
「う、うん、誰にも言ってはいないけど……」
「ならよかったです」
言いながら、エレムは小さな手をかごの中に突っ込み、一握りのドングリの頭をその場の砂利の上に置いた。撒いたわけではない、いくらかひとかたまりに寄せ集めているので、少し離れたところから見ても、ドングリの頭が作為的に捨てられていると判断できる。
「な、なにしてるの……?」
「こうしておけば、僕を探しに来た人にはいい目印になりますよね。僕がドングリ集めをしていたのは、あの場のみんなが見ているんだから」
確かに、なにも知らないものが普通に通っただけでは気にならないだろうが、『エレムを探す』という明確な目的がある者なら、すぐに気がついてたどれるだろう。
「ひょっとして、今までの道にもこうやって印をつけてきたの?」
「……これをたどって来たんじゃないんですか? 勘だけで来たんですか?」
「え? まぁ……」
言い淀んだピラツを見上げ、エレムは呆れた様子で息をついた。




