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ラグランジュ ―漆黒の傭兵と古代の太陽―   作者: 河東ちか
 【外伝】 ある翻訳家の失踪 ~あるいは、エレム少年の事件簿~
298/622

9.ある少年の事情<1/2>

 昨日までは、何も知らない一介の学生だったのに。

 話が終わり、休息のために与えられた部屋の窓から、ピラツは半ば呆然と空を眺めていた。

 この一日足らずの間に、刺客に襲われ死にかけたり、そこから奇跡の力で回復させられたり、あげくに国家レベルの陰謀の存在まで聞かされて、しかも自分はまだ命を狙われているらしい。あまりにも劇的すぎてどうにも実感が湧かない。

 窓からは、教会建屋の中庭が見下ろせた。演壇が出されて、それに向き合うように長椅子が並べられている。長椅子に座っているのは十数人ほどの神官達だ。

 正面に設けられた演台にはラムウェジが立ち、身振り手振りをまじえてなにやら話している。耳を傾ける神官達は皆真剣な様子だ。

 神官の中にはまれに、法術といわれる、奇跡の力を使える者がいる。使う力は仕える神によって異なり、レマイナ教会の神官は、人の傷や病を癒す力を行使するという。

 ピラツは法術師自体に初めて会ったので、自分の傷を癒してくれたラムウェジの力が一般的なものなのかさっぱり判らなかったのだが、実は相当とんでもない使われ方をしたらしい。

 あんな風に短時間で劇的に、瀕死の人間を回復させられるほど強力な力を扱う法術師は、滅多に現れないのだそうだ。ラムウェジはレマイナ教会内だけではなく、ほかの教会や多くの国の王侯貴族達にも名前が知られるほどだという。

 とてもそんな有り難そうな人には見えないのだが、それだけラムウェジ自身は気負いのないひとなのだ、といえるのかも知れない。

 エレムは演台の近くに置かれた椅子に座り、おとなしくその様子を眺めている。とても行儀がいいのだが、あの年頃の子どもにしては落ち着きがありすぎる気もする。

 不思議な子だ。しっかりしている、大人びている、という表現ではおさまりきらないなにかを、ピラツは感じるのだ。普段は必要なことしか喋らないし、表情が淡々としていてなにを考えているのか、なにをどう感じているのかよく判らない。しかし、取っつきにくいわけでもない。

「あら? 休んでなくて大丈夫なの?」

 ドアを軽くノックしながら入ってきたキールは、窓際でぼんやりと外を眺めるピラツに、気遣うように首を傾げて見せた。抱えたかごには、法衣とおぼしきたたまれた白い布に、それにあわせた真新しい靴や小物が載っている。

「ここでは、ラムちゃんの従者の神官として行動してね。これは、あなたの着替え一式。夕食前にはこれに着替えちゃって。あとで食事時の作法なんかも説明するわ」

「はぁ……」

「万一のために、斬られたあなたの服は燃やしてしまうけど、特に思い入れのある服なんかではないわよね?」

「……大丈夫ですけど、万一ってなんですか」

「刀傷のある服がこんなところで追っ手に見つかったら、あなたが無事なのが悟られちゃうかも知れないでしょう」

 山で襲われて行方不明になった学生がいる一方で、剣で切り裂かれた服を着た従者を連れた神官がその側の町にやってきたら。勘のよい者なら、関連づけて考えるかも知れない。

 ぼんやりと頷いたピラツに、キールは穏やかに微笑んだ。寝台の上にかごを置いて、外を眺めるピラツの横に立つ。

「ごめんなさいね。あなたが事態を把握できないで、サグニオに助けを求めに行くようなことになったら危ないと思って、大急ぎで一連のことを説明したんだけど。やっぱり驚くわよね」

「い、いえ……」

「女神レマイナはすべての命の守り手だから、大勢の生活のために少数が犠牲になるようなやり方をレマイナ教会はよしとしないの。大勢も少数も、同じように助けられるように最大限の努力をする。まぁ、理想論ではあるのだけど」

 大勢のために少数の犠牲。

 つい先日までは、自分は護られる側だったのに、都合の悪い事実を見てしまったことで、あっさり斬り捨てられてしまった、ということなのか。

 おおきなため息をついて、ピラツはまた窓の外に目を向けた。正直、今はあまり深く考えたくなかった。

 庭での講話は一区切りついたらしく、演壇が片付けられ、同時に長椅子も脇に寄せられている。お開きかと思えばそうではないようで、今度は庭に厚みのあるむしろが広く敷かれ始めた。何をするのだろう。

 エレムは自分の座っていた椅子を自分で片付けて、隅に立って様子を見ているラムウェジの後ろに静かに控えている。

「……不思議な子でしょう。エレムちゃんって」

 ピラツの視線の先を追って、キールが訊ねてきた。

「そうですね、大人しいとか、大人びてるとかいうのとは、ちょっと違う感じがします」

 もう少し旨い表現がないのか、頭の中を探ってみたが、どうにもしっくりする言葉が出てこない。きっと疲れているからだと、ピラツは考えるのをあきらめた。

 庭でむしろが敷かれ終わると、ラムウェジと男の神官がその真ん中まで進み、向き合った。ほかの者らは、むしろを囲むように地べたに座って、皆真剣な顔つきだ。

 何をするのかと思ったら、ラムウェジは観衆になにかを説明しながら、おもむろに男の神官の襟元に両手をのばして掴むと、

 そのままむしろの上に投げ飛ばした。

 いきなりのことにピラツは声も出なかったが、投げ飛ばされた神官はむしろの上で綺麗な受け身をとって仰向けにひっくり返った。眺めている者たちは、感心した様子で声を上げている。

「……なにやってるんですか、あれ」

「体術(柔術)の基礎の解説ね。ラムちゃん、あれでとっても強いのよ」

「ええ?」

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