28.銀礫の橋と征海の騎士<2/6>
二組目の時に比べたら、潮が上がってきて浅瀬はだいぶ狭まっている。ルスティナは中央のなかなかよい位置で出走できたので、先頭集団の中程の、波の影響のない位置を安定して走っている。
しかしよい場所を取れなかった者は、あるていど波をかぶった場所を走らなければいけないので、後続ほど不利に不利が重なって、遅れが広がっているようだ。
『現在の三組目、先頭集団は安定した速度を保っております。しかし、満ち潮によって徐々に浅瀬が狭まっているのが心配なところです』
『なんか目に見えて首飾りの『鎖』が細くなってきたわねぇ』
『この三組目、遅れれば遅れるほど挽回の機会は失われていきそうです、潮が満ちるまでに先頭がどこまで距離を稼げるかが勝敗を決め……おっと、ここで速報が入って参りました!』
なんの話だと思ったら、多くの見物の船の合間をすり抜け、やたら速さのある細長い小船が対岸から灯台のある西側の岬に向けて疾走していく。屈強な漕ぎ手を何人も乗せているためか、帆もないのに尋常ではない速さだ。
その船上では、帆の代わりに大きな文字の書かれた細長い旗が三枚掲げられている。
『大会運営本部の公式発表です、一組目の一位はニハエル氏、確定です、一組目の一位はニハエル氏!』
「くうぅ、爽やか好青年が問題なく一位になってしまったのですの」
『なぁんだつまんなぁい』
「二組目はあの調子だと、一組目を上回る記録は叩き出せないでしょうねぇ。しかし三組目もこのままじゃ不利だなぁ」
「勝負は終わってみないと判らないのですのー! 貴族の横暴に屈してはならないのですの!」
「ニハエルさん自身は別に不正してるわけじゃないですけど」
妙に冷めた口調のリオンを、ユカがきっと睨み付ける。
「あなたは誰の味方なのですの!」
「味方って言うか、ルスティナ様に何事もなければぼくらはそれでいいですよ。勝手に勝負に熱くなってるのは女性陣だけだし。ねぇ、グランさん」
「俺に同意を求めるな」
この状態でユカにまで絡まれたら面倒きわまりない。グランはリオンの言葉を受け流し、単眼鏡で遠くの様子を眺めた。
三組目の先頭集団を構成する者は、波のかぶらない位置を保つのに気を遣っていて、周りと争って蹴落とそうとするほど殺気だっていないように見える。
むしろ後方に位置する者たちのいくらかが、このままでは潮が引いている間に『首飾り』を渡りきれないと判断したらしい。棄権を表明して引き返したり、監視船に回収される者が目についてきた。
「やっぱり、いつもの年よりも潮が高いんですね、あきらめた方は、それなりに参加経験のある方ばかりみたいです」
周りの見物客達の会話を聞いていたリオンが、グランの単眼鏡の向いた先を目で追いながら報告してきた。
「時間を掛けて完走してもなんの得にもならないなら、早めに棄権した方が利口か」
「先頭集団の人なら、なんとか渡り切れそうですけど、ニハエルさんを越える記録を出せるかどうかは微妙ですね」
「まぁ別に、ルスティナさえ無事に渡れれば、誰が一位でもいいんだけどな、俺らは」
「それぼくがさっき言いました」
最初は一丸となってニハエルの優勝を阻止しようとしていた女達だが、ヘイディアはエレムに説教されて縮こまっているし、キルシェは面白ければ何でもいいという本来の立ち位置に戻ってしまい、ユカだけが応援を頑張っている状態だ。そもそもシエナ本人がそう熱心ではないのだし、ニハエルが優勝したところで別に困る者はないのではないか。
『先頭集団、順調に走っておりますが、心配なのは会場の状態です。特に、中央の翠玉島を過ぎたあたりからは、東側よりも深くなっているとのことで、速度を維持したまま走りきれるかも微妙になって参りました』
『それもつまんなーい、展開的には、ここは一発どんでん返しがほしいとこよね』
この状態でそんなことが起こりうるはずもない。状況が状況だから、無理に早く走ろうしなくても、参加者が恥をかくわけでもない。別に上位に入らなくたってなんの問題もないのだ。
「でも、ルスティナ様はあきらめていないのですの」
単眼鏡も使わず、先頭集団が走るのを目で追っていたユカが、悔しそうに呟いた。
「先頭集団がだれ始めて、ただ並んで走ってるだけになってきてるのに、その中でどう前に出るかをきちんと考えながら走っているのですの、今もまたひとり抜いたのですの」
「ええ?」
確かに、さっきより順位は上がっているようだ。傾きかけた夕陽を受けて、マントが銀色に輝いているのが、遠目にも見える。
「一組目と同じ条件なら、ルスティナ様にも充分好機があるはずですの、悔しいのですの」
「うーん……」
いつになく真剣な顔のユカに、リオンも困った様子で言い淀んだ。その一方で、
『あっ、またなにか動きがあったようです。首飾りの中央に当たる“翠玉島”付近で、監視船が集まってなにやら相談している様子です、現場の状況判りますか、キルシェ姐さん』
『んー? あーほんと、あっち側で待機してた運営委員が何人か、周りの監視員と相談してるわねぇ』
なぜこの距離で会話が読み取れるのか判らないが、キルシェにそういう理屈を求めても仕方がない。キルシェは単眼鏡をのぞき込みながら、
『もし三組目の先頭が翠玉島に達した時点で、馬の膝まで潮が上がってきてたら、安全を考慮して三組目の競技自体が中止、今回の入賞者は一組目と二組目からだけの選考になるって言ってるわ』
「ええ?!」
「なるほどそうきたか。一組目でニハエルが一位を決めてるから、領主側にも都合がいいんだろ」
『その場合、体力な心配な馬や参加者は大型船に引き上げて、馬で渡り切れそうな者たちも、監視船で護衛しながら渡ってもらうけど、もう勝敗には関わらないって』
「そ、そんなのってないですの、ここまでみんな頑張ったのですの」
「まぁ、日没も絡めて考えたら妥当ですよね。馬の膝の水位って言ったらかなりですよ」
「でも、でも駄目ですの、このままじゃシエナ様がなにもできないでお嫁に行ってしまいますの」
「よいのですよ、ユカ様」
それまで黙って一同の様子を見守っていたシエナが、ユカの背の高さにあわせるように身をかがめ、穏やかに微笑んだ。
「運営側も、参加した皆さんを危険なめにあわせるわけにはまいりませんもの。この時機で沖に嵐が起きたのも、潮がいつもの年よりも引かなかったのも、これはニハエル様の優勝を、神が喜ばれてるからなんでしょう。これも天の采配というものなのかも……」
「駄目ですの、あきらめたらそこで競技終了ですの!」
シエナの声を遮って、ユカは声を張り上げた。




