16.伝説とお祭りと<6/7>
「その当時、町の住人は皆、『巫女に選ばれるのは非常な名誉で、ほかのなによりも重要なことだ』と強く教え込まれていたそうです。サバナ殿にもわずかに素質があったようですが、姉君により強い力があり、巫女になることはできなかったそうです」
「へぇ……」
「姉君は婚約者もあったそうですが、巫女になったことで婚約は破棄され、サバナ殿が代わりにその男性のもとに嫁いだのだそうです。しかし何年も経たないうちに、姉君は病で亡くなられました。その時はまだ前の代の巫女が存命だったため、姉君の次に素質のあったあのマティアさんが巫女に選ばれました。サバナさんは司祭として仕え、アヌダ神と巫女の威厳を護ることで、姉君の尊厳を護ろうとしていたようです」
「司祭役さんも必死だったんですね……」
「それ、本人がユカに教えてやればいいじゃねぇか」
呆れたようにグランは呟いたが、エレムはしんみりした様子で、
「事情を聞かされて、だから協力しなさいなんて言われても、ユカさんのあの性格じゃますます意固地になりそうですね。でももう巫女が山頂で暮らす必要もなくなったわけですし、ユカさんの頭が冷えた頃に周りからそれとなく聞かされた方が、納得しやすいんじゃないでしょうか」
「ユカさんは、今時のお嬢さんらしく、思ったことを率直に口にされます。女は慎ましく控えめにと教えられて育ってきたサバナ殿は、やはり苦手に思っていた節があるようです。立ち振る舞いや生活態度についてあれこれ口を出してきたのも、今まで町の人達が培ってきたアヌダの巫女への敬意が薄れないように必死だったからのようですが、それがユカさんには余計に窮屈だったのでしょう」
「なんだかなぁ」
あんな小さな町でも、それなりに積み上げてきた歴史や人間関係があるものだ。容易にそこから抜け出せないからなおさら、些細なことが苦痛になったり足枷になったりするのだろう。
夕刻が近くなって、海に面した縁台のある食堂には、療養のために滞在している者たちがちらほらと集まってきた。海は東側だから夕陽が見えるわけではないが、そのぶん早く空が濃い色を湛えはじめ、白い砂浜と海岸沿いに立つ椰子の木が、赤みを帯びた陽光に照らされて浮き上がりとても美しい。
一方で、岬の灯台の光がくっきりと目立ち始め、それと共に、昼のうちは気づかなかった灯台下の灯りが見えるようになってきた。
建物から漏れ光る灯りではなく、どうやら灯台の敷地にいくつもの松明が用意されているようだ。
「なんなんでしょうね? 事故でもあったのかな?」
海に転落者でもあって、捜索のために人手がかり出されているのだろうか。エレムが怪訝そうに首を傾げていると、
「あら? 知らずに来られたんですか? 明日の競技会の準備をしてるんですよ」
ほかの入居者につきそっていた職員の女が、親切に声を掛けてきた。
「競技会? 大潮の日に浅瀬ができて向こう岸に渡れるって奴か? 優勝者は領主になんでも願いを聞いてもらえるっていう」
「ええ、灯台下の砂浜から、『首飾り』を渡れる浅瀬がつながるんです。今はあの灯台の下の広場で参加の受付をしてるんですよ。今日の夜中が締め切りだから、今頃、遠くからやってきた人達で混み合ってると思いますよ」
「それで町に屋台が多かったんですか」
「見物客はフェレッセ側から船で海上に出るし、競技会が終わった後賑わうのもあっちだから、こっち側へ来るのは参加者と運営の従事者ばかりですけど、やっぱり普段よりも人出は多いです」
町の規模の割に妙に屋台がでていると思ったら、そういうことだったのだ。
「船で見物だなんて、見る方も気合いが入ってますね」
「そりゃもう、長年続く伝統ある競技ですから。お金のある貴族は大きな船をそれぞれ出すみたいですけど、一般の見物客は外湾を行き来する貿易船が乗せてくれたりします。この競技の日だけは、首飾りの外側は船でいっぱいになるんですよ」
それにと、女は勢いこんで続けた。
「明日はね、領主のご長男のニハエル様が、うちのシエナお嬢様との結婚を願い出るために参加するっていうことで、終着点になるフェレッセはとっても盛り上がってるそうなんです。素敵ですよね、二人の恋人を会わせるために神がかけられた伝説の橋が、現代でふたりの恋人を結びつけるなんて」
「はぁ……?」
もう少し突っ込んで話を聞きたかったのだが、女はそこで別の入居者に呼ばれてすぐに立ち去ってしまった。
代わりに、
「ただいま帰りましたですのー」
マティアと一緒に散歩に出ていたユカが、庭先から元気よく声を掛けてきた。一回りして気が晴れたのか、声も顔つきもなんだかさっぱりとした様子だ。
しかし散歩に出たときは二人と施設の付き添いの者だけのはずだったのだが、今は車輪つきの椅子に腰掛けるマティアの隣に、品のいい身なりの若い女が同行している。
エレムやヘイディアとそう変わらない年頃の、いかにも育ちの良さそうな娘だった。飾りの少ない簡素な意匠の服ではあるが、見るからに質が良い布で仕立てられている。
「まぁ、お知り合いも神官様ばかりなのですね、さすが水神として名高いアヌダに仕える巫女様方ですね」
「いえいえそれほどでもですの」
ユカはなぜか鼻高々に答えると、グラン達に向けて、
「町長のグレハム様のお嬢様だそうですの。この療養所に積極的に援助されてる、志の高い御方ですの」
「へぇ」
「シエナと申します、どうぞお見知りおきを」
シエナは軽く膝を折ると、少し寂しそうに微笑んだ。
「でも、明日の競技の結果では、もう今までのようにはここに来られなくなってしまうかも知れません。もちろん、変わらずに援助はさせて頂く心づもりですけど」
「明日のって……恋人のニハエルさんが、競技に参加されるってことですか?」
「恋人だなんて恐れ多いです。なぜかニハエル様は私を気に入ってくださって、いろいろ気にかけてくださるんですが、私はまだまだいろいろな方のお役に立ちたいし、そのために学びたいこともたくさんございますからと、縁談についてはそれとなくお断りしてきたのです。御父上である領主のリトラ卿も、結婚ならもっと身分の高い貴族のお嬢さんをと思われていたようですし」
「はぁ……」
「それで、御父上から何度も縁談を持ち込まれて、ニハエル様は逆に嫌気がさしてしまったようでなのです。父に自分の気持ちを表すためにも、僕は今年の海渡りの競技会で優勝して、シエナに求婚する! って張り切られてしまって」
「そ、そうなんですか」
「優勝した者の望みは必ず聞くのがこの祭りの習わしですし、参加を公言されてしまってリトラ卿も強くは反対できないご様子です。私も、これ以上はもう先延ばしにできそうにないのです。領主の息子の嫁となれば、いろいろ準備しなければならないことも多いでしょうし、もう今までのように気軽にここに顔を出すこともできないでしょう。仕方のないことです」
「ええ?! そんなのひどいのですの! 女にも、嫌だという権利はあるはずですの!」
「もうそんな雰囲気ではなくなってしまって……、それに、ニハエル様以上に、私の父が乗り気なもので」
「そ、そんなことはオラがさせないだ!」
なんの脈絡もなく叫び声が飛んできた。見れば、昼間に芝をむしっていた若い男が扉を大きく開けて、真剣な顔でシエナを見つめている。
「明日の優勝はオラが頂くだ! シエナとオラの愛は誰にも邪魔させないだよ!」
凍り付いた空気の中、一人だけ背中に炎の幻影をまとったザイルは、ずかずかとシエナの方に歩み寄り、
「オラも明日の競技に参加するだよ、あっちは血統馬でこっちは雑種のロバだがそんなことは関係ないだ、オラ達の愛はきっと天の神にとどくだよ」
「あ、あの」
「大丈夫、オラの嫁になってもシエナには好きなことをいっぱいしてもらうだよ、大船に乗った気分で終着点で待ってうわなにをする!」
「あんたはまたうわごと言ってるの!」
シエナの手を取らんばかりに調子よく語っていたザイルは、飛んできた施設の女に耳をつねりあげられ悲鳴を上げた。