15.伝説とお祭りと<5/7>
サフアの町の者たちには、『水脈を安定させるための儀式が成功した』『アヌダ神の導きで新しい水脈が与えられた』という説明で押し通したが、同じ巫女である『先代』にそれは通じないだろう。
とはいえ、地底で起きたことを、『先代』がどこまで理解できるものか。
『先代』が山頂の社で過ごしたのは二〇年以上になるのだという。それだけ辛抱強く仕えた社が、ユカの代になったとたん必要なくなった、などといきなり言われても、気持ち的に納得いかないのではないかとエレムが言えば、
「引退されたとはいえ、自分が長年仕えてきたものの由来や、これからの有りようを教えられる権利があるのではないでしょうか」というヘイディアの意見もあった。
道中の馬車の中でもいろいろ相談してきたが、やはりここは、起きたことをそのまま話した方がよいのではないか、という結論に達したのだ。
「……あの山の地下に、そんな場所があったなんて……」
途中、施設の女が持ってきてくれた椰子水とパンノキの実を蒸したもので休憩を挟み、先代への説明が終わる頃には、いくぶん影が伸び、陽射しも穏やかになってきたようだ。馬車でおとなしくしていた反動で遊び回っていたランジュは、食べ物を与えられた後は、あずまやの木陰に敷かれたむしろの上に横になって寝息を立てている。
「でも、あなたがここにいて、サバナさんからの差し入れまで持ってきてくれてるんですもの、本当なのね……もう、巫女は必要ないのね……」
呟くマティアの表情は、安堵したような、寂しそうな、複雑な色を含んでいる。先代がどういう反応を見せるか心配していたユカは、多少ほっとしたようだった。
「ユカ、あなたには、とても可哀想なことをしたと思ってました。あなたみたいに元気な女の子を、一生山に閉じ込めるようなことにならなくて、本当によかった」
「先代……」
「でも、勝手な話だけど、アヌダのお社や、サバナさんや町の人たちを、恨むようなことはしないであげて欲しいの。特に、サバナさんは、社に仕えるアヌダの巫女が、町のみんなに重んじられ続けるように、一生懸命だっただけなのです」
「……」
「サバナさんは、本当は自分が巫女になりたかった方だったんです。わずかですが、素質も持っている方なんです。私や、私の前の巫女がいなければ、ひょっとしたらサバナさんが巫女だったのかも知れないのですよ」
「ええ?」
微妙な表情で返答を避けていたユカも、さすがに驚いた様子で目をしばたたかせた。
「巫女は水脈を護るのに必要不可欠なものとされていたので、昔から町の人達にはとても尊ばれてました。でもその一方で、選ばれる娘やその家族にしてみれば、名誉でも、災難としか思えないでしょう」
「そりゃ、人身御供みたいなもんだからな」
「グランさん、なんてこというんですか」
「いいんですよ、その通りなのです。だから、私も、私の体力が続く限りは勤めを続けようと、次の巫女を選ぶのをできるだけ先延ばしにしてきたんです。ある程度年をとった者の一〇年と、ユカや……あの子のような幼い子の一〇年は、価値が違いますもの」
マティアは木陰で幸せそうに眠るランジュに、穏やかな目を向けた。
「でも、数年前に体を壊してからは、足腰もすっかり弱ってしまいました。『これ以上先延ばしにしてしまったら、山を下りる体力もなくなってしまう、あなたをここで死なせるわけにはいかない、お願いだから山を下りて次の巫女を教えてくれ』とサバナさんに泣いて頼まれたのです」
「それは、巫女が町に下りないと次の巫女候補を探すこともできないからですの。先代のことを考えての言葉ではないのですの」
「もちろん私だけのことを考えてではないでしょう、祈りが捧げられなくなれば、山頂の泉だけでなく、周辺の水脈も枯れてしまうのですもの。ユカだって、もし自分以外の人が巫女に選ばれたのなら、『可哀想だけど、みんなの生活のために仕方がない』って思っていたのではないですか」
「そ、それは、そうかもですけど……」
「でもね、サバナさんが司祭として、アヌダ神が重んじられるように町の人達に働きかけてくれていたからこそ、巫女は尊ばれて社にも多くの寄進を集めることができたのです。巫女が不自由なく暮らせて、私がこの療養所で世話していただけるのも、サバナさんが頑張ってきてくれていたからでもあるのです。サバナさんは、巫女以上に、アヌダの社に献身的に仕えてこられた方なんですよ」
「でも……先代は巫女になったことで結婚もできなかったし、世話してくれる家族もいないし……」
「私の家はもともと親族が少なくて、両親も早いうちに亡くなってしまいましたから、巫女の素質があったのは幸いだったのですよ。娘らしい楽しみは確かにありませんでしたが、お役目を終えた後も、こうして世話をしてもらえるのはとてもありがたいことです。でも、ユカに同じように思えとは言いません。人の考え方や事情はそれぞれ違うのです」
「……」
「だから、ユカが巫女になることを強いた町の人やサバナさん、選んでしまった私を許して欲しいとは言えません。でも、サバナさんは彼女なりに、巫女の立場や生活を守ろうと一生懸命だったのは、知っていて欲しいのです」
視線をそらしてうつむいたユカの手をそっと握ると、マティアはそばで話を聞いていたグラン達に目を向けた。
「皆様のおかげでアヌダの巫女が解放されたのも、アヌダの真の形を知るようにという神々の采配なのかも知れません。海洋神アンディナ……それがアヌダの、真の名前なのかも知れないのですね」
「まだまだ裏付けをとる必要はあるかと存じますが、その可能性は非常に高いです」
うつむきがちに頷いて、ヘイディアが淡々と答えた。かなり頑張ってはいるが、やはり人と視線を合わせるのに気後れしているのだろう。
「現に、あなたは法術師である私たちを、『巫女の素質があるようだ』と感じられました。私も、あなたには法術の素養がおありだと感じられます。ただ、古代の道具を……法具を用いた使い方しか学んでこなかったため、本来の法術の使い方が身についていないのではないかと思います」
「もしユカがアンディナ教会で学べば、法具を使わなくても法術が使えるようになるかも知れないのですか?」
「その可能性は非常に高いです。アンディナについてもそうですが、水そのものの性質を深く学べば、それだけ法術の幅も広がるかと思います。ユカさんだけではなく、もちろんあなたも」
「私も……?」
思いも寄らないことを聞いたとでもいうように、マティアは目を丸くし、
「そうですか……すごいわ、ユカ、この方達はあなただけじゃなく、アヌダの巫女を自由にしてくださったのね」
心底嬉しそうに微笑むと、庭の先に広がる内海を見渡した。その遠くにあるはずの、多くのものを見渡すような目で。
「いろんな所を見ていらっしゃい。私や代々の巫女ができなかった経験を、たくさんしていらっしゃい……」
話しているうちに、だいぶ日が傾いてきてしまった。いくら日の長い初夏とはいえ、今から河口の町まで馬車で戻っても、着く頃にはかなり暗くなっていそうだ。
幸い、施設長が町の知り合いに宿が取れないか聞いてくれると申し出てくれたので、ここは素直に甘えることにした。最悪、子ども達とヘイディアだけでも場所があれば、自分たちは馬車でも野宿でも構わないのだ。御者は大変かも知れないが。
「司祭のサバナ殿は、二つ前の巫女の妹であったそうです」
ユカと先代は、施設の者と一緒に建物の周りを散歩してくると言うので、グラン達は食堂を兼ねた広い部屋で待つことになった。先代の使っている車輪つきの椅子は、多少扱いに慣れる必要はあるが、整えられた道であれば移動も苦ではないらしい。
一眠りして元気なったランジュは、食堂で過ごすほかの療養者と絵を描いたり本を読んだりして遊んでいる。こうした場所は子どもが来るのが珍しいらしく、周りの者は一緒になって楽しんでいるようだった。
その様子を見るともなしに眺めながら、ヘイディアが淡々と話し始めた。