13.伝説とお祭りと<3/7>
白い石畳の敷かれた道には、背の低く幹の太い椰子に似た形の木が連なり、その木陰では多くの屋台がいろいろなものを並べている。椰子の実を使った水筒や、貝殻の飾りもの、鮮やかな色使いの織物といった、土産物にも生活洋品にも重宝しそうなものを並べる店も多い。
飲食の店では、椰子だけではなく、緑や赤、黄といった鮮やかな色の果肉の厚い果物、それにパンノキの実を加工したパン餅を買うことが出来た。
パン餅は、蒸してすりつぶしたパンノキの実を椰子液でこねて蒸し焼きにしたもので、麦のパンが一般的になるまではこの辺りでは主食だったものだという。当然ランジュが食べたがったのでエレムが買い与えていると、パン餅の屋台の隣では椰子液をとるために、店の者が椰子の実を削っている。
今まで目にしたことのある椰子の実は、外側が茶色いものばかりだったが、ここにあるものはまだ若い緑色のものだ。
店の者は、端を削って椰子液を器に移した後の実を、鉈で更に半分に割っている。身の内側の果肉は意外に厚く、椰子液に触れていたと思われる部分は、固めの寒天のような半透明のものが覆っていた。
いくらかそれをこそげ取ると、店の者は、一歩下がって静かに控えていたヘイディアに向かってにっかりと笑い、割った椰子の実を皿代わりにして差しだした。食べろ、と言うことらしい。
ヘイディアはいくらか戸惑っていたが、すぐに気を取り直した様子で削られた寒天のようなものに手を伸ばした。口に入れたのはいいのだが、食べながら喋ることができないらしく、咀嚼しながら不思議そうに首を傾げている。
その間に、同じように皿を差し出されたランジュもそれをつまみ、口に放り込んだ。
「こりこりしてておいしいのですー」
「へぇ?」
さすがに気になって、グランも横から手を伸ばした。思っていた以上に弾力がある。固い寒天のような食感だが、甘みがあって食べでもある。
「椰子の胚乳だよ。これが乾いたのからとれるのから椰子油だよ」
「中も食べられるんですか! そういえば椰子の実って言うくらいだから、果実なんですよね」
「若い椰子からとった椰子液は甘くてうまいよ」
店の者は、実を割る前に器に移してあった椰子液を指さした。どうやらそっちは買えと言うことらしい。
椰子液をカップについでもらうと、確かにこれも絞った果実水のように甘みがある。味のついた飲み物自体が真新しいのか、ユカは真剣な面持ちでカップを口に運び、目を輝かせた。
「実を割っただけなのに甘くて美味しいですの、すごいのですの」
「糖蜜を混ぜないのにこんなに甘みがあるんですか、パン餅が甘いのはこのためなんですね」
エレムがカップを渡してきたのでグランも味を見てみたが、確かに予想していたよりずっと甘い。クフルでアルディラに毒見もとい味見をさせられた椰子の実の水は、こんなに甘くはなかった。種類も違うのだろうが、実が若いか枯れかかっているかでも、また中の状態が変わるらしい。
「パンノキの木といい、こういうものが手間もかからずに実るなんて素晴らしいですね」
「南の国はおいしいのですー」
「お前はどこ行ったって食ってるだろ」
パン餅と椰子液を口に入れるのに忙しいランジュは、グランのつっこみにもまったく動じない。
というか、ランジュがものを食べて『美味しい』以外のことを言った記憶がない。ヘイディアはさっきもらった胚乳を丁寧に咀嚼しているので、また無口になってしまった。
とりあえず食べ物を与えたので、いくらか大人しくなるかと思ったのだが、妙に屋台が出ているせいで、ランジュもユカもおのぼりさんよろしく始終きょろきょろしていて、油断をするとふらふらと店に吸い寄せられてしまう。ランジュだけならエレムに任せていればいいが、子どもが増えて面倒を見る手間が倍になってしまった。
「乙女の襟首を捕まえるなんてひどいのですの、もっと優しく扱って欲しいのですの」
「なにが乙女だ、文句言わねぇだけ猫の方がマシだ」
下からの苦情にうんざりとした気分で答えているうちに、やっと目指す建物らしいものが通りの先に見えてきた。
町外れというから、灯台のそばかと思っていたが、灯台は岬の先端にあって更に歩かなければいけないようだ。
海沿いの高台に建つ療養所の建物は、平屋だが確かに今まで見た中で一番大きく、敷地も広い。白く塗られた外観が美しく、瀟洒な印象すらある。
玄関前の前庭や建物の周囲は椰子以外にも草木や花が綺麗に整えられて、貴族の別邸のような気品さえ感じる。『先代巫女は、世話する家族もなく遠くの療養所に追いやられた』というユカの話から想像していた『粗末な療養所』という雰囲気はかけらもない。
「なんか……想像と違うな」
「そうですね、療養所にこれだけ力を注ぐなんて、よほど志の高い方が支援されてるんでしょうね」
もっと慎ましい場所を想像していたらしく、さすがにユカもあっけにとられて言葉を失っている。ヘイディアも意外だったらしく、いつもよりは多少落ち着きなく視線を巡らせていた。ランジュも物珍しそうにきょろきょろしているが、これはいつも通りだ。
建物を囲むのは石や木板の壁ではなく、色とりどりの花を咲かせた背の低い木々を刈り込んだ垣根だ。正面に当たる場所には、門柱代わりの背の高い木彫りの像が立っている。門扉もなければ今は衛兵もおらず、建物の玄関も開け放たれて開放的だ。
中に誰かいるだろうかと、像の間から敷地に入ったところで、少し離れた花壇の前にかがみ込む人の姿が見えた。
よく日に焼けた、一見垢抜けない若い男だが、草むしりに夢中になっているのか、門を入ってきたグラン達に気づく気配がない。真剣と言うよりは、なんだか思い詰めたような顔で、なにやらぶつぶつ呟きながら一心不乱に草をむしっている。
声を掛けるのに近寄ろうとしたエレムが、怪訝そうに目を瞬かせた。むしること自体に夢中になりすぎて、男の前は雑草どころか芝生の根まで引き抜かれ、地面がむき出しになっていた。
「……やっぱり、オラがやらなきゃなんねぇんだ。身分を越えたオラ達の愛を認めさせるにはこれしか……」
「すみません、この施設の方ですか?」
「この機会を逃しちゃなんねぇ……、愛は世界を救うだよ」
割と間近まで寄って声を掛けているのだが、男は考え事に夢中らしくまったくこちらに気づかない。
「あの、お忙しいところすみませんが」
「馬は無理でもオラにはあのロバがある……あんな苦労知らずのボンボンになんか負けねぇだよ……」
エレムは困った様子で首を傾げた。面倒なので背中を蹴り倒してやろうかと、グランが踏み出しかけたところで、
「あっ、なにかご用ですかー?」
開けっ放しの玄関扉から顔を出し、若い女が声を掛けてきた。エレムがほっとした様子で笑顔をつくりかけたが、
「ザイルがまた芝に穴開けてる! 施設長ー!」
女は中に向かって大声で叫ぶと、ものすごい勢いで外に駆けだしてきた。