5.巫女様の旅立ち<1/6>
「てぇい!」
「うわぁぁぁっ!」
冗談みたいなかけ声と、冗談みたいな悲鳴にかぶせるように、床がどすんと大きな音を立ててた。仰向けにひっくり返ったリオンの胸元から手を外し、背負い投げを成功させたユカが得意げに振り返る。
「リオン君、受け身の時に口を開けてると舌を噛みますよ」
「ふぁい……」
そばにいたエレムに言われて、リオンは天井を仰いだまま情けない返事を返した。
「ユカさんも、だいぶコツがつかめてきたようですね。ふたりとも、なかなか飲み込みが早いと思いますよ」
「わーい、ありがとうですのー」
「ありがとございます……」
にこにこと褒められ、ユカは単純に楽しそうに、リオンはいまひとつ腑に落ちなそうな顔で答えている。
「あのう、エレムさん」
道場の入り口から顔を覗かせた若い女が、おずおずと声を掛けてきた。身につけているのはエレムと同じ、レマイナの神官に与えられる白い法衣だ。
「そのお嬢さんの服のお直しができたので、一度あわせて頂きたいのですけど」
「はい、ありがとうございます」
エレムは爽やかに答えると、借り物の道着姿のユカに目を向けた。
「じゃあ、今回はここで切り上げましょうか。リオン君も一休みしたいでしょう」
「はぁ……」
「またご指導お願いしますのですの」
ユカは、投げ飛ばしたリオンには目もくれず、エレムにぺこんと頭を下げた。そのまま、迎えに来た神官と連れだって道場をでていく。
リオンは起き上がると、釈然としない様子で肩や腕をさすっている。エレムはなだめるように笑みを見せた。
「ユカさんは、なかなか筋がいいですよ。もともと体を動かすのが好きなんじゃないでしょうか」
「僕もそこそこ教わってるんだけどなぁ……」
壁にもたれて座り、その様子を眺めていたグランは、すぐ近くの床でごろごろ転がって遊んでいるランジュに目を向け、やれやれと大きく伸びをした。窓から差し込む外の光は、今日も明るく爽やかだ。
ルキルア側には人のための馬車はない。運搬用の荷馬車以外は、ほぼ騎兵である。
野営地からエルペネまでは、歩いてもなんてことはない距離なのだが、ルスティナがオルクェルに頼んでくれていたらしく、エルディエルの馬車が野営地まで彼らを迎えに来た。その馬車にリオンがついてきた。
朝まではランジュと一緒にいたのに、どうやら馬車を頼むルスティナに同行して一旦アルディラの元に戻っていたらしい。割と豪華な二頭立ての馬車でのりつけてきたリオンは、
「ヘイディアさんも来たかったようですが、今日はルスティナ様と一緒にユカさんのご両親に会われるそうなので、僕が代理で同行します」
「なんだよ偉そうに」
「だって、あんな風に法術を使うなんて初めて聞きましたよ。僕とそう変わらない歳だって聞きましたけど、とても強力な法術師なんでしょうね」
そういえば、同じ野営地にいながら、リオンとユカはまだ顔をあわせていなかった。
ユカの使う「アヌダの力」は、法術をもとにしてはいるが、古代の道具であると思われる『法具』の助けを借りて発動されている。純粋に法術だけの素質となると、強弱まではグラン達にもよく判らない。
案の定、ユカを見たリオンは怪訝そうな顔で、
「この子が……? 確かに素養はありそうだけど、そんな強力でもないような気が……」
「人の顔を見るなり失礼ですの! あなたこそ半人前っぽさいっぱいですの!」
「僕は確かにまだ見習いですけど、きみよりもずっとたくさんの法術師の方を知ってますよ! きみに比べたらエレムさんの方が全然強い素質を感じます」
「素質素質ってなんですの! 実際にどれだけのことができるかが大事なんじゃないですの?!」
「それだって道具を使わないとできないんでしょう? きみだけの力とはいえないんじゃないかなぁ」
「まぁまぁ、せっかくのご縁なんですから仲良くやってください。それでなくたって、系統の違う法術師が揃う事って、滅多にないんです」
慌ててエレムが取りなしたものの、悪い第一印象をすぐに払拭はできないものだ。豪華な馬車の中は、空気も何も判らないランジュが鼻歌を歌っているだけで、しばらくぎすぎすしていた。
馬車が託児所状態になるのを事前に察していたグランは、さっさと御者台に退避して、他人事のように景色を眺めていた。今日もよく晴れて、鮮やかな緑を撫でながら通り抜ける風が心地よい。
「記録では、八代前の領主の時代に、街道の南東にあるフェレッセからやってきた、海洋神アンディナの神官達が、エルディエルを目指してこの街道を西に向かっていったことが伝えられています」
自分たちが訪問することを、あらかじめルスティナが連絡していたらしく、面会した役場の担当者は簡潔にまとめてくれていた。
「アンディナ教会の影響力が特に強いのは、南大陸と交易のある大陸南東部の南岸と、そこに面した諸島一帯です。当時の神官達は、内海の沿岸を船でたどりながらフェレッセまでやってきたようですね。アンディナは本来は、大洋を守護する神ですが、慢性的な水不足に悩んでいた山地一帯の住人には、水神として受け入れられたようです」
「その時に、名前も多少訛って伝えられたんでしょうか」
「そのようですね。またその一行は、南大陸の王族からの使いを同行していたそうで、アヌダの巫女の独特の装束は、異国の民族衣装の影響を受けているようです」
「同じ大陸の神なのに、伝わり方でこんな違いが生まれるんですねぇ」
加えて、代々の巫女が古代の道具を用いて法術を発動させていたのも、異なる神のように見えていた理由のひとつであるのだろう。興味深そうに話し込むエレムの後ろで、ユカとリオンは、形だけはまじめな顔で話を聞いていた。
通りかかったアンディナの神官の中に法術師がいたとして、どうしたきっかけで法具と山頂の社の関わりに気づき、それを用いて水を汲み上げることを思いついたのか。謎もまだまだ多いが、有力な説が聞けたのはなかなかの収穫だった。
次に訪れたレマイナ教会からは、アンディナについて更に詳しいことが聞けた。一番近いアンディナ教会は、山地を東に延びる街道を越えた内海のほとりにある貿易港フェレッセの更に先、ラレンスという町に建屋を構えているという。ただ、フェレッセより先の経路に関しては、現地に出向かなければなんとも言い難いとのことだった。
アンディナ教会について知りたければ、まずはフェレッセに出向かなければならなそうだ。
大陸南岸に続く細長い内海は、深度もあるため船での交易が盛んで、フェレッセは内海の北端では唯一、大型船の入れる貿易港として賑わっているという。そのフェレッセへは、山を越えた最初の町である小さな港町から、更に一日二日かかるという。
一通り話を聞いて、ユカが最初に口にしたのは、アンディナ教会の規模や活動地域についての掘り下げた質問や、そこへ紹介を頼むことでもなく、
「わたしも、ヘイディアさんみたいな法衣を着たいのですの!」