4.「彼ら」の来た道を<4/4>
「ユカ殿も言っていただろう、自分は巫女になどなりたくなかった、だが町の者たちに圧力をかけられて、ご両親にも護ってもらえなかったと」
「ああ……」
「今のところは騒ぎの後の勢いで、『山頂の泉はなくなったが、新しい水源が枯れる心配はない、社に巫女が住まう必要はない』と皆に伝えられてはいるが、我らがここを去ってしまったあと、司祭殿や町の首長達が、アヌダ神になにかを期待してユカ殿に無理矢理巫女の勤めを求めてこないとも限らぬだろう。いざ町を出たいと思っても、誰も許さぬかも知れぬ。それならいっそ、我らと共に町を出た方が不安が少ないと考えているようだ」
「なるほど……。今回のことがなければ、ひょっとしたら一生山頂に軟禁ってことも、あり得たわけですからね。水の心配がなくなったから、今までのこともなかったことにする、というわけにもいかないでしょうね」
なるほど、それで町に戻るのを嫌がっていたのか。グランもいくらか合点はいったが、
「でもさ、なんのアテもなく連れ歩いてたって、こっちも困るだろ。アヌダの正体らしい神がなんなのかがある程度予測がついて、行き先がこの部隊とかぶってるとかならまだ判るけどさ」
「それなのだが」
言いながら、ルスティナは丸められた書簡をいくらか広げながらテーブルに置いた。書かれている文字は、まだ新しいもののようだ。
「私たちが不在の間、エスツファ殿がエルペネに人を差し向けて、アヌダ神の伝来について記録がないか、アヌダ神に似た神がほかにないかと、調べてくれていた。まだエルペネの役場に話を聞いただけであるのだが、どうも古い時代に、東の内海から街道をやってきた海洋神アンディナの神官一行が、この付近に立ち寄った記録があるのだそうだ」
「ああ、アンディナですか!」
エレムが合点がいった様子で声を上げる。グランが問うように目を向けると、
「アンディナは大洋を守護する神なんですよ。海に接した場所に住む方にとっては、レマイナと同じくらいに重要な神なんです。でも、大陸中央部では海に接した国がほとんどないせいで、あまり知られてないんです」
「この南西地区でも、エルディエル以外では海岸線に接している国はほとんどないから、なじみが薄いのだ。そのエルディエルも、天空神ルアルグを守護神と仰いでいるため、アンディナはあまり重要視されていないそうだ。この近隣にも教会はないそうで、あるとしたら街道を東に向かって山地を越えた先にある、内海近辺の国ではないかとのことだ」
「へぇ……、じゃあそのアンディナ信仰が、少し形を変えてこの町に伝わったってこともありうるのか?」
ルスティナは小さく頷いた。
「充分考えられるのではないかと思う。山頂の泉との関係もあって、アヌダ信仰はこの町独特の形になったのかも知れぬ」
「そうですね……この町では、水に関わる神として、必要とされたのかも知れません」
「エルペネのレマイナ教会に訊ねれば、アンディナ教会のある町や運営の実態も教えてもらえるであろう。大変なことがあったあとでさすがに心苦しいのだが、二人は明日にでも、ユカ殿を連れてエルペネに行って欲しいのだ。アンディナについて、もう少し掘り下げて話を聞いてきてくれぬだろうか」
「それはまぁ……構いませんけど」
「いや、それでもし本当にアヌダの大本がアンディナだったとしたら、今度はアンディナ教会までユカが行ってみたいって言い出すんじゃねぇの? 大丈夫なのか?」
「そう言い出すかも知れぬが、そうならないかも知れぬ」
グランの言葉にも、ルスティナは穏やかに目を細めただけだった。
「なんにしろ、今の状態で、町側がユカ殿の希望に手を貸してくれるとは考えにくい。ユカ殿が今後のことを考えるのにも、情報は多くあった方がよいだろう」
「うーん……」
「それに単純な話、あれほどの力を扱うユカ殿を、指導する者もないまま放っておくのはよくないのではないかと思うのだ。力を持つ者にこそ、しっかりとした倫理観と指針が必要ではなかろうか」
確かに、ユカの扱うあの力は、基本が法術だとしても、古代の道具を用いて発動されるためとても強力だ。法術自体は「神の意向において、人のために」行使される以外は制限がかかるものなのだが、法具を用いたアヌダの力は、その気になれば人の生活そのものに物理的な干渉が可能なようだ。
巫女達は「水脈を保つ祈り」以外の力はずっと隠してきていたようだが、こんな狭い場所ではいつ誰に知られないとも限らない。水を操る力に誰かが気づけば、町の者が再びユカを利用としようと集団で圧力をかけてくることも考えられる。
「自分の力に有頂天にならず、正しい形で扱うために学びたいというのであれば、それをいくらかでも手助けして差し上げたいものだ」
「そうですね……僕も、『アヌダ』がどういった由来を持つのか、あの『法具』がなぜユカさんの力と呼応するのか、いろいろと関心があります」
「まぁ、町に行って話を聞いてくるだけなら、付き合ってもいいが」
「頼まれてくれるか」
いろいろ言いたいことはあったが、なにも事が進まないうちにあれこれ心配していても仕方が無い。情報収集の護衛役と思えば、そう渋ることでもないだろう。
グランの答えに、ルスティナは嬉しそうに微笑んだ。
遊水池の水が溢れないようにする作業は、作業に当たる人数が豊富だったこともあり、夜半には一段落したようだった。あとは、町側と領主側とで長期的な治水工事が計画されるだろう。
それはそれとして、事情を知らない兵士達の中には、「今度は街道の岩の撤去か」と、若干うんざりした者も多く見られたという。
しかし、朝になって不思議な報告がもたらされた。
街道をふさいでいた岩山が、一夜のうちに忽然と姿を消したというのだ。その場にはこれ見よがしに多くの水跡が残され、岩の取り除かれた跡にできた窪みに水たまりを作っていた。
「アヌダ神の奇跡にございます。町のために快く援助をかって出てくださったエルディエルの公女アルディラ殿下、そしてルキルアの両将軍、くわえて、骨身を惜しまず作業に当たられた両軍の兵士の皆様に、アヌダ神が喜びと大きな感謝を示されております」
作業のために現地に向かった町の者と、エスツファに率いられた兵士達の前に現れた巫女は、濡れた路面が朝日を受けてきらきらと輝く中、厳かにそう告げた。あとは、岩が積み上げられていたことで荒れた路面を整えれば、翌日にでも一行が出立できそうな片付き具合だったのだ。
兵士達の士気は一気に上がり、町の者のアヌダ神に対する畏怖の念は更に強まった。
岩を撤去したのは、確かに『アヌダ神』の力には違いない。そもそも持って来たのもアヌダ神の力で、なのだが。
一方で、当の巫女自身はなぜかルキルア部隊の野営地に身を寄せている。今後の社の運営について話をしたいと声をかけてくる司祭役のサバナや、家に戻って欲しいという両親に対して、『私はアヌダ神の次なるお告げを待たねばなりません』ととりつく島もない。
そして、「東にあるというアヌダの神殿の手がかりを探す」と称して、さっさとエルペネにむけて出立してしまったのだ。護衛役の数人を率いて。