56.北の食料庫の主<1/3>
“女王”から、案内役として指名されたのは二体の“娘”だった。
片方は、どうやら羽蟻の部屋からグラン達を連れてきた“娘”のようだ。もっとも、“娘”たちは皆同じ顔形で、大きさも違いがないため、並んでしまうともう区別がつかない。
「ワタクシたちニハ、個体を識別スルための記号はございマセん。でも、呼びニクいようですので、ワタクシのことハ“イチバン”とお呼びくだサイ、旦那サマ方」
「ワタクシは“ニバン”と」
「はぁ……」
そんなことを言われても、見た目が全く同じでは、名前があってもなくてもこちらには意味がないのだ。それをどう説明すればいいのか少しの間悩んでいたらしいエレムは、なにを思いついたのか、自分の懐から黄色の細い紐を取り出した。
「もし嫌でなければ、どちらかの腕にでも、これをつけさせて頂いてよろしいですか。僕たちには、あなた方の見た目の違いが全く判らないので」
「ご随意ニ、旦那サマ」
“ニバン”と名乗った娘は素直に、人間と同じ形をした左腕を差しだした。
「なんでそんなもん持ってんだ?」
「グランさんと別行動してる時に、果物売りの方がランジュにってくれたんですよ。ランジュはあのとき、食べるのに夢中だったので、あとであげようかと思って……」
「どんだけ食わせてるんだよ……」
言っている間に、エレムは“ニバン”の細い二の腕に巻き付けた紐の端を、蝶のようにかわいらしく結び終えている。全身が文字通り土気色なので、まったく華やぎはしなかったが。
「ありがとうございマス、旦那サマ」
「え? いえ……」
こちらの都合で区別をつけたいだけなのに、礼を言われるのも妙なものだ。エレムは少し困ったような笑顔で頷いた。なにに気づいたのか、ヘイディアが微かに首を傾げたようにグランには見えたが、結局ヘイディアはなにも言わなかった。
イチバンが目指す通路の先から、水の匂いを含んだ湿った風が吹いてくる。地底湖に向かって歩いているらしい。
「あなた方を“イチバン”“ニバン”と呼ぶのは、あの中で一番のお姉さんだからですか?」
「イイエ、逆でございマス、風の操り手サマ」
「逆?」
「ワタクシたちは、アノ中では最も新しい娘なのデス」
ヘイディアの質問に、イチバンとニバンは示し合わせたように同じ仕草で手を動かし、互いを示した。
「ワタクシたち娘は、母が持っているモノをそっくり同じ形デ受け継ぎマス。体の形モ、機能モ、記憶モ」
「へぇ?」
「記憶まで受け継ぐんですか?」
「左様にございマス、なのデ、後から生まれたモノほど、多くノ知識を持っていマス」
確かに、生まれたときに親の経験したことを既に記憶として持っているのなら、そのぶん人生には有利だろう。いや、彼女たちの場合は蟻生とでもいうのか。男二人はただ感心していたが、
「ということはあなた方は、祖先の記憶を脈々と受け継いでいるのですか?」
「左様にございマス、風の操り手サマ」
ニバンは頷いたようだった。
「とイッテも、“女王”とナルべく造られた者の“寿命”は、あなた方トハ比べモノにならないホド長いのデス。母から二つホド遡ったのが、ワタクシたちの元祖にございマス」
「そんなに……?」
「それじゃ、あなた方には古代人が……『古き人』が地上で生活していた頃の記憶があるんですか?!」
エレムが勢いづいて訊ねた。古代遺跡や遺物は多く残っているものの、古代人の生活様式はいまだによく判らない部分のほうが多いのだ。だが、
「ワタクシたちが作られたのハ、文明の末期に近い後期デス。元祖の蟻タチは、作られると同時に、管理を放棄された施設に送り込まれまシタ。ワタクシたちは作らレタ当初カラ、人に存在を知られズ生活するヨウ設計されてオリましたカラ、残念ながら古き人ノ生活様式などの視覚記録はございマセン」
「そ、そうなんですか……」
「ただ、元祖ノ次のものガ飛び立ったトキ、地は今よりモずっと荒廃シ、地上には白き光デ護られた都市が多くございまシタ」
「荒廃……?」
「それガ、母の記憶デハ地は緑豊かに回復してオリ、その代わり都市跡ハほとんどナクなっていたようデス」
「古代世界は、とても魔法力が発達して高度な文明を誇っていたと考えられていますけど、……周りの土地は荒廃していた……?」
「今でも、古代都市跡は草木が生えねぇな」
難しい顔で聞いていたエレムは、グランの何気ない声に首を傾げ、
「それじゃ、魔法力の発達と、周囲の自然の状態には、何らかの関係がある……?」
「いや、俺には理屈はよく判んねぇけどさ、こいつらが都市跡の土を食っちまうと、草木が生えてくるんなら、なんか関係あるんじゃねぇの?」
「それなら……」
更に何かエレムが言いかけたところで、それまで歩いてきた通路が終わった。視界が大きく開け、鈍色に輝く広い地底湖の上に放射状に広がった橋の上を、蟻たちが活動しているのが見渡せるようになった。
間近で見ると、橋桁もないのに橋はとても広く、とても安定した状態で真ん中の島につながっている。その上を、蟻たちがそれぞれの荷物を手に行き来していた。
持っている荷物にも違いがある。大きな白い岩塊を持っているものは食料庫につながるらしい通路に向かって列を成して進み、ただの土塊や穴を掘った跡らしい岩を持っているものはあちこちの穴からバラバラに現れて、中央の島に向かって歩いていく。中央の島まで達すると、蟻たちは土塊を投げ捨て、その周りにいる蟻たちが積み上がった土塊の周りを這い固めているように見えた。
「あの蟻たちは、なにをしているのですか?」
「アレは、山頂へ向かう水の蝶達が飛び上がらないヨウに、中央ノ島を埋め立てておりマス。加えて、翅を持ったワタクシたち“娘”や“息子”タチが空へ飛び立ちやすいヨウ、島ヲ大きく高くシテいるのデス」
見上げると、島から伸びた光の柱が吸い込まれように消える天井部分は、漏斗を逆さにしたように先細りになっている。あの先に、山頂の泉があるのだ。
島の周りでは相変わらず、水面から飛び立とうとする水の蝶を追って、手ぶらの蟻が飛びかかり、そのまま水面に落ちていく光景が続いている。落ちたら水に溶けてしまうはずなのに、飛びかかる蟻たちには何の迷いもない。見ている“娘”ふたりも、特に感慨めいた様子は見せない。
あれは機械と同じで、作られた目的通りに動いているだけなのだろう。
光の柱に吸い寄せられて無事に飛び立っていくのは、湖面から生まれたうちの半分にも満たない。自分を動かすのと同じ力が働いているのに気を引かれたのか、ヘイディアの髪の中に隠れていたチュイナが、そろりと肩の上に現れた。
しばらくの間、足を進めながら黙ってその光景を見ていると、近くを通る蟻の行列の中に、形の微妙に違う蟻が素知らぬ顔で混ざっているのに気がついた。例のアリグモである。